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トロイア発掘の英雄が驚嘆した、150年前の「奇跡の都市」

 

トロイアの古代遺跡を発掘した考古学者として世界的に知られるハインリヒ・シュリーマン。

 

彼が遺跡発掘に着手する数年前の1865年(慶応元年)、幕末の日本を訪れていたことをご存知でしょうか。

 

 

彼が著した『シュリーマン旅行記 清国・日本』には、西洋人の目から見た当時の日本の姿が克明に記されています。

 

そこには、現代の私たちが忘れてしまった「豊かさ」のヒントが、驚きと共に綴られていました。

 

今回は、シュリーマンを驚嘆させた江戸の清潔さと、究極の循環型社会の実態に迫ります。

 

 

 

 

世界を旅した男が驚いた「江戸の圧倒的な清潔さ」

シュリーマンは日本を訪れる直前、清(中国)を旅していました。

 

当時の清の都市部、例えば北京などは、不衛生で悪臭が立ち込めていたと彼は記しています。

 

しかし、海を渡って横浜に降り立ち、江戸(現在の東京)へ向かった彼を待っていたのは、全く異なる光景でした。

 

「通りという通りは非常に清潔で、不潔なものは何ひとつ落ちていない」

 

シュリーマンは、江戸の街路が完璧に掃除されていることに衝撃を受けます。

 

当時、ロンドンやパリといったヨーロッパの大都市でさえ、路地裏には生活排水や馬糞が溢れ、公衆衛生の課題を抱えていました。

 

対して、世界最大級の100万都市であった江戸には、ゴミが放置されている光景がほとんど見られなかったのです。

 

 

この清潔さを支えていたのは、単なる「日本人の綺麗好き」という国民性だけではありませんでした。

 

そこには、都市全体が巨大な「リサイクル工場」として機能する、極めて合理的な社会システムが存在していたのです。

 

 

 

究極の「ゴミゼロ」を実現したリサイクル社会

シュリーマンが江戸で目にしたのは、あらゆるものが「資源」として循環する社会でした。

 

当時の江戸には「ゴミ」という概念がほとんど存在しなかったと言っても過言ではありません。

 

1. 徹底した分業による資源回収

江戸の街には、特定の廃品だけを専門に扱う「買受業(買い取り屋)」が溢れていました。
 

  • 紙屑買い: 書き損じた紙や不要な紙を買い取り、再生紙(浅草紙など)として蘇らせる。
  • 古着買い・ボロ買い: 布製品は、ボロ布になるまで使い倒され、最後は灰にして肥料や染料の媒体として利用。
  • 献残屋(けんざんや): 武家などから出た不用品を買い取り、必要な人に転売する。
  • 鋳物師(いもじ): 壊れた鍋や釜を回収し、溶かして新しい製品に作り替える。
     

2. 「黄金の肥料」としてのし尿処理

西洋諸国がし尿の処理に窮し、川を汚染させていた時代、江戸では人間の排泄物は貴重な「肥料」として取引されていました。

 

農民が都市からし尿を買い取り、代わりに新鮮な野菜を都市へ供給する。この完璧な窒素循環こそが、化学肥料に頼らずに膨大な人口を支えた江戸農業の根幹でした。

 

シュリーマンは、街中に漂うわずかな臭いを感じつつも、それが農業に直結し、結果として食糧の自給自足と街の清潔さを両立させている点に、深い関心を寄せたのです。

 

 

 

 

職人と行商人が支えた「修理と共有」の文化

江戸の暮らしを支えていたのは、単なる資源回収だけではありません。

 

高度な技術を持つ「職人」と、機動力に優れた「行商人」の存在が、モノを長く大切に使う文化を支えていました。

 

 

当時の江戸では、何かを買い直すよりも「直して使う」ことが当たり前でした。
 

  • 焼接屋(やきつぎや): 割れた陶器を特殊な糊(麦漆や鉛)で接着し、元通りにする。
  • 提灯の張り替え屋: 破れた紙を張り替え、骨組みが壊れるまで使い続ける。
  • 傘の古骨買い: 壊れた傘からまだ使える骨を抜き取り、再利用する。
     

これらの職人たちは、店舗を構えるだけでなく、道具を担いで自ら長屋へと出向く「行商」スタイルが一般的でした。

 

住民は、わざわざ遠くへ買い物に行かずとも、生活の不便を家の前で解消できたのです。

 

シュリーマンは、こうした職人たちの手際の良さと、彼らがもたらす活気あふれる街の風景を、好意的に描写しています。

 

 

 

高い民度と識字率:労働者さえも本を読む

シュリーマンの驚きは、物理的な環境に留まりませんでした。

 

彼は、日本の庶民、特に肉体労働に従事する人々までもが「本を読んでいる」ことに目を見張ります。

 

 

当時の日本の識字率は、世界的に見ても群を抜いて高く、大工や商人、あるいは荷運びの男たちまでが、仕事の合間に読書を楽しんでいたといいます。
 

「私は、日本の下層階級の人々が、どれほど読み書きに長けているかを見て非常に驚いた」


この「教養の高さ」こそが、江戸の秩序ある社会、そして互いの役割を尊重し合う職人気質を支えていた基盤でした。

 

ただ清潔であるだけでなく、精神的にも成熟した市民社会が形成されていたことが、シュリーマンの日記から読み取れます。

 

 

 

現代への教訓:シュリーマンの目を通じて

シュリーマンが江戸を訪れてから150年以上が経過しました。

 

私たちは、大量生産・大量消費の時代を経て、利便性と引き換えに多くのものを失ったのかもしれません。

 

 

シュリーマンが江戸の街に見たものは、単なる「過去の未開な社会」ではありませんでした。

 

むしろ、人口過密という都市問題を、技術と知恵、そして倫理観によって解決していた「一つの完成された文明」だったのです。

 

 

現在、世界中で「サステナビリティ(持続可能性)」や「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」が叫ばれています。

 

しかし、その理想的なモデルは、実はかつての日本に存在していました。

 

 

江戸の人々が行っていたのは、決して「我慢の生活」ではありませんでした。

 

限られた資源を最大限に活かし、職人の技を愛で、日常の小さな変化を楽しむ。

 

その心の余裕が、シュリーマンが目撃した「清潔で幸福な街」を作り上げていたのです。

 

 

『シュリーマン旅行記』を読み解くことは、単なる歴史探訪ではありません。

 

それは、私たちがこれからの未来をどのように築いていくべきかという問いに対し、150年前の江戸から届いた、切実で温かなアドバイスなのです。

 

 

現代の私たちが、江戸のリサイクル精神や、モノを大切にする職人気質を一つでも取り入れることができれば、私たちの街も、シュリーマンが驚いたあの美しい光景に少しずつ近づいていくのではないでしょうか。