戦争の話 | ポチョムキン

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帰省して、そんな中で、親戚のおじさんのお見舞いに思いつきで行った。

おじさんは、お婆ちゃん(お父さんのらお母さん)のお兄さん

今村五男(91)


大昔に一度会ったことあるらしいんだけど。


素敵な笑顔で出迎えられた。


そして、我ら(お父さん、おかん、私)がとても興味のあるテーマ、戦争のことを話してくれた。


五男さんは、7人兄弟の5人目
上6人は男
一番下の7人目がお婆ちゃん


そして、なんと6人の内、2人(長男、次男)が戦死、2人が病死(赤痢)
7人子供を作って3人だけ生き残った、そんな時代があったなんて、信じられない。


そして、五男さん戦争の話をしてくれた。


20歳で軍隊に参加
24歳の1945年9月23日に福岡に帰ってきた。

満州の各地で、ソ連軍や中国軍と戦った。北朝鮮付近のセイネイで終わり。


戦争は絶対しちゃならない、を繰り返してた。

終戦宣言があった後、上司に噛み付いたり、抗議した兵士達は、シベリアや強制収容所に送られた。

衛生班だった五男さんは、上司に対しても信頼関係があったそうで、運良く福岡行の船に乗れた。
「東京に連れていってやる」と言われて乗った船がシベリアの強制収容所だったケースもあった。

福岡の港に着くと、一週間そこで留められた。コレラを調べるために。

捕虜になるくらいなら、自決しろと兵士達は言われ続けたのに、終戦後幹部クラス達は1人だって自決してない。

お兄さんは台湾にいる時に米軍の魚雷があたり、死亡。

長男さんの奥さんは、長男さんが戦死する直前に結婚し、子供を産んだ。
未亡人になった後は、次男と結婚。次男との間にも子供をもうけたが、彼も死亡。
そんなことが普通におきてたすごい時代。


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とっても優しい目
別れ際、肩に手を置いたら、結構筋肉がついてて驚いた。91 歳???

お父さんが、私の英語でしゃべらナイトの本とDVDをおいていってた。駐在の話もして。なんだか恥ずかしい。

五男さんの話の前には、私の海外の仕事なんてチッポケに思えちゃった。


あんな素敵な人が親戚にいて、私は幸せだ



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