裏車掌です。

 

今、記事の方向性を模索中です。

 

そういうわけで、今のところは、

週に1度記事を出せれば・・

と考えております。

 

よろしくお願いします。

 

はじめに──挨拶が気恥ずかしくなった時代

「おはようございます」「こんにちは」。

 

かつては当たり前に交わされていたこれらの言葉が、どこか形式的で面倒なものに感じられる──そんな経験はないでしょうか。

 

職場での「おつかれさまです」がただの儀礼に思えたり、せっかく挨拶をしたのに無視されて傷ついたり、新しい環境で最初の一声を出すのに妙な勇気が必要だったり。

 

鳥越覚生氏による本書『なぜ人は挨拶するのか』は、スマートな能力主義が浸透した現代において、挨拶という営みの意味を根本から問い直す一冊です。

 

 

 

 

本書の問いかけ──「〈私〉のための挨拶」とは何か

著者は冒頭で、本書の読者像を明確に示しています。

 

「いないいないバァ」や「アルプス一万尺」で友達と顔を合わせ、声を出し、手を動かして楽しむ子どもには、この本は必要ない。

 

しかし成長するにつれ、他人の顔色をうかがうようになり、誰かとじっと見つめ合うことが気まずくなり、

 

スマートフォンには触れても他者の手に触れることが少なくなった大人たちへ──本書は「〈私〉のための挨拶」を一緒に考えようと呼びかけます。

 

 

この「〈私〉」という表記には、著者の深い意図が込められています。

 

単なる個人としての私ではなく、他者との関係性のなかで揺れ動き、時に孤独を感じ、それでも誰かとつながりたいと願う存在としての〈私〉。

 

挨拶とは、そうした〈私〉が他者へと開かれていく最初の扉なのです。

 

 

 

第一章・第二章──挨拶の起源と「おかあさん」という原風景

本書は全五章で構成されています。

 

第一章「現代における挨拶の意味」では、クマのプーさんとウサギの会話を手がかりに、挨拶の本質を探ります。

 

世界各国の挨拶を概観しながら、近代社会における「Subject(主体)」の概念や、経済合理性を追求する「経済人」という虚構についても考察が及びます。

 

スマートな現代社会において、挨拶がなぜ軽視されがちなのか、その構造的な背景が浮き彫りに。

 

 

第二章「挨拶の源にある親しみ」では、人間が最初に発する挨拶の相手として「おかあさん」という存在に着目。

 

詩人まど・みちおの作品を引きながら、私たちが生まれ落ちた瞬間から抱いている「親しみ」の感覚を掘り下げます。

 

仰向けで横たわる赤ん坊が見上げる世界、まぶたの裏の暗闇、そして挨拶が人から人へと伝染していく様子──

 

挨拶の根源には、言語以前の身体的・情緒的な経験があることが示されます。

 

 

 

第三章──人間以外の存在との「挨拶」

第三章「はらわたの共鳴と挨拶」では、挨拶の対象を人間以外の存在へと広げていきます。

 

動物と挨拶できるか、虫と挨拶できるか、植物と挨拶できるか──一見奇妙に思えるこれらの問いは、

 

「共感の時代」と言われながらも他者と本当に分かり合えているのかという現代人への根源的な問いかけでもあります。

 

 

特に注目すべきは、「いただきます」という食事の挨拶への考察です。

 

私たちは他の生命を口にすることで生きています。

 

「はらわた」という言葉が示すように、挨拶とは頭で考える以前に、内臓レベルで感じ取る何かなのかもしれません。

 

想像力を通じて、食べられる側の「いのち」に思いを馳せることもまた、挨拶の一形態なのです。

 

 

 

 

 

第四章──挨拶が消えた世界の恐ろしさ

第四章「無関心な人間のどうしようもなさ」は、本書のなかでも特に重い問いを突きつけます。

 

なぜ大人になると挨拶を楽しめなくなるのか。もし挨拶が完全に消えた世界があるとしたら、それはどのような世界なのか。

 

 

著者は映画「スタンド・バイ・ミー」の変遷を辿りながら、「そばにいて」という願いの普遍性と、親しい他者との関係が時代とともにどう変化してきたかを論じます。

 

利害関心に基づく人間関係が支配的になるとき、人の「はらわた」は衰弱していく。

 

木を切り倒す行為に象徴される、自然や他者への無関心がもたらす「狂気」についても言及されます。

 

 

 

第五章──「悲しい優しさ」を贈るということ

最終章「悲しい優しさを贈る」では、利害関心を超えた挨拶の可能性が探られます。

 

「無名無告の人」──名前も告げず、見返りも求めずに他者のそばにいる存在。

 

そのような在り方から、挨拶の新たな地平が開けてくると著者は説きます。

 

 

「たなごころをかさねる」という美しい表現が登場します。

 

手のひらを重ね合わせること、苦しみを聴く耳と眼を持つこと、そして「すみません」と「ありがとう」という言葉の重み。

 

著者が「悲しい優しさ」と呼ぶものは、相手の苦しみや悲しみを完全には理解できないという自覚を持ちながら、それでもそばにいようとする姿勢のことなのでしょう。

 

 

 

おわりに──挨拶を通じて〈私〉を取り戻す

本書は、挨拶のハウツーを教える実用書ではありません。

 

むしろ、私たちが日常的に交わしている(あるいは交わさなくなっている)挨拶という行為を、哲学的・人間学的に深く掘り下げた思索の書です。

 

 

効率や成果が重視される現代社会において、挨拶は一見すると「無駄」に見えるかもしれません。

 

しかし著者は、その「無駄」のなかにこそ、人間が人間らしく生きるための大切な何かが宿っていると示唆します。

 

言葉を発する以前の「気持ち」、はらわたで感じる他者への親しみ、そして〈私〉が「ここにいるよ」と伝えたいという根源的な願い──

 

本書を読み終えたとき、明日の「おはようございます」が、少しだけ違って聞こえるかもしれません。