ものごとをシンプルに考えよう♪+α
そうそう、“物事をシンプルに考える!”ということに関して、私個人の経験からアップしてみたいと思います。
私は姓名学というものを探求してゐるのですが、姓名学は画数というものが大きなウェイトを占めています。 画数の算出は、中国の康煕字典体というものをベースに算出しますが、ま、簡単に云えば【漢字(本字)】というものが基本になります。
ですから、私は今まで姓名学を扱ってきて、カタカナやかなよりもその元というかベースになった【漢字】の方が偉いというか上に位置するとう考え方がありました。
しかし、日月神示の次の帖を読んだ時に、この考え方を改めて考えてみなくてはならないと思えるようになりました。 とりあえず以下に抜粋してみたいと思います。
【ひふみ神示 下つ巻・第二十八帖】
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気付けてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。 戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。 この方は元のままの身体持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもしてみせるぞ。
仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとはカミの七ぞ、神の言葉ぞ。
今の臣民、自分で世の中のことをやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。 年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。 八月二日、ひつ九のか三。
上記の部分ですが、上の帖は現在の世界情勢を鑑みて、かなり広く深いものを含んでいますね。
そうそう、話を仮名(かな、カナ)に戻しまして。 【かな】は漢字の音から作られたというのが一般的な説ですが
〔例:安→あ、以→い、宇→う、衣→え、於→お〕、【カナ】に関しては様々な説があります。 陰謀論になりますが、古代ユダヤの失われた十氏族が持ち込んだものだとか、カタカムナ文明の名残だとか、様々な説がありますが、ここでは長くなるので深くは立ち入らないことにしておきます。
【カタカムナ文明】: http://www.kumanolife.com/History/katakamuna.html
ここにも面白いことに、マクロビオティックの基礎を築いた桜沢如一先生がご登場されますね。 大森先生も山窩(サンカ)について姓名学講座で言及されていました。 日本の地に何万年も前から住む、本当の日本人として。
う、いかん、私の悪いクセで、話が拡散し過ぎてしまいましたが、結局何が言いたかったかと言いますと、私は今まで姓名学を扱ってきたのですが、【かな】【カタカナ】というものをカルくというか漢字より一格劣った存在として扱ってきたのです。
日本人の小さな子供が【言葉】に入るのに、まず一番最初に使うのが【かな】や【カタカナ】ですから、簡単というか単純というか幼稚だという意識がどうしてもありました。 しかし、日月神示を繰り返し読むことによって、この認識を改めなくてはならないと教えられました。。。
今回起こる大峠を越えるためには、絶対に【改心】が必要なのですが、その為には “自分のモノというものはこの世に存在せず、総て神のものである” という認識が必要であるようなのですが、その為には “生まれ赤子” のような心にならなくてはならないと、新約聖書にあるイエスが仰った記述と全く同じことが書かれています。
そう、答えはいつもここに行き着くのですが 【真理は一つの源泉から生じる】 ということを、今回も教えられました。 私は、どうも物事を複雑に考えるというか、そちらの方が優れていると考える傾向がありますから、それを修正させられているような気がします。 神示よると、高度な霊人になればなるほど、数字や○、+、Θとかになっていくようです。 特に数字は、読み取る人の霊的レベルによって、物凄い量の情報を含むと書かれています。
とにかく、来年からは本格的に大変な、大混乱の時代に突入します。 今回の大峠は、三千世界・全人類規模の大掃除ですから、ドコにも逃れる地は無さそうです。 ある意味、あの世すらも…。 それを認識していなかったら、とっくの昔に実家の宮崎に逃げ帰っています。
正直、ことが始まったら(渦中)どうなるかは解りませんが、それを認識している、していないだけでも、他とは大きな違いが出てきますから、食糧備蓄や資産保護の前に、なぜこれからこういったことが起こるのか?ということを識ることから始めることをおススメします。 そのためには、ひふみ神示、マクロビオティックは外せません。
というところで、いつもどおりですが、拙ブログの情報は決して鵜呑みにされることなく、各個人が物事を考える一つの参考までにされて下さい。 大森先生も仰っていましたが、私自身も含めて “鵜呑み” というのは判断力の低さから生じます。
失礼します。
おがっち