期待値50%の選択 | 偉大なるエゴイストの戯言

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アーティストやアルバムまたは曲の解説をするつもりはない。情報を求めるかたはGoogle使って下さい。
あくまでも、僕自身が日常的に聴く音楽や映画をネタにしつつ、何かしらの思いや考えを書き連ねるための随筆的側面に重きを置いたブログにするつもりです。

『期待値50%の選択』

近所に小さなBOOK-OFFみたいな感じの古本&中古CD&DVDのショップがある。先日ふらっと立ち寄りCD2枚と文庫本2冊を購入、合計1,400円のところ今時珍しくサービスで50円OFFしてもらい、しめて1,350円なり!たった50円とはいえ、その気持ちが嬉しいじゃないですか。



そんな何気ない買い物をする場合でも(その対象への思い入れや価格などとの兼ね合いもあるが)なかなか100%満足のいく買い物をすることは難しい。せめて80~90%の満足感を得られそうだという期待感がなければCDも書籍も買わないし、興味はあっても二の足を踏むことだろう。

すなわち、事前にある程度の予備知識とある程度の期待感を持つことで、そこそこの誤差はあれど、まずまずの確率である程度の満足感は得られる。

ところが、その「そこそこ」「まずまず」の想定内の期待値が生み出す結果は、やはり「そこそこ」「まずまず」だったりする場合が多い。そして、信頼できる口コミでもない限り、歳とともに次第に新たな発見も刺激も減ってくる。



20数年前の学生の頃は、中古レコード屋を何時間もかけてハシゴしたものだ。予備知識もなければ金もないけれど、何となく気になるという程度のタイトルも中古なら思いきって買うこともできた。WebやYouTubeの情報量とは比較にもならないが、それでもそこには「出会い」と「刺激」がたくさんあると感じていた。

もちろんあの頃とは世の中の仕組みも自分自身も色々と事情は違うが、ここ4~5年当時と似たような感覚を覚えることがある。

ある程度の予備知識と興味はあれど、自分で買うまでには至らないモノ、すなわち期待度50%そこそこのタイトルでも、中古CDや古本なら万が一それほど満足感は得られなくても、損をしたという感覚よりも「勉強した」ということで納得できることが多い。

それ以上に、それまで食わず嫌いだったことを後悔することや、新たな発見をすることの方が多い。例えば期待値は50%でも満足度が75%なら、ヒトはなんとか満足感を得られるようだ。



意外性のある選択を意識的にするということは、すでに想定内ということなのか?

でも今は「期待値50%の選択」をすることで微妙なバランスがとれているし、よい結果を生むこともある。
たとえそれが「錯覚」だったとしても、今はそれが新鮮だし何よりも面白い。


(買い物の中身についてはまた明日?)



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