芸術家同士の対立というのはどの時代どのジャンルでもあることです。

それは自分の思想に反する表現が世間に認められているということへの苛立ちなんかもあるでしょうが、双方実力者ならどちらかの強烈なファンでもない限り、端から見ればどっちもステキじゃないので片付けられちゃうものだったりもします。

 

音楽業界なんかジョン・レノンVSポール・マッカートニーをはじめ数えだしたらキリがないくらいの対立の歴史がありますが、西洋美術界ではダヴィンチVSミケランジェロ、アングルVSドラクロワなんかが有名どころ。

日本絵画史ではあまり派手な対立関係というのは見ないように思われますが、知られている限りじゃ江戸時代の京都における円山応挙(まるやまおうきょ)VS曾我蕭白(そがしょうはく)が有名ですか。

と言ってもお互いバチバチにクサし合っていたわけではなく、曾我が一方的に円山を嫌悪していた模様。

 

その曾我の言葉がこちら。

『画が欲しいなら俺に注文しろ。絵図が欲しいなら応挙にでも頼め。』

 

つまり高尚な絵画ならオレ、薄っぺらい青髭チンパンジーオヤジイラストなら応挙というニュアンス。

 

じゃあ2人の画風とはそんなに違うものなのかというと、お互いの代表作で比較してみましょう。

 

まずは応挙の代表作『雪松図屏風』。

 

そして蕭白の代表作『群仙図屏風』。

(右隻)

 

(左隻)

 

 

うん、もう全然違うのね。

 

見てわかる通り応挙は静謐で穏やかな世界。また写生を重要視していたこともあり、まるで屏風の中の世界に入り込めてしまいそうなほどの空間の広がりを感じます。

対して蕭白はというと、情報が多い、毒々しい、キショい、以上。

まあ蕭白に関しては奇想の画家(伊藤若冲なんかも)なんて今じゃ呼ばれてまして、ファンでなくても一瞬でこれは蕭白の絵だとわかるくらい個性的で刺激的な作品を多く残しているのです。

 

個人的には蕭白を日本絵画界のフランク・ザッパと呼ぼうと思おうかどうか悩んでますが、先ほど上に挙げた蕭白の応挙に対する口撃に対し、応挙が何か反応したのかどうかはわかりません。何か資料はあるのかな。

応挙はその画風通り穏やかな人柄だったと伝えられてるので何も言わなかったかも知れないし、もしかしたら蕭白の家を燃やしたかも知れないし、蕭白のツイッターに悪口を書き込んだかも知れません。

 

僕自身がどっち派かと聞かれたら完全に応挙派です。

やはり絵画は静かで風流あるものがよろしい。そもそも静かな絵を求めて西洋画から日本絵画になだれ込んできたので。

もちろん蕭白のようにこれが俺の個性だと言わんばかりに強烈なものをぶつけてくる爆発タイプのものもいいでしょう。そういうものが見たくなるときもあります。

しかし引きの美学を持ち合わせている日本人としては、個性を見せつけ過ぎずに見せつける。そんな表現に『粋』を感じるわけです。

 

つまり蕭白は珍味まみれのフルコース料理で応挙はシンプルなうどん。ガリガリの僕は薄味のうどんを求めちゃうのです。


とはいえ蕭白はその奇想を支える土台となる地力がしっかりしているからこそ後世に語り継がれるほどの存在になれたのだと思うし、その実力は間違いなく天才といえるでしょう。

 

 

ただもっと言うなら応挙の雪松図屏風よりも狩野探幽(かのうたんゆう、江戸狩野派の祖)の『雪中梅竹遊禽図襖』(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)のような世界の方が実は理想。

なんという淡麗瀟洒。

こういうお笑いをいつかやれるようになりたいもんです。

 

 

何にせよ江戸時代における日本絵画の表現の幅広さよ。

素敵だね江戸時代。