「至誠にして動かざる者は未だに之れ有らざるなり」
孟子
表題は、吉田松陰の留魂録の出だしに掲載された一文である。
さて、どういう意味でしょうか?
その前に、留魂録は、吉田松陰の遺書である。
表題の意味は・・・
「こちらが、この上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだに会ったためしがない。
誠を尽くせば人は必ず心動かされるということ。」
古川 薫著 吉田松陰 留魂録 徳間書店の見開きの部分
松陰神社の横にある記念館の名前は、「至誠館」
昨年、中盤から、崇菱会の副会長、Mr.Sky先生が病床で病と闘われ、今年に入り気力ももどり・・・
崇菱会HPもMr.Skyが作成されていて、中断されていたがこの度復活宣言。
そして、渾身の崇菱会紹介動画も掲載された。
必見であります。至誠そのものの動画編集です。
復活崇菱会HP
http://souryokai.blog.fc2.com/
渾身の崇菱会紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=NUw-5Retkt4&feature=youtu.be
留魂録の出だしを、分かり易いように、古川薫氏の訳で引用してみましょう。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
十月二十五日 二十一回猛士
一、私は昨年いらい実にさまざまな思いがうつり変わって、それは数えきれないほどである。
なかでもとくに私がかくありたいと願ったのは、趙の貴高であり、また楚の屈平であることは諸君のすでに知るところだ。
だから入江杉蔵は私が江戸送りになると知って「燕や趙にすぐれた士は多いが貴高のような人物は一人しかいなかったし、
荊や楚にも深く国を憂う人は屈平だけだった」という送別の詩を贈ってくれたのである。
しかしながら五月十四日に東送の命令を聞いてからは「誠」という一字について考えてみた。
するとたまたま杉蔵がこんどは「死」の字を私に示し、死を覚悟するように説いてくれた。
私としてはそのことを考えないことにし、一枚の白木綿の布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だに之有らざるなり」の
一句を書いて、手拭に縫い付け、江戸にたずさえてきた。そしてこれを評定所に留めおいたのも自分の志を表すためであった。」