「柳生流の極意は”相打ち”に在り、無住心剣流の極意は”相ぬけ”に在ると言われる。

前者は、斗争に終始して共に死し、後者は斗争の心技極まるところ、争心を撥無して平和となる。」

 

杉本勝次(昭和32年ごろの久留米市長)

 

今日は、本箱の中から・・・・「剣士 松崎浪四郎伝」

 

 

 

 

この本の最初の「序」は、齋村五郎範士である。

 

 

 

 

 

 

 

次の「序」に表題の杉本久留米市長が寄稿されている。

 

 

 

私のコレクションの矢野勝次郎範士の写真帖と英名録があるのは、何度もこのブログでご紹介している。

 

その写真帖のなかに、松崎浪四郎剣士の生写真が存在する。

 

写真帖の1ページ目に京都武徳殿の写真と伴松崎浪四郎剣士の写真が貼られている。

 

 

これは、京都武徳殿の新築当時の写真

 

昨年、久留米総合スポーツセンターで、大学生の西日本大会が開催された。

 

新しい久留米総合スポーツセンターの武道場には、山岡鉄舟の揮毫が掲げられていた。

 

 

色々な縁(えにし)がつながってきますね。

 

山岡鉄舟は明治4年12月27日、今の佐賀県+旧対馬藩、昔の伊万里県の権令(現在の知事に相当する職)に就任しています。

 

好敵手様は、久留米の明善高校ご出身です。

 

「今年の西日本大会は残念ながらコロナで中止です。

皆様も機会があれば、久留米総合スポーツセンターへお越しください。」

 

マニアックM

 

マニアックM所蔵、山岡鉄舟扁額