神さまと人間 | フィラデルフィア ICM 便り

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ソーシャルワーカーの見たアメリカ底辺事情

日曜は久々に教会に行きました。



実は私はクリスチャンではありません。でも、ダンナはずっと通っている教会があって、私にも来て欲しいんです。



しばらく日曜ミサにかなり定期的に通ったこともあります。

何人かお知り合いになった教会のメンバーもいらっしゃるし、教会のやっているフードカップボード(低所得層に食料のバッグを毎週末に配給するボランティアです)にもしばらく参加してました。



牧師さんはまだ若手の志が高い方です。



何と以前に日本に滞在していたこともあられて、ちょっとした日本語もまだ覚えておられるのには驚きました。



世間は狭いですね。

なので、私が通い始めた時にはかなり、喜んでられたようです。



メンバーになるように勧められたりもしましたが、クリスチャンという枠にはまることに抵抗があって、お断りしています。



信仰は人それぞれの選択、考えがあるでしょう。それでいいと思うのです。



私はHiger Powerというものはあると思う人です。

でも、それに確定した形を与えて、固まってしまうのは避けたいのです。



教会はそこに通う人々が活発に交流する場でもあり、交友関係が生まれたり、その逆もあるようで。



ダンナは一時、教会の運営理事も勤めてて、理事会の中のドロドロでストレスに陥っていたことがあります。


ダンナに冗談で、


「神のお社の中でも聖書の教えを実践するどころか、人の落とし合いとかしてるのが皮肉よねぇ」


といったこともあります。



日本のお寺のコミュニティは昔ながらの田舎で無い限り、ここまでの檀家同士の交流などあまりないのではないでしょうか。



アメリカ社会、住んで、仕事やご近所、教会等などを通じてどっぷりと見えないウラ側を見るハメになって分かるドがつく日本社会とも大きな違いと自分のアイデンテティの再認識。



ああ、そうかぁと言うことだけでなく、あまり愉快でないこともあるのもムロンなのは事実。

それも経験、しょーないね。



でも、それでも負けじと踏ん張るのは何なんでしょうね。かお


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