60年以上政治を見つめてきた記者が明かす「権力の真実」
読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆である老川祥一氏が、60年以上にわたる政治記者としての経験をもとに執筆した『長期政権の条件』(新潮新書)が刊行されました。
本書は、佐藤栄作、中曾根康弘、小泉純一郎、安倍晋三という戦後日本の長期政権を築いた4人の政治家を軸に、
権力を維持するために必要な条件と、その権力が崩壊する瞬間を鮮やかに描き出しています。
長期政権に共通する三つの条件
本書で老川氏が提示する長期政権の条件は、非常に明快です。
それは「運に恵まれたこと」「選挙に強いこと」「自制心を持ち続けたこと」の三点です。
一見すると「運」という要素は政治家個人の努力とは無関係に思えるかもしれません。
しかし本書を読み進めると、長期政権を実現した政治家たちがいかに幸運に恵まれていたかが具体的に描かれています。
佐藤栄作は「やっぱり運なんだよ」と自ら呟いたといいます。
政敵が立て続けにいなくなるという状況や、中曽根康弘に総理の座が転がり込んできた経緯など、運命の不思議な巡り合わせが詳細に記されています。
選挙の強さについても、議院内閣制における選挙の重要性から説き起こし、「地盤、看板、カバン」という伝統的な選挙基盤の意味を改めて検証しています。
小泉純一郎が巻き起こした「小泉旋風」や、安倍晋三の連戦連勝の背景にある戦略についても、現場を知る記者ならではの視点で分析されています。
得意技が命取りになるという逆説
本書で特に興味深いのは、第二章で展開される「得意技によって出世し、得意技によって倒れる」という逆説的な指摘です。
政治家はそれぞれ自分の強みを持っており、その強みを活かして権力の階段を上っていきます。
しかし成功体験を重ねるうちに、その得意技への過信が生まれ、やがてそれが足をすくう原因となるのです。
田中角栄の場合、金脈を駆使した政治手法が出世の原動力となりましたが、「カネでねじ伏せられたのは議員まで、国民全体はムリ」という限界に直面しました。
リクルート事件で足をすくわれた竹下登についても、「数とカネ」への過信が失敗の原因であったと分析されています。
この指摘は現代の政治家にとっても示唆に富むものです。
成功体験が目を曇らせ、議員心理や国民感情を読み違えてしまう危険性は、いつの時代にも存在するからです。
権力がもたらす「蜜と毒」
第三章では、権力の持つ魔力について深く掘り下げられています。
老川氏は「限界効用逓減の法則」という経済学の概念を用いながら、権力を握り続けることの危うさを説明しています。
権力は確かに爽快感をもたらします。
しかしその蜜の味に酔いしれるうちに、判断力が鈍り、周囲の声が聞こえなくなっていきます。
田中角栄が陥った「権力のワナ」や、安倍政権で徐々に表れた「思い上がり」の兆候、「忖度」を評価するような空気の醸成など、権力の毒がいかに組織を蝕んでいくかが具体的に描かれています。
興味深いのは、この「権力の病」が与党だけの問題ではないという指摘です。
野党であっても権力欲から無関係ではいられないという視点は、政治全体を俯瞰してきた著者ならではのものでしょう。
歴史に学ぶ権力者の末路
本書はまた、日本の政治家だけでなく、スターリンやフーシェといった海外の権力者の末路にも言及しています。
「権力欲を止められるのは死しかないのか」という問いかけは重く、歴史上の独裁者たちの「自業自得の死」や「引き際の誤り」を通じて、権力の本質的な危険性が浮き彫りにされています。
こうした歴史的な視座を持つことで、本書の議論は単なる政治評論を超え、人間と権力の関係についての普遍的な考察へと深まっています。
現代政治への示唆
本書の終盤では、小選挙区制がもたらした「安倍派一極集中」の構造や、投票行動の流動化、そして石破総理の反省にまで言及されています。
派閥の存在が希薄になった自民党総裁選の変容や、「神輿にぶら下がる人が増えて弛緩した政治」への警鐘は、まさに現在進行形の問題として読者に迫ってきます。
おわりに——政治を見る目を養う一冊
『長期政権の条件』は、60年以上にわたって日本政治の最前線を見つめてきた著者だからこそ書ける、重厚な政治ノンフィクションです。
単なる回顧録ではなく、現代の政治状況を理解し、これからの政治を考えるための視座を与えてくれる一冊といえます。
政治に関心のある方はもちろん、組織におけるリーダーシップや権力の本質について考えたい方にも、ぜひ手に取っていただきたい新書です。


