先日、仕事で津に行ったついでに、名古屋まで足を伸ばした。
津から近鉄で名古屋駅まで約1000円かかる。JRだともっとかかる。大阪と京都の間を阪急なら390円で移動できる。距離的な差は1.5倍ほどである。名鉄にも同じ印象を持っているが、交通費が高い。

ぼやきはその辺にして、上の写真は、中川区にある「ホワイト餃子」の店で食した、その名も「ホワイト餃子」である。
一応、皮で包まれてはいるのだが、皮の食感が通常の餃子とかなり異なり、皮がしっかりしている。ただ、「小麦粉を食べさせられている」印象はない。中の具と味が一体化しているからか。
しかも、油でぎとぎとした感じが全然無いので、意外にあっさりした感触がある。中の具は皮のイメージほどのボリュームはない。これが「何個でもいける」秘密なのだろう。
この店は、私が懇意にさせていただいているクレープ店の店長氏の紹介で連れて行って下さった店である。このブログに読者登録させてもらっている「かめとも」氏や、某Macユーザー「フーホー」氏とご一緒させていただいた。
餃子と言えば、私は京都で生まれ育ったので「餃子=王将」のイメージが「すこし」ある。幼い頃から食べた記憶がある点心類は、「551蓬莱」よりも、「京都・餃子の王将」である。親が買った中古車で家族5人が外食した場所は、国道沿いのラーメン屋か王将だった。その脂ぎった食感が、身体に染みついている。
しかし大人になって他の中国料理店に行ったら、その先入観が嘘だと言うことにすぐ気づかされた。
そして、この「ホワイト餃子」を食べると、その崩された餃子のイメージはもう一度変わった。「これはおそらく、世界中でこの店(あるいはこのチェーン店)でしか食べられないだろう」と思わせる味が確立している。大したものだ。
隣のテーブルではサラリーマン4人組が、水だけでこの「ホワイト餃子」80個と他の餃子を注文し、ひたすら胃袋に収めていた。
その様子はまるで、先日見た映画「UDON」で、老若男女がひたすらうどんを「すすりまくっている」日常の風景を思い出させた。
中川区の工場街のど真ん中で(すぐ近所にドラム缶の再生工場がある)、餃子中心で何度も客をリピートさせ、日曜の夕方に行列をさせる店がある。これはもう、この地域の「ソウルフード」なのではないか。
名古屋の食の奥の深さは、想像を遥かに超えている。
(写真は、その「ホワイト餃子」だが、写真がブレ気味で、しかも美味しそうに写っていないのは、ひとえに撮影者である私の撮影技術の無さによる。この餃子は比較的少食の私でも空腹なら25個は可能だ)