フィラに行くと言ったら、
あそこの警察はタフだからねぇ、
と、言われた。
と思い、はぁ、やっぱりアメリカの都会のおまわりさんはタフなんかいな、とかってに思ってたら、街に爆弾を落としたの知らんの?
って、サラリと言われた。
えっ、バクダン I
と、混乱したのを覚えてます。
冗談かいなと思ったら、これはれっきとした事実だった。
30年前の5月13日、警察は市のお偉いさんがたのゴーサインと共に爆弾投下を実行したんです。
詳しく書くと長くなるのでちょいとはしょりますが、事の発端は、当時に活動していたMOVEというカルト集団に始まります。
自然回帰とかアフリカ開放などのスローガンを掲げて、人々がコミューンを作って集団生活。皆、ラストネームは"アフリカ"と名乗って、グループ一丸となってました。
彼らは今のUniversity Cityの北側にある住宅地に居を構えていたのですが、住民からは悪臭やなんやの苦情が耐えなかった。
で、警察が介入したわけですが、なんとも埒があかない。
揉めた末に、MOVEは拠点をWest Phillyに移したんです。
悪いことに警官の一人が、このすったもんだの時期に撃たれて死亡したんです。
警察側の怒りも煽ったわけです。
West Phillyに移ったMOVEは、そこでも住民の苦情の的になった。
銃火器を建物内に相当数、備蓄してるとか、悪臭(自然回帰の一環で、人の排泄物なども貯めていた様子)が強烈とか、一晩中、建物の屋上から政治的スローガンなどを大音響で朗々と流し続けるなど、かなりのものだった様子。
一向に埒があかない状況に、警察が催涙弾をコミューンに投げ込んだ後に、MOVE側が射撃で応答してから、事態は歯止めがきかなくなっていった模様が記録されてます。
その後、コミューンに爆弾投下のゴーサインが出たのです。
West Phillyのこの辺りは長屋住宅がずらりと並ぶ地域。
この爆弾投下で61世帯が焼失、200人以上が焼き出された。
11人死亡、そのうちの5人が子供だったという痛ましい結果でした。

(写真は記事よりお借りしました)
この事件はフィラの歴史の闇の部分として残ってます。
爆弾投下命令に拘ったお偉いさん達には何もお咎めはつかずに、事件は封印された感です。
当時を知る人々の口も重く、こんなことがあったのを知らない子供達も結構、多いようです。
City of Brotherly Loveの意味のフィラの歴史の一幕。
