シカゴ時代にお世話になったFama教授、Hansen教授が2013年のノーベル経済学賞を受賞しました。Fama教授にはPhDに進むきっかけを作っていただき、Hansen教授にはPhDの卒論指導教官として大変お世話になりました。英語では彼らの業績をまとめた情報が多くありますが、日本語ではあまりないように思いますので、ここで自分なりに彼らの人となり・業績を私の知る限りにおいて紹介したいと思います。なお、もう一人の受賞者、Shiller教授もアセットプライシングの研究者として当然その業績に触れる機会は多いのですが、私が個人的に知っているというわけではないため、その紹介は他に譲りたいと思います。
【Fama教授】
業績についてはノーベル賞のウェブサイト等に掲載されているので、まずは人柄から。Fama教授はシカゴ大学ブース経営大学院で50年以上ファイナンスの研究を続けている大御所です。学生には、基本的に研究者向けのPhDコースのみを教えているのですが、彼の授業は技術的にはさほど難しくなく、MBAの学生も有名なFamaの指導を受けようと沢山履修しています。今日、ノーベル賞受賞の知らせがあった際も授業はキャンセルせず、通常通り行われたようです(昔からまったく同じスケジュール週二回で、月曜・水曜の朝です)。
Fama教授は飾るところのない、無骨といってもいい人柄ですが、生徒の指導にはとても熱心で、たとえ完全とはいえない研究テーマであっても温かく励ます人格者です。が、研究のクオリティには非常に厳しく、特にデータから確実に言えることとそうでないことをきっちり分けて議論しないとすぐに注意されます。彼の授業のテストも、簡単な内容を厳密に論理的に文章にする事に重きを置いているところからも、彼の研究に対する姿勢がわかると思います。
ノーベル賞の受賞理由としては、短期的には株式投資のリターンは予測できないことをデータ分析を通じて実証的に示したことによる、とあります。1960年代から1970年代の「効率的市場仮説」を実証的に検証したところに焦点が置かれているようです。Famaはステレオタイプ的に「マーケットが効率的であると信じている」という描写をされがちですが、彼の書いた論文を読めば決してそうではないことがわかります。Famaは市場で形成される株価が「正しい」事を証明したわけではありません。Famaが示したことは主に2点、①データから見て、市場を常に上回る投資パフォーマンスを上げることはほぼ不可能であること、②市場が「効率的」かどうかは基本的に検証不可能であること、です。
②市場が効率的かどうかは検証できない、というのは衝撃的な命題です。これを文字通り受け止めると、研究者としては、資産価格バブルが発生するかどうかも定かではなくなってしまいます。これまでのFamaに対するインタビューによれば、「バブル」という用語はきちんと定義されることなく感覚的に利用されているため、そもそもバブルが存在するかどうか議論する意味がないという立場のようです。バブルとは市場価格のファンダメンタルズからの乖離であるという人がいますが、それではファンダメンタルズはどうやって決めたらいいのかという点については何
の合意もないところがこの問題の難しいところです。
私個人としては、ノーベル賞の委員会が触れることのなかったFama French Modelの功績も大きいのではないか思います。これは、株式投資において、小型株に投資したほうが大型株に投資するよりも平均的に高い収益を上げることができる「サイズ効果」と、株価純資産倍率(Market-to-Book ratio)が低い株に投資するほうが平均的に高い収益を上げることができるという「バリュー効果」を説明できるモデルです。
この「サイズ効果」「バリュー効果」はアメリカだけではなく、ヨーロッパや日本でも観測でき、過去100年近くデータを遡っても観測できることから、非常に強力なデータ上の根拠を持っています。「サイズ効果」「バリュー効果」そのものはFamaとFrenchが発見したわけではないのですが、これをモデルに昇華したのが彼らの記念碑的な論文”The Cross-section of expected stock returns(1992)”および”Common risk factors in the returns on stocks and bonds(1993)”です。私はこの”The Cross-section of expected stock returns”というタイトルを見るだけで、その格好のよさに胸が高鳴るくらいです。この論文は、その年のJournal of Finance(ファイナンス系で最高のジャーナル)に掲載された論文で最高とされた論文に送られるスミス・ブリーデン賞を受賞しています。
現在に至るまで、年に二学期の授業をこなし(他のほとんどの先生は年に一学期しか教えません)、Journal of Financeに毎年のように論文を掲載するFama教授の業績は本当に圧倒的です。小手先のテクニックに走らず、データを地道に分析して積み上げたことだけを簡潔に記載するその論文のスタイルもなかなか真似のできるものではありません。
【Hansen教授】
Hansen教授の受賞の報を受け、Facebookなどで多くのシカゴ大学時代の友人がメッセージを書いていたのですが、その中で一番多く見かけたのは「ドーナツ」に関するコメントでした。これは、Hansen教授がPhDの一年生に計量経済学のコア科目を授業する際、ドーナツ(もちろんダンキンドーナツです)を振舞うことが多かったためです。といっても、毎回出るわけではなく、金曜日に補講があったときだけです。教えたいことが沢山ありすぎるのでどうしても補講をしてしまうのですが、そのことが学生に対して申し訳ない?と感じるらしく、結果としてドーナッツを注文してしまうらしいです。
私はHansen教授のティーチング・アシスタント(TA)をしていたのですが、これで困るのは先生が宿題の「素案」をTA(私)にメールしてきて、TAにまず解かせてみた上で、課題に問題がないかどうか確認するという手続きを踏むことでした。なので、私のところに送られてくる問題はそもそも解くことが可能かどうかも分からない、煮詰まっていない問題が送られてくるわけです。もちろん私がこれをさっと解ければ問題ないわけですが、現実的にはそうでないことも多くあります。その場合、そもそもの問題が解けない形になっていて修正が必要なのか、TAである私の能力が至らないので解けないのかを自分で判断しなくてはならないというジレンマに陥り、大変苦労しました。
論文の指導は、自分が分からないことは分からないと言い、理解できるまで突っ込んでくる真摯なものでした。Hansen教授はいい加減なことを言うことはまずなく、コメントをじっくり考えて発言します。なので、私の論文を見せた際にも、最初の数回のミーティングは、私がやろうとしていることの趣旨を理解することだけに費やし、その後具体的なコメントをもらえるようになるという、念入りなものでした。
Hansen教授の業績は、なんといっても計量経済学におけるGMM(一般化モーメント法)の開発に尽きます。論文としては、やはり1982年のLarge Sample Properties of Generalized Method of Moments Estimatorsでしょう。GMMは学部の統計学で習う回帰分析や最尤法を一般化したもので、今では経済学PhDであれば専攻分野を問わず必ず習得しなくてはならない知識となっています。Hansen自身はマクロ経済学が研究の中心ですが、GMMはマクロ経済学を超え、産業組織論・労働経済学などでもデータから因果関係を読み取るための基本的なツールとして広く利用されています。
このGMMを用いて、マクロ経済と金融市場の関係を実証的に検証したのがSingletonとの共著であるGeneralized Instrumental Variables Estimation of Nonlinear Rational Expectations Models(1984)です。ノーベル賞の受賞理由としては共同受賞者との関係上、こちらの業績が強調されているようです。Hansen教授は実証研究を行う際にも、まずは理論的な枠組みを厳密に詰めてから最後にデータを見るアプローチが多く、この点は最初にデータ分析から入るFama教授の論文とはかなりスタイルが異なります。
Hansen教授の業績はGMM、金融市場の分析以外にも、一昨年にノーベル賞を受賞したSargentと共同で合理的期待から乖離した適合的期待をマクロ経済学に導入したり、マクロ経済学における不確実性の役割を分析するなど非常に先駆的な理論が多くあります。その多くは非常に高度で洗練された数学を用いてモデル化したもので、論文を読んで理解・使えるようになるのには非常な(本当に非常な)労力・能力が要求されます。ましてやこれをゼロから書くというのは、想像を絶する知性と努力の賜物なのでしょう。
ともあれ、Fama教授、Hansen教授、ノーベル賞の受賞おめでとうございます。
尊敬する研究者の受賞は後進の者にとって大変な励みになります。
彼らが残してくれた巨大な知的財産に、自分としても少しでも貢献ができるようがんばらねば、と気持ちを新たにしたのでした。
【Fama教授】
業績についてはノーベル賞のウェブサイト等に掲載されているので、まずは人柄から。Fama教授はシカゴ大学ブース経営大学院で50年以上ファイナンスの研究を続けている大御所です。学生には、基本的に研究者向けのPhDコースのみを教えているのですが、彼の授業は技術的にはさほど難しくなく、MBAの学生も有名なFamaの指導を受けようと沢山履修しています。今日、ノーベル賞受賞の知らせがあった際も授業はキャンセルせず、通常通り行われたようです(昔からまったく同じスケジュール週二回で、月曜・水曜の朝です)。
Fama教授は飾るところのない、無骨といってもいい人柄ですが、生徒の指導にはとても熱心で、たとえ完全とはいえない研究テーマであっても温かく励ます人格者です。が、研究のクオリティには非常に厳しく、特にデータから確実に言えることとそうでないことをきっちり分けて議論しないとすぐに注意されます。彼の授業のテストも、簡単な内容を厳密に論理的に文章にする事に重きを置いているところからも、彼の研究に対する姿勢がわかると思います。
ノーベル賞の受賞理由としては、短期的には株式投資のリターンは予測できないことをデータ分析を通じて実証的に示したことによる、とあります。1960年代から1970年代の「効率的市場仮説」を実証的に検証したところに焦点が置かれているようです。Famaはステレオタイプ的に「マーケットが効率的であると信じている」という描写をされがちですが、彼の書いた論文を読めば決してそうではないことがわかります。Famaは市場で形成される株価が「正しい」事を証明したわけではありません。Famaが示したことは主に2点、①データから見て、市場を常に上回る投資パフォーマンスを上げることはほぼ不可能であること、②市場が「効率的」かどうかは基本的に検証不可能であること、です。
②市場が効率的かどうかは検証できない、というのは衝撃的な命題です。これを文字通り受け止めると、研究者としては、資産価格バブルが発生するかどうかも定かではなくなってしまいます。これまでのFamaに対するインタビューによれば、「バブル」という用語はきちんと定義されることなく感覚的に利用されているため、そもそもバブルが存在するかどうか議論する意味がないという立場のようです。バブルとは市場価格のファンダメンタルズからの乖離であるという人がいますが、それではファンダメンタルズはどうやって決めたらいいのかという点については何
の合意もないところがこの問題の難しいところです。
私個人としては、ノーベル賞の委員会が触れることのなかったFama French Modelの功績も大きいのではないか思います。これは、株式投資において、小型株に投資したほうが大型株に投資するよりも平均的に高い収益を上げることができる「サイズ効果」と、株価純資産倍率(Market-to-Book ratio)が低い株に投資するほうが平均的に高い収益を上げることができるという「バリュー効果」を説明できるモデルです。
この「サイズ効果」「バリュー効果」はアメリカだけではなく、ヨーロッパや日本でも観測でき、過去100年近くデータを遡っても観測できることから、非常に強力なデータ上の根拠を持っています。「サイズ効果」「バリュー効果」そのものはFamaとFrenchが発見したわけではないのですが、これをモデルに昇華したのが彼らの記念碑的な論文”The Cross-section of expected stock returns(1992)”および”Common risk factors in the returns on stocks and bonds(1993)”です。私はこの”The Cross-section of expected stock returns”というタイトルを見るだけで、その格好のよさに胸が高鳴るくらいです。この論文は、その年のJournal of Finance(ファイナンス系で最高のジャーナル)に掲載された論文で最高とされた論文に送られるスミス・ブリーデン賞を受賞しています。
現在に至るまで、年に二学期の授業をこなし(他のほとんどの先生は年に一学期しか教えません)、Journal of Financeに毎年のように論文を掲載するFama教授の業績は本当に圧倒的です。小手先のテクニックに走らず、データを地道に分析して積み上げたことだけを簡潔に記載するその論文のスタイルもなかなか真似のできるものではありません。
【Hansen教授】
Hansen教授の受賞の報を受け、Facebookなどで多くのシカゴ大学時代の友人がメッセージを書いていたのですが、その中で一番多く見かけたのは「ドーナツ」に関するコメントでした。これは、Hansen教授がPhDの一年生に計量経済学のコア科目を授業する際、ドーナツ(もちろんダンキンドーナツです)を振舞うことが多かったためです。といっても、毎回出るわけではなく、金曜日に補講があったときだけです。教えたいことが沢山ありすぎるのでどうしても補講をしてしまうのですが、そのことが学生に対して申し訳ない?と感じるらしく、結果としてドーナッツを注文してしまうらしいです。
私はHansen教授のティーチング・アシスタント(TA)をしていたのですが、これで困るのは先生が宿題の「素案」をTA(私)にメールしてきて、TAにまず解かせてみた上で、課題に問題がないかどうか確認するという手続きを踏むことでした。なので、私のところに送られてくる問題はそもそも解くことが可能かどうかも分からない、煮詰まっていない問題が送られてくるわけです。もちろん私がこれをさっと解ければ問題ないわけですが、現実的にはそうでないことも多くあります。その場合、そもそもの問題が解けない形になっていて修正が必要なのか、TAである私の能力が至らないので解けないのかを自分で判断しなくてはならないというジレンマに陥り、大変苦労しました。
論文の指導は、自分が分からないことは分からないと言い、理解できるまで突っ込んでくる真摯なものでした。Hansen教授はいい加減なことを言うことはまずなく、コメントをじっくり考えて発言します。なので、私の論文を見せた際にも、最初の数回のミーティングは、私がやろうとしていることの趣旨を理解することだけに費やし、その後具体的なコメントをもらえるようになるという、念入りなものでした。
Hansen教授の業績は、なんといっても計量経済学におけるGMM(一般化モーメント法)の開発に尽きます。論文としては、やはり1982年のLarge Sample Properties of Generalized Method of Moments Estimatorsでしょう。GMMは学部の統計学で習う回帰分析や最尤法を一般化したもので、今では経済学PhDであれば専攻分野を問わず必ず習得しなくてはならない知識となっています。Hansen自身はマクロ経済学が研究の中心ですが、GMMはマクロ経済学を超え、産業組織論・労働経済学などでもデータから因果関係を読み取るための基本的なツールとして広く利用されています。
このGMMを用いて、マクロ経済と金融市場の関係を実証的に検証したのがSingletonとの共著であるGeneralized Instrumental Variables Estimation of Nonlinear Rational Expectations Models(1984)です。ノーベル賞の受賞理由としては共同受賞者との関係上、こちらの業績が強調されているようです。Hansen教授は実証研究を行う際にも、まずは理論的な枠組みを厳密に詰めてから最後にデータを見るアプローチが多く、この点は最初にデータ分析から入るFama教授の論文とはかなりスタイルが異なります。
Hansen教授の業績はGMM、金融市場の分析以外にも、一昨年にノーベル賞を受賞したSargentと共同で合理的期待から乖離した適合的期待をマクロ経済学に導入したり、マクロ経済学における不確実性の役割を分析するなど非常に先駆的な理論が多くあります。その多くは非常に高度で洗練された数学を用いてモデル化したもので、論文を読んで理解・使えるようになるのには非常な(本当に非常な)労力・能力が要求されます。ましてやこれをゼロから書くというのは、想像を絶する知性と努力の賜物なのでしょう。
ともあれ、Fama教授、Hansen教授、ノーベル賞の受賞おめでとうございます。
尊敬する研究者の受賞は後進の者にとって大変な励みになります。
彼らが残してくれた巨大な知的財産に、自分としても少しでも貢献ができるようがんばらねば、と気持ちを新たにしたのでした。