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皆様こんばんはニコニコ
連休前の週末 如何お過ごしですか?


日が落ちるのが すっかり早くなりましたネ。
ますます 1日終わるのが早くなった気がします。


さて、今日は 転換期と人生について、書きたいと思います。

1日が終わるのが早い、と書きましたが、
実際、3月11日の大地震の影響で、地球の地軸がずれ、一秒が、実際は0.7秒になったことが分かったそうです。
一秒につき、0.3秒短くなっているということは、
1日、一年に換算すると、 かなりの縮小になりますね。

何がいいたいかと言うと、今までの状態、からは少なくとも『変化』が起きている、という実例の1つ、だと思います。

唯一、普遍なものは、変化、というほど、
『状態』というものからは常に変化することが、宇宙の『法則』だとも言えるのでしょう。

また、その変化、には、波があって、常に変化しているのだけれど、波が小さいときは、実感するほどではないが、波が大きいときは、認識できるくらいの、実感できるくらいの変化がある、そのように思うのです。

そして、今は、まさに転換期、つまり波が大きい時期、
それは、個人レベルでも、国単位、地球規模でも それに当てはまる気がします。


異常気象や自然現象、災害、経済、社会情勢、
それらも変化の中の1つなのかなぁと思います。

地軸がずれた、ということを考えても、
住んでいる私達も、帳尻を合わせていかなければ、調和がとれない気がします。例えば、傾斜が60度の場所に立っていた人が、90度近くの場所に、同じバランスで 立とうと思っても、間違いなく、倒れますよね。だから、立ち方を今までのバランスとは異なる方法で考えなくてはいけない→変化、このような感じ、、、。 なのかなぁと。


個人、個人でも、大なり小なり、そういった変化が起こっている気がします。

価値観の変化、心境の変化、環境の変化、立場の変化、などなど。

かくいう私も、自分の中でかなり 変化が起こっていると思います。

きっかけは数年前から始まり、様々なことがあったり、考えることもたくさんありました。
人生についてたくさん考えました。
感情の波もありました。

人は皆、この世に降りる時、それぞれが 今生の目的を持って生まれてくるのだそうです。

けれど、生きている間に、すっかり忘れてしまうガーン

今の時代、変化の時、転換期、は、そう言った 生まれてきた目的、を思い出す時期なのかな、と思います。

目的も人それぞれ、
ある人は、誰かに会うため、
ある人は、会ってカルマを返すため。
ある人は、優しさを学ぶため。
ある人は、あることを極めるため。
ある人は、もっとたくさんのことを気付くため。

そして、必ず共通することは、愛を学ぶため、だそうです。


その目的を果たす為頑張っている中で、

リストラにあった、とか、誰も自分を必要とする人が居ないという孤独感、虚無感、 病気と向き合っている、 子供のこと、家庭不和、
生きていると、本当にみんなそれぞれ、試練、辛いこと、哀しいこと、たくさんありますが、

でも、


夜明け前の暗闇が一番暗い。

といいます。

そして、そう言った出来事に直面した時は、
何かを変える時期だということを 教えていただいてるのだと。
それは、考え方かもしれない。
行動かもしれない。

思考を少し、ほんの少し角度を変えるだけで、
同じ出来事を 今までうけいれられなかったことが、受け入れられるようになる、とか 変化があるのだと思います。


ピンチはチャンス!

それは、好転させられる、ということ。
今まで見えてなかったものが、見えてくることによって、自分の立つ景色も変わってくる。


神は、悩みは与えない。 与えるのは 問題提議。

悩む、のは神が与えたものでなく、私達が作り出しているもの、、、、。


分かっているつもりでも、実践するのは難しいですね。ショック!


けれど、今思い出しても、世の中で、何か成し遂げた人は、みんな少なからず、試練や苦しみを抱えていた人ばかりですね。
順風満帆ではありませんでしたよね。

試練や苦しみは、走り高跳びで言う、助走のようなものかも知れません。

助走が長く、色々飛び方を考えた人が、より高く、遠く、ジャンプできる。
そして、捨て身ですから、失うものが何もない人ほど、飛ぶときは何も考えずに、無心で跳べるのかも。
あとは跳ぶだけ。
跳ぶか、跳ばないか、は本人次第 なのでしょうか。
乗り越えて、飛び越えて、後になって振り返ってみたら、きっと分かるはず、
乗り越えた自覚と、確実に階段を登っていることが。その足跡が、証拠。
そういうものなのかなと思います。

ここからは私が作った例え話。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ある男が階段を登っていました。階段を登っていく途中で、最初は足取りが重かったけれど、最近、軽くなってきたなぁ、ということに気付きました。

そんなときに、ふと、横を見ると、杖をついていて とても登れなさそうな人が居る。
もう倒れる寸前のようだ。
さて、自分はどうしよう。このいきおいのままで、一気に何十段登ってしまいたいんだけどナァ、と思う。

少し考えて、その方に肩を貸し、頑張りましょう、と励ます、何段か一緒に登る。

しばらくすると、その倒れそうな方は、元気になってきた。

『ありがとうございます。あなたのお陰で、元気になりました。自分で立てることができました!もう大丈夫です』

と言った。

その方は、愛情、に飢えていた。
この助けた男のお陰で、
その方は、愛で満たされ、愛を受け取る、という今生の目的を1つクリアした。
助けた男は、愛を与えるという今生の学びを1つクリアし、その途端、今まで同じ山道だったところに、花が咲いた。

しばらく登ると、
そこには岩があった。
その男は、考えた、
岩のどかしかたが分からない、、、。

ある通りすがりの人が、岩のどかしかたを知っていると言った。


その男は、通りすがりの人に、『知恵』を授かった。通りすがりの人は、
その男に、『知恵』を授けた。
双方のカルマはまた1つ、解消された。
その途端、鳥のさえずりが聞こえはじめた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


試練にぶつかった時、必ず、何らかの方法で、アドバイスや手を差し伸べられたりするのだと思います。
その時、助ける人や、アドバイスする人は、天に遣われるのだと思います。

なぜ、遣われるかというと、きっとその人にとって必要なことだから。
そうして、お互いがカルマを解消したり、より、向上したりする。


そうやって、お互い助け合う事で、より高く階段を登ることができる。

人はそういうことの為に、つくられ、この世に降り立つのだと思います。


特に、このような時代だからこそ、

色々何の為に生きているのか、など 考えさせられるのでしょうね。ニコニコ


長くなってしまいましたショック!
次回は、今日の話の続きで、トルストイの『人は何の為に生きるのか』
について 書きたいと思います。


どうぞ皆様良い週末をお過ごしくださいませニコニコ




皆様こんばんはニコニコ

如何お過ごしですか?


今日の夜は絵画、芸術の講義を聴講して来ました。

あまりに楽しくて、刺激になり、情熱もわき、時間が経過するのがあっという間でした! キラキラ

嬉しくて喜び一杯!!

゚+。(*′∇`)。+゚


自分の魂が、心が、細胞が、エネルギーが、喜びに溢れて、醒めていくのが、はっきりとわかるくらいでした。

たまに、ぞわ~っと全身がぞくぞくするというか、鳥肌が立つくらい、霊感溢れる感じ、感応する感じがして、
もう なんと表現したらいいのか、言葉では言い表わせないほどです!



表現するとは何か、
何を表現したいのか
何の為に表現したいのか

より、明確に確信しました。

インスピレーションをたくさん受け取りましたしょぼんキラキラキラキラ


芸術家はミディアムと同じですね。

つきつめると、たどり着くところは一緒。


絵も詩も音楽も彫刻も
極めたら、達する場所は同じ。


真の芸術は、スピリチュアルなものと 絶対切っても切れない関係があると
心から確信しました。

目には見えないエネルギーを表現するのですから。

本当の芸術家は 本人が意識せずとも、気付かなくても、スピリチュアリストだと
先生の話をきいて、感性に触れて、心から思いました。


先生の表現のインスピレーションをうけた発端の話などは、まさに神、天のエネルギーとの感応なのだな、などなど、

とてもとても
スピリチュアリストな先生、
感性、感受性、アンテナが本当に素晴らしい先生(生徒のくせにこの偉そうな表現ガーン)。


先生の絵は 三次元の表現でなく、『存在』と『信仰』と『祈り』と、『普遍と変化』『人としての謙虚さ』
のようなものが、深さを持って 一枚の絵にふうじこまれていて、それ自体すらも、また動く、
もう、むしろ、『表現された絵』 でなく、
『存在』そのもの、になっているのです(私の妄想かも知れませんが)。


また講義を聴講するのが、今から楽しみで仕方ありません!


表現て素晴らしいですね!芸術は素晴らしいですね!


興奮まだ冷めやらずで
寝れないかも~ニコニコ


皆様、明日も良い1日をお過ごしくださいネ!
お休みなさいませ。ニコニコ

皆様こんばんは。
外は 長袖一枚では寒いくらいですね。



今日、かつてのフラメンコの恩師から 久しぶりに連絡がありました。ニコニコ

フラメンコを習っていて、腰を痛めて、ヘルニアになりかけてから そのまま辞めてしまって早数年。

今思えば、インナーマッスルや体幹もなく、舞踏、ましてやフラメンコのように、足や腰にものすごく負担をかけるものは、私には無謀だったのかも知れませんガーン

それにしても、あの激痛は今でもトラウマになるほどで、一時期は日常生活もままならないほどショック!、、、。


今は使う出番のなくなってしまった、靴や扇子、パリージョが端の部屋にポツンと置いてあります、、、。


どんくさく、運動神経ゼロ、体力ゼロ、ゼロ、振り付けを覚えるのも遅い、そんなどうしようもない私を、いつも優しく、丁寧に、
唯一の長所である リズム感の良さを褒めてくれながら、一生懸命持ち上げてくれてた先生。しょぼん

出来の悪い生徒を教える苦労は、並々ならぬものがあったでしょう。しょぼん

いつも ヘロヘロになりながら踊っていましたが、
その頃を懐かしく思い出しました。

そして、あまりに体力がない私がフラメンコを踊ることに心配した夫の面白い行動も 一緒に思い出しました。



ある日、フラメンコの発表会での出来事、
踊り終わった友達と、写真を撮ったりしていたとき、楽屋にメモが届けられました。

そこには、受付に主人の名前で お届けものがあるとの記載。

花束かな、なんだろうと、受付に行くと、、、





酸素スプレー 、、、 。


えっ、お届けものって、
コレデスカ!?!?!?!?


ガーン


しかも、もう踊りおわってますけど、、、。

しかも、受付の方、いたって真顔で手渡してくれた、、、


私が窒息すると思ったのだろうか、、、(笑)。


友達がウケまくって、
酸素スプレーと共に、
写真を撮ってくれました(笑)。



今は踊りどころか
運動すらまともにしていません、、、。


体力はどんどん衰えるばかりですしょぼん


涼しくなってきたので、 そろそろウォーキングでもはじめようかと、
面白い思い出と共に
決心したのでした。



とりとめのない話を、秋の夜長にしてしまいましたガーン
では、皆様お休みなさいませ。

明日も皆様にとって素晴らしい日でありますようにニコニコキラキラ