幾太郎が医学部受験指導を始めて18年が経過して、医学部に進学した教え子は116人になりました。
いろいろな生徒がいました。
読者の方にいろいろとご参考にしていただけるように、プライバシーの観点から若干フェイクもいれながら、特集していきたいと思います。
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彼も一貫校の出身であった。入学後はお決まりの深海魚生活であったらしい。楽しかったとは言っていたけれども。
真面目ではあるものの、なかなか成績は上がってこなかった。彼の学習スタイルは、コツコツではあるものの、不器用なんだよね。ポイントゲッターにはなれない。ただ、ひたむきな姿勢は悪いものではないので、私達も見守ることにしていた。
しかし、スコアは伸びてこない。一浪の秋に、とうとう予備校に来れなくなってしまった。真面目な性格なので、自分の出来なさにつらくなってしまったのだね。
その後、彼が予備校に来たときに、私は飯に誘って、その場で彼に告げた。
「もう、今期は見込みがないだろう。でも、精一杯やり切ろうよ。そして、今期の受験が終わったら、すぐに来期に向かって始動していこう。そうすれば、来期には必ず間に合う。」
そう、まだまだ受験期も遠い時点で、私は彼に今期は無理だと言ってしまったのだね。でも言わなくても分かってしまうことなので、そのような対応をした。ただ、それから彼は立ち上がってきた。おそらく、今期の合格が絶望視されていることが分かっている時点で、苦しさを感じてしまっていたのだろう。しかし、今期がダメでもやり切ることが大切と言ってあげたことが、真面目な彼にとって、今日を生きる意味になったのだと思う。
そして、彼はその年の受験では結果を出せずに終わる。
しかし、2月3月の時点から、彼は私のところに宿題を取りにきたり、様々なアドバイスを求めたり、精力的な動きをして、来期に備えていた。
予備校が始まる時期には、もうだいぶ学力は高まっていて、予備校内での順位も上位になっていた。実はそれが私の想像通りだったのだよね。真面目で不器用だから、即効性の高い勉強はできない。しかし、遅れて成果は出てくる。勉強がまとまってくるのは、それくらい後の時期ではないかと思っていた。
二浪のときの彼の成績は、一浪のときとは見違えるようなもので、彼も生き生きとした顔で勉強していた。そして、第一志望の医学部から合格をもらった彼は、きっと今でもコツコツ進んでいることだろう。
不器用な生き方は、受験には向いていないことも多いのではあるが、時間をかけていけば、亀がウサギに勝つことは世の中の決まりとなっている。
いくた
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