ご無沙汰しています。
タイトルで、内容が全て集約されてしまっています(苦笑)。

2025/5/11のボルネオ国際マラソンに参加してまいりました。
前の記事にありますように、仁川経由のLCC利用です。
到着して乗車したGrabタクシー(Uberみたいなサービス)の運転手から
日本人客、今年になってから2人目と言われました。
コタキナバルに来る日本人、激減しているようです。
ほぼ、中韓らしい。
飛行機も、KK直行便が停止したまんまという事情もあるようです。
昔はマレーシアに来るのにロイヤルブルネイ航空を使うなんて、考えたこともなかったです。
そもそもサバ州と日本との歴史を語ると、明治末期のからゆきさんの時代から
大東亜戦争時代のサンダカン・死の行進、木材輸出で商社ウハウハ島耕作時代を経て
人工林とか多様性とか言ってる間にコロナが来て、日本人がすべて内向きになってしまった
とか言う流れがあるのですが、長くなるので省略(これでも長い)。
そんなのは私にとっては関係なく、前の記事にありますように
娘の応援(口実)のためにマラソンに参加したわけです。
午前2時のスタートのため、前日は受付してお昼を食べてホテルに戻ったものの
眠れたのは1時間ほど。
0時半に運営が用意したバスに乗り、会場のリカススタジアムに向かいました。

ここでびっくりしたのは、時間ぴったりだったこと。
昔のマレーシアを知っていたら、時間きっちりとかあり得ないんですけど。
時代が変わったわーと思いました。
大邱マラソンと違って(実名あげるなw)荷物預かりもしっかりしてました。
全般的に不安に思う運営がほとんどなかった、素晴らしい大会だったと思います。
レースの上位者に賞金が出るのも、魅力の一つ。
昨年の年代別入賞ラインが3時間40分くらいと、日本の冬レースだったら楽勝なタイムであることは確認済み。
ただ、過去2回のマレーシアのレースはいずれも入賞に手が届きませんでした。
この大会、大昔のレースで日本代表にもなった磯野(野尻)あずささんが優勝されてます。
その時のタイムでジャスト3時間。
気温は夜中なのでそれほど高くないのですが、とにかく湿気と汗で思うようなパフォーマンスが出ないことは、重々経験済みです。
ロスタイム17秒ほどの位置でスタートしたにもかかわらず、大渋滞。
1kmほど走ってようやく走りやすくなりました。
綺麗なフォームの若者がいたのでついて行きましたが、3km地点で断念。
汗だくになりペースを落としました。
10km地点でちょっとした登りがあり、下り切った後は、新設のハイウェイを直進するコースです。
このハイウェイがくせもの。立体交差が多く、その度に体力を削られます。
20km地点でさらにペースダウンし、最後まで持つか怪しくなってきました。
Eペース以下で走る自分の弱さを耐え忍ぶレースとなりました。
27~30kmでまたちょっとした登りがあり、そこから折り返しがあります。
30kmからは下り基調になり足が動くようになってきました。
そして、36km地点。
午前5時で真っ暗闇の中、娘が応援に駆けつけてくれていました。
私は正直、マラソンを走っている最中に頑張れと言われると苦痛に思うタイプです。
「これだけ頑張ってるのに、まだ頑張らんといかんのか」
「お前に言われんでもわかっとる(元カープ前田選手の名言)」
とか、余計なことを考えてしまうからです。
今回の応援だけは、心に染み渡りました。
その後、少し明るくなったあたりで水に浮かぶ市立モスクを眺めつつ最後の4kmに差し掛かりました。
そこから脚攣りが始まり、少し走っては停止を繰り返してしまいます。
結局ゴール前10mでも停止し、ほうほうの体でゴールしました。
ゴール後、すぐにプレートをかけられ入賞を知らされました。
ずっと狙っていたので、気分は最高でした。
賞金はRM600、日本円で2万円ほどです。
ゴールしてから空港で娘と落ち合い、昔住んでいたサンダカンを半日旅行しました。
フルマラソンのFinisherシャツを着てましたが、帰りの空港での荷物チェックの兄ちゃんだけが
「お前今日42km走ったんか、マジか」
という、こちらが期待したリアクションをしてくれました。