◆戦争という最大の悪

  人を殺すことが悪であるならば、戦争は最大の悪であろう。問題は、戦争をしているどちらの側も、最前線で戦っている多くの兵士たちは、自国の戦争の大義を信じ、良心に従って命を賭けて戦っているという矛盾である。この問題を解くには、あらゆる社会科学を動員する必要があるだろう。

  国家間の利害や人々の利害、考え方が完全に調和することは難しい。したがって争いの原因は永久になくならないかもしれない。しかし、そのことは戦争を正当化するものではない。

  戦争において、一方の国に戦う意志がなくても、他方から攻めて来られれば、応戦するしかないだろう。政府としては国民を殺されるままに放置することはできない。したがって、正当な防衛行為として応戦するのは悪とは言えない。とすると、単に戦争は悪であるというだけでは問題の解決にならない。

◆戦争はどうすれば防げるのか?

  それではどうすれば戦争を防ぐことができるのだろうか。単純化しすぎるかも知れないが、ここで重要なことは、どちらも攻撃しなければ戦争は起こらないということである。戦争は常に防衛のためという名目で開始される。また、戦闘の勃発も、相手方からの攻撃が口実とされる。ときには攻撃されたといっている側が、影で挑発行為や謀略行為を行っていることもある。戦争を防ぐためには、国家間において先制攻撃を一切認めないという原則が打ち立てられるべきであろう。また、戦闘勃発の挑発行為や謀略行為に関しても、これを決して許さない国際社会の体制と世論を作っていく必要があると思う。

◆アメリカへの追従で、平和に貢献できるのか?

  アメリカは必要な場合の先制攻撃を否定しておらず、現にアフガニスタンやイラクに対して一方的に開戦した。核兵器による先制攻撃でさえも否定していない。アメリカは常に大義を掲げているが、その影には常に大国のエゴイズムがある。戦争の大義は常に双方が掲げるものであるから、大義は先制攻撃の理由にはならない。一切の先制攻撃を許さないことが戦争を防ぐためには不可欠だ。戦争に関しても環境問題に関しても、アメリカ政府は世界の流れに背を向けようとしている。日本が平和主義を貫き、地球を守っていくためには、まずアメリカへの追従はやめるべきだろう。

◆テロと貧困

  最近は、国家間の紛争以外にテロの問題が深刻になっている。テロの背後には宗教の問題もあるが、それ以上の問題として貧困がある。貧困の中で希望を見出せない若者は、他人の命の尊さも理解できないし、テロの大義と死後の幸福という教えのために、自爆テロで命を捨てることを恐れない。テロの解決のためには貧困の解決が必要だろう。多くの人々は、貧困から開放された平和な生活や家庭があってこそ、他人の命の尊さ、自分の命の尊さを知るのではないだろうか。

◆すべての思想、宗教の共存

  またすべての思想、宗教の共存を原則とする価値観を国際的に定着させることが必要だ。先に述べたように、自分にとっての神や国家、種族、家などが大切であるならばなおさらのこと、他人がその人にとっての神や国家、種族、家などを大切にする権利を保障すべきはずである。そして理由の如何に関わらず、罪のない人々に危害を加えることの卑劣さを世界中の子供たちに教えることが必要だろう。神がいるならば、神への信仰をかたって、罪のない人々を傷つけるようなことを、神は決して許さないだろう。そのような者こそ、神の意志にそむき、神を冒涜するものではないだろうか。