前回からの続きです。

実は自分の受験において、私は偏差値というものを全く気にしたことがありませんでした。数値を覚えてもいません。

 

大学受験の時に通っていた塾は小さな塾だったので、塾で模試はありませんでしたし、公立高校は進度が遅過ぎて中高一貫校と同じ土俵では戦えず、ようやく数IIIが終わるのは高3の12月とかでしたからね。模試の合格判定などは高3では上がっていきましたが、ようやく全範囲を習い終わった頃にはもう模試が終わってしまいましたし…(笑)

 

でも数字に振り回されずに自分との戦いに持ち込めたことは良かったと思います。そんな中で志望校合格に向けて何をチェックポイントにしてきたかと言えば高校の校内順位過去問で何点取れるかでした。

 

 

幸い私の時代の母校では、私の第一志望校に現役合格する人はコンスタントに二桁いて、校内順位である程度読むことができました(現在は学区が撤廃されて県内全域からとっているにも関わらず大学合格実績はかなり「ひかえめ」に…)

 

学校でも塾でも、結局実績のような結果が出せるかどうかは本人次第なのですが、実績があると「頑張れば自分も!」と思えるので頑張れて、それがまた結果につながるという好循環もあります。先輩たちの実績がなければ、私も難関に挑戦しようとも思わなかったでしょう。

 

過去問で合格最低点を超える力をつけるという考え方は(鐵緑会の創設メンバーの一人でもある)和田秀樹先生の本で学んだものでした。「受験技法」という本をバイブルのように崇めていました。

 

 

結局、どこの学校/塾に通っていようとも、受験で目指す姿は志望校の過去問で合格最低点を超える力をつけることです。そのためにどの科目でどのくらいできるようにするか、そのためにはどんな問題集をできるようにしていけばいいか、と逆算して作戦を練ることをよく学校帰りの本屋で立ち読みをしながらしていました(→1つ前の記事)。

 

中学以前はほとんど勉強していなかった私も、高校3年間は謙遜も誇張も抜きでかなりたくさん勉強しました。家にいる時間は親と話す時間と生きるためのことをする時間以外はほぼずっと勉強していたと思います。親からは頑張り過ぎて心配されたほど…(→2つ前の記事)。

 

ただ、大変だったという感覚は全くなく、それは誰かに言われてやらされていたわけでなく、自分がそうしたくてしていたからでしょう(同じことをするにも、やらされるのと自主的にやるので気分や疲れ方は全然違います)


最後の最後、入試の本番を迎えたときは「やり切ったし、もうあと一年頑張る気はしない」という気持ちでした。合格しなければ、浪人はせず第二志望に進学するつもりだったのですが、結果としては第一志望の国立に合格できたのでした桜実感としては、時の運にもかなり味方してもらったと思っています。

 

大学以降の回顧(懐古)がもう少し続きます。

 

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