エニアグラム診断
今日たまたま知った「エニアグラム」というもの・・・。
めんどくさいから詳しく調べちゃいないけど要は性格診断だ。
性格性質を9つのタイプにわけ、それは逆(?)のタイプとエニアグラムサークルというペンタグラムに似たような形で関連付けられる。
その対応したタイプの人間から自分を学ぶことができる・・・らしい。
自分のタイプを知って、そのタイプの欠点を知り、対応するタイプの人間と関わりつつ自分を高める・・・ということだと思う・・・。
じっくり調べる暇があったら見てみようと思う。
とりあえず診断だけしてみた・・・「芸術家タイプ」だった・・・。
・・・「やっぱり」って感じだ。
自分でそんな感じだと思い込んでるし、今まで何度かやったことがある性格診断や職業診断なんかではいつも、芸術関係の道が向いていると出てきた・・・。
だいたい診断事態は当たらないけど、方向性としては当たっているのかもしれない・・・。
一応当たっている部分もある・・・。
エニアグラムでのタイプ診断のマイナス面とか・・・。
なかなか面白いかもしれない・・・興味あったら、検索すればいくつか出てくるはずだから・・・見てみよう!
結構適当だけど・・・ 以上
ジョジョという名の運命
ジョジョ・・・それは運命の塊のような、奇妙でカッコイイ物語だ!
昨日書いた「運命の奴隷」というのはこのジョジョ第63巻で出てくる言葉をかりたものだ。
この巻は第5部の完結の巻なんだけれど・・・ラストバトルがカッコよすぎる!
そして、最初からしっかり読んでいる人にとっては感動の場面もある。
ジョジョ好きな人達の間ではやはり第3部が一番人気なようだが(そりゃああのラストバトルもカッコよすぎるし、スタンド初登場だし無理も無い)、この第5部も相当面白い!
いや、ジョジョは全体的におもしろすぎるんだ!
第4部は一番異質でまた違った面白さがある・・・岸辺露伴が最高だし・・・。
しかし、やはり個人的に一番好きなのは第6部だ!
そして、一番運命というものが強く描かれているのもやはり第6部だろう。
- 著者: 荒木 飛呂彦
- タイトル: ジョジョの奇妙な冒険 (63)
↓このジョジョ64巻となる「ストーンオーシャン」1巻・・・が第6部の始まりだ!↓
- 著者: 荒木 飛呂彦
- タイトル: ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 Part6 (1)
この第6部の主人公は女なわけだが、
決してやわではないし、なんの抵抗もなく読めるはず。
ターミネーターのサラ・コナーよりも大きな成長を遂げ強くなる!
こんなに強い女主人公は見たこと無い!
そしてやはり、「運命」についても面白い考え方を持てると思う。
ジョジョの作者である、荒木飛呂彦先生自身、マンガの内容や、コメントなどを見ただけでもかなり「運命」に対して強い思いを持っているように思える。
これ程ミステリアスで魅力的な漫画家も始めてだ・・・と思わされること間違いなし!
なかには、この高度なストーリーや、芸術的で美しくすらある絵の魅力についていけない人もいるようだが・・・とりあえず読んでみた方がいい!・・・と思う。
いろんな面で感心させられるし感動もさせられるし・・・ほんとに素晴らしい!
ボクは、「ジョジョという名の運命」の引力に引かれたんじゃあないだろうか・・・?
第三回 人は皆運命の奴隷・・・なのか?
運命の奴隷・・・ということは、つまり運命には逆らえない・・・ということだ。
第一回で、「運命は自分次第で変えられる」と言ったんじゃなかったっけ・・・?
・・・と思うかもしれないが、実は完全にそう思っているわけではない。
細かい部分ではいくらも変わっていくとは思う。
しかし、大きなポイントや、「最終的な結果」というものはどうなのか・・・?
まず、絶対に変えられない運命というものがある・・・
もはや運命とは言えないのかもしれない・・・それは「死」・・・だ。
これだけは人間・・・いや、生き物全てにおいて言えるが変えることはできない。
せいぜい延ばすぐらいのことしかできない。
永遠に生き続ける・・・少なくともそんな話聞いたことないし、あったとしても公にはされていない・・・つまり常識では「死」という結果は当然のことだ。
「なんだそんなことか・・・」と言わず続きを・・・。
ここまではおまけみたいなものだ。
まずはいきなり極端な例をあげてみようと思う・・・
「とても貧しい暮らしをしている人、家すらも持っていない人・・・そういった人が世界的に有名な大富豪になる」・・・こんなことは普通では無理だ。
奇跡でも起きない限りありえないだろう。
例えば油田発掘とか、たまたま拾った宝くじが当選・・・とか、しかし場所によってはそれすらも無理だ。
これはつまり、「とても大きな悪い方向の運命」に乗ってしまった・・・ということだ。
(初めからそういった生活をしていれば小さなことでも幸せに感じられる・・・といったことは無しとして)
その運命を変える為には、それ以上の「良い方向に向かう運命」に乗らなければならないはずだ。
「悪い運命」に比べ、「良い運命」の割合は非常に少ないように思う。同じ割合でもそれは非常に困難なことだろう。
しかし、普段裕福な生活をしている人と、貧しい生活をしている人とでは同じことでも感じ方が違うはずだ。
つまり、人によっては「良い運命」と「悪い運命」の内容は大きく違うはず・・・
となると・・・運命を変える難しさは人によって違う・・・?
運命を変える力とは何か・・・?
結局答えは出ないのか・・・?
これは人間にとってあまりに不可解なことじゃないか・・・
そう考えていくとそれ自体が「運命に囚われている」ように思えてくる。
神でもなければ知り得ない・・・神でなければ運命を抜け出せない・・・?
人間の域を超えない限り人は「運命の奴隷」・・・ということになるんじゃないか・・・?
運命を変えたつもりでも、それ自体初めから決まっていたことなんじゃないか・・・?
・・・そんなふうに考えていくと、どんどん「運命に囚われている」という感じが強まってきてしまう。
やはり、その答えを知るか、確実に自在に運命を操れでもしない限り・・・
「人は皆運命の奴隷」・・・なんじゃないか・・・と思えてしまう。
それができなければ、もはや「自分の気持ち次第」としか言えないだろう。
いかに自分で「運命を変えた」と思える行動が起こせるか・・・
もっと単純に言えば、いかに満足のいく人生を送れるか・・・
それが人にとって答えの限度なのかもしれない・・・。
それが人にとっての最大限の抵抗・・・?
・・・限度? ということは・・・やはり、
「人は皆運命の奴隷」・・・!?
DEATH NOTE 「やっぱりデスノートって面白!!」
- 著者: 大場 つぐみ, 小畑 健
- タイトル: DEATH NOTE (1)
最近になって初めてコミックを買って読んでみた。
前から面白そうだとは思っていたけどできるだけ出費は避けたかったし、今頃ジャンプで立ち読みしてもな・・・といった理由で関わることはなかった・・・。
しかし、ある人のススメもあって(最近読んだことないマンガを読んでみたくなったということもあり)、遂に買ってしまった。
自慢じゃあないがボクは普段人のオススメなんて絶対に聞き入れない。
ただ頑固なだけか・・・自分で出会わなければ運命ではなくなってしまうと思うからか・・・。
しかし、その人に薦められたときは、逆に小さいながら運命でもあるか・・・と思えた。
まぁ・・・その人の興味とか好みが自分に近かったこともあるけど・・・。
って、そんなことはどうでもいい(?)んだけど・・・。
まず始めに・・・こんなマンガがあって嬉しく感じた・・・。
「よく問題にならないな」・・・と思う点があったにも関わらず、堂々と連載され、書店に並んでいる・・・。
(日本はすぐになんでも問題にしたがるから・・・。)
だから・・・ボクも正直に言おう・・・はっきり言って「これ程共感できた主人公は初めてだ!」
この発言は少しばかり問題に思われるかもしれない・・・しかし、このマンガが認められているということは、自分でも気づいていない内に「デスノート」というものにひかれ、「手に入れたい」と思っている人がいるということではないだろうか・・・。
主人公の夜神月(やがみライト)が考えたようなことを、考えてみたことがある人がいるんじゃないだろうか?
実はボクは彼に似た考えを何度も持ったことがある・・・。
人は表面上そんなことは公言しないが、人間の本能にはそんな性質も含まれているのだ・・・。
だから人は犯罪に興味をもったり、悪にひかれたりすることがある・・・。
実際どうだか分からないが、原作者はそれを代弁しているんじゃないかと思う。
もうひとつ、このマンガはたびたびボクの考えをなぞるように細かいところで共感させてくれる。
「こんな風に考える人はいるだろうか」と思うようなことがこのマンガでは出てくる。
『DEATH NOTE』とはボクにとって主人公にも作者にも共感できるマンガなのだ。
そして、少年マンガにしてはとっても本格的なサスペンス要素・・・
まだ読み始めたばかりだが十分はまってしまっている・・・
このマンガを読めばきっと「やっぱり人間って面白!!」・・・と思う!・・・かもしれない。
疲れて眠い・・・お昼寝日和
なぜか疲れが・・・
いろんなとこが痛かったり使ってないはずのとこが筋肉痛だったり・・・。
眠いし・・・。
そこで一句!(少しも句じゃないけど・・・ネタだけど・・・)
ヒトシです・・・なぜか最近、急に筋肉自慢をしたくなったとです・・・
ヒトシです・・・レギュラー番組やめてもやっていける自身がついたとです・・・
ヒトシです・・・まこと君、ボッシューとです・・・
最後のだけの為に上の二つがある・・・間違いない!
・・・って、なんだこの意味のなさ!
まぁ、たまたま思いついたのだからしかたない! 以上
第二回 運命とは・・・
運命とはいったいなんなのか・・・
辞書にのっているものはけっして答えではないと思う。
その言葉のとりあえずの意味であって、本質は別にある。
運命・・・ときいてなにを思い浮かべるだろうか?
どんな場景を思い浮かべるだろうか・・・?
よくあるのは、運命の出会いとか、運命のわかれ目とか・・・
運命の相手・・・というのもよくきく。
運命の出会いと相手・・・これはどちらも恋や結婚といったものと関連付けられがちだ。
しかし、ボクの考えではそれに限ったことではないと思う。
その考えの違いは「運命とは何か」・・・ということの考え方の違いにある。
ボクの考えでは、前回書いたように、運命というものは特に珍しいものではないと思う。
日常の行動にあり、ごく自然な人との出会いにあり・・・あらゆる選択にある。
・・・そう思う 。運命はいくつも種類のあるものだと思う・・・。
『パラレルワールド』・・・という言葉をきいたことがあるだろうか?
例えば、とても貧乏な生活をしている自分が、別の世界ではとても裕福な生活をしていたり、
自分とある人物の立場が全く逆にあったり・・・極端な例だがそういった別の世界のことをいう。
マンガなんかに出てくるパラレルワールドは上の例のように極端なものが多い。
しかし、「ある選択」で別の世界へ分かれるというのならほんの小さな違いでも、新たな世界はできていくはずだ。・・・別の自分が存在するパラレルワールドは無限に存在することになる。
運命の大まかな意味はそのパラレルワールドを作っていく分岐点・・・だと思う。
しかし、そうなると運命とは自分が気づかないものばかりだ・・・。
よく言う運命とは、極端に違うパラレルワールドを作り出すポイントなのだ。
しかしそれでは話が細かくなってしまうので、ここではその大きなポイントとなるものを運命として話そう。
人々が一般的に話す運命とはその大きなポイントなのだから・・・。
その運命というのが、人生を大きく左右する人間関係や将来歩んでいく道の選択だ。
つまり、「運命の出会い」や「運命の相手」は必ずしも自分にとって有益なモノではない・・・ということだ。
人によっては「最大の運命の相手」が自分を殺める人間という可能性もあるのだ。
・・・と、そんな考え方をするとロマンチックな考えをしていた人にとっては「とんでもない!」ということになる。
そこで、更にこう考える・・・
「運命とは、自分の人生を良い方向へ持っていく為の階段だ」・・・と。
全部通してみると考え方がコロコロ変わってるように思えるかもしれないが、
自分では「良い考え方ができるように、ポイントを絞って考えている」・・・つもりだ。
最終的な結論は、自分にとって都合のいいモノというか、希望を持てる考え方になるわけだ・・・。
「運命とは何かを得る為に利用するモノ!」・・・と。
第一回 運命の存在
これから運命について書いていきたいと思う・・・。
運命について・・・自分の思ったこと、個人的な運命の解釈を・・・。
まず、「運命を信じるか・・・」と聞かれたら・・・
「信じるも何も運命とは日常でありごくあたりまえの存在だ」
と答える・・・。
『運命』という 言葉は辞書によると
「人間の意志ではどうすることもできない力.また,そのなりゆき」
「超自然的な力に支配され人に訪れるめぐりあわせ」
・・・こんな感じで書かれている。
要はそれを信じるかどうかだ・・・。
運命についての考え方は大きく分けて3つになるだろうと思う。
①運命は存在し、人は決して逆らうことはできない。
②運命は存在するが、自分の手でかえることもできる。
③運命なんてものは無い。人生は自分で切り開いていくものだ。
・・・といった感じになるだろう。
①は、「人生というものは完全に支配されている」・・・という考えにつながるだろう。
完全にそう信じ込んでしまえば生きる意味も希望も見出せなくなるだろう。
②は「人生は多少運命に左右されても、自分の力次第でいい方向に持っていくことも可能だろう」
・・・といった感じで、どうにもならないことがあるかもしれないと思いつつも希望は持てる考え方になる。
③・・・これは完全に「自分次第」という考え方。とはいえ、「人に左右されることはあるだろう」
という考えは持ったりするのだろう。この考え方では人間同士の関わりが人生を左右することになる。
この3つから選ぶとすれば自分の考え方は②になる。
運命は当然存在し、人生を動かしていくが自分の力次第で悪い運命を良い方へ動かすこともできる・・・と。
何故そう思うのか・・・理由はないのかもしれない。少なくともはっきりとは思い浮かばない。
しかし、考え方によっては「人との関わりで左右される」というのも運命といえるんじゃないだろうか・・・。
確かに「超自然的な力」ではないが、他人の考えや行動は普通自分の力でどうにかなるものではない。
自分は長生きをするつもりでも、突然の事故によって死んでしまう・・・それはどうにかなるものではないし、通常なら知ることすらできない。
③の考えで「それは自分の力が足りないだけだ」と言う人もいるかもしれないが・・・それはヘリクツというものだろう。
運命とは、必ずしも「超自然的」なものではなく、「日常そのものにある」・・・そう思う。
やられた!
まただよ・・・
せっかく連続更新できてるかと思ったら・・・時間に負けた。残念!
せっかく真面目にマジメな話しようと思ったのに・・・
何かと書き逃しちゃうんだよねぇ~・・・
う~ん・・・
だから、5月2日になったら始めようと思う!
だから・・・つまり、そーゆーことで・・・ 以上
えっと・・・そろそろ・・・
そろそろ本題(?)、本業(?)に戻らなければ・・・と思う今日このごろ・・・。
最近テレビの話とか普通の話ばっかだったから・・・
最初はもう少し哲学的な話を書いていこうと思っていたもんだから・・・
そろそろ始めようかな・・・と思った。
けど、暑いし疲れてるし・・・どーしよう・・・ 以上
JRが悪いのか・・・? 何がいけなかったのか・・・?
JRってキングと一緒にいるJRのことじゃあないよ。 って・・・冗談はよそう・・・。
今日ニュースをみた。電車脱線事故のやつだ・・・昨日もみたけど・・・。
どこのチャンネルでもやってるから自然と目に入ってしまう。
いつも思うけどなぜみんな同じニュースばかりやるんだろう・・・
そりゃあ大事だし取材したくもなるだろう・・・けど、あえて放送しないチャンネルがあってもいいのに・・・と。
・・・それはおいといて
今日見たのは、被害者の家族が涙ながらJRに訴えかけているというものだった。
実に痛々しくも悲しい感じのニュース・・・
そして、JR側はカミカミ棒読みの謝罪・・・。
いや、JRを悪く言う気はない。むしろ、今回言いたいことがあるのは被害者関係者達にだ。
どういうことか・・・まず、彼ら(被害者関係者)は確かにかわいそうだし、悲しむのも当然だ。
しかし、しかしだ・・・ひたすらJRを責めるのはどうだろう・・・。
「娘はJRに殺された」と言う人までいる。本当にそうか・・・?
「JRの人らは棺おけの中を見ようともしない―見て欲しい。でないとどれほどひどかったかわからないから―せめて目を閉じさせてくれと言ったら、『そういうことは葬儀屋がやりますので』と言った・・・そういう対応なんです」・・・そりゃあ誰だって見たくないさ。見たら見たで失礼になるし・・・というか見てどうしろというんだい?ひどさなら十分わかっているだろうし、これ以上実感したからといってその人がどうにかできるわけでもないだろうし・・・。 当事者でない人が見ても嫌な気分になるだけだろう・・・。「そういう対応」・・・だって葬儀屋でもなければ見るだけでも辛いだろうし・・・そのJRの人って普通の社員でしょ?そんなこと言うなら自分が閉じさせてあげればいいじゃない・・・家族でしょ?
・・・偉そうに言って申しわけない。少しばかりきつい言い方かもしれない。
だけど、JR側の人の身にもなってあげてほしい。
全く責任がないのかは分からないけど・・・責任があるともいえないと思う。
電車を自分で利用しておいてミスが出たら責める・・・おかしいと思う。
常に事故にあうことを覚悟しろといっているんじゃない・・・世話になっておいてこんなときだけ悪く言うのはどうかと思うと・・・。
そして、被害者の人達は非常に気の毒だが、運転手の人はどうだろう・・・。
責任があるとすれば彼かもしれない・・・。しかし、彼も被害者だ。
悪気があったわけじゃない・・・ではすまないかもしれないが、きっと責任感ゆえのこと・・・
彼も大きなミスをしてしまい、あせったに違いない・・・そして判断を誤ってしまった。
誰にだってあることだ・・・こんなときばかり「悪いことに大きいも小さいもない」って言葉を無しにするの?
この場合は「悪いこと」ではなく「ミス」というわけだ。
誰にだってミスはある・・・大きなミスだからといって許されないと・・・?
人間なんだからミスはしてしまう。機械制御にしたって完璧はないだろう。
だからといって簡単に許せといっているわけじゃない。
だけど、彼の家族はどうなるの?
家族の一人を失ったうえに大勢の人達から責め立てられる・・・どれだけ辛いか考えてみてあげてほしい。
JRの教育法もおかしなところがあったようだ・・・必要以上の責任感を押し付けたり・・・。
そういう点ではJRに責任はあるだろう。
しかし、JRのすべての人が悪いわけではないし、運転手の彼が悪人だったわけでもない。
気持ちはわかる・・・悲しくて他にぶつけるところもない・・・自然にJRの方に怒りの感情を向けてしまうのも人間の心理としてとうぜんなのかもしれない・・・だけど、もう少し考えてあげてほしい・・・。
きっとこれからもJRの世話になるだろう・・・JRも長い間世の中に貢献してきた・・・
例えば、スーパーマン。
普段彼に救われている街の人達が、人を助けることができなかったスーパーマンを責め立て、街を出て行けと言う。・・・おかしいと思わない?
・・・とはいったものの、自分がその立場じゃあないからこんなことを言っていられるわけで、
実際自分の大事な人が・・・そうなったら・・・わからない。
さんざん偉そうに言っておいて申し訳ないけど・・・部外者でなければこんなこと言えないし・・・
人間ってそういうものだ・・・矛盾なんてあたりまえなんだと思う。
そして、完璧なんてありえないんだということを知っておくべきだ・・・。
「100%なんてものはありえない」
結局・・・それが言いたかっただけなのかもしれない。
人間の不条理さにはがっかりしてしまう・・・しかし自分もその人間なんだ・・・
生き物には常に死がついてまわり、人間には矛盾がつきまとう・・・。
またそんなことを実感させられてしまった・・・ 以上