裏車掌です。

 

昨年から本(ほぼ新書)を紹介する

ブログになっております。

 

本の紹介記事は、

日曜日と木曜日の朝7時

更新となります。

 

よろしくお願いします。

 

はじめに:「最近の若者は…」という永遠のフレーズ

「最近の若者は何を考えているかわからない」「いまどきの若者には覇気がない」――こうした言葉を、私たちは何度耳にしてきたでしょうか。

 

実はこの「若者批判」は、現代に始まったことではありません。

 

明治時代から150年以上にわたって、日本社会では繰り返し「いまどきの若者」が語られ、論じられ、時に批判され、時に期待を寄せられてきました。

 

 

パンス氏による新書『「いまどきの若者」の150年史』は、この「若者語り」の歴史を丹念にたどり、各時代の若者像がいかに形成されてきたかを明らかにする一冊です。

 

本書を読むと、若者論とは実は「その時代の社会そのものを映す鏡」であることが見えてきます。

 

 

 

 

「青年」という概念の誕生から戦前まで

本書の第一章では、そもそも「若者」という概念がいつ誕生したのかという根本的な問いから出発します。

 

明治維新後、近代国家の建設が進む中で、「国や世の中のために働く」存在として「青年」という言葉が登場しました。その立役者の一人が、思想家・徳富蘇峰です。

 

 

興味深いのは、明治・大正期にすでに「煩悶青年」と呼ばれる、悩める若者像が存在していたことです。

 

現代でいう「こじらせ系」の文系男子のルーツは、実は100年以上前に遡ることができるのです。

 

また、大正時代には青年を分類した書籍がベストセラーになるなど、若者を「類型化」して理解しようとする試みも早くから行われていました。

 

 

女性については「モダン・ガール」という新しい女性像が登場し、当時の最先端のライフスタイルを象徴する存在として注目を集めました。

 

しかしやがて時代は戦争へと向かい、若者たちは「死にがい」を求める存在として語られるようになっていきます。

 

 

 

戦後の若者たち:「理解できない存在」として

第二章では、戦後から1970年代初頭までの若者像が取り上げられます。

 

敗戦後の混乱期に登場した「アプレ」(アプレゲール=戦後派)の若者たちは、年長世代から「不穏な存在」として警戒の目を向けられました。

 

ここに、戦後型の「理解できない若者」像の原型があります。

 

 

1955年の保守合同以降、高度経済成長期に入ると「明るい若者」像も登場しますが、同時に「大人らしさを持たないまま年齢を重ねていく」という批判も生まれます。

 

そして「団塊の世代」が登場し、学生運動が盛り上がる1960年代後半へと続いていきます。

 

 

パンス氏は、団塊の世代を「変革を果たせなかった世代」と単純に括ることに疑問を呈し、当時の若者たちが抱えていた葛藤や矛盾を丁寧に描き出しています。

 

「フーテン」や「ヒッピー」といった、既存の社会に収まらない若者文化も紹介されています。

 

 

 

消費社会の到来と「しらけ世代」「新人類」

第三章では、1970年代から80年代にかけての若者像を扱います。

 

政治の季節が終わり、「しらけ世代」と呼ばれる若者たちが登場しました。

 

彼らは政治や社会問題から距離を取り、消費社会を謳歌する存在として描かれました。

 

 

1980年代に入ると「新人類」や「おたく」といった新しいラベルが次々と生まれます。

 

これらは単なる世代論ではなく、マーケティングの観点から若者を「分類」する試みでもありました。

 

若者文化がメディアや広告産業と密接に結びつき、商業的な関心から若者が語られるようになった時代です。

 

 

一方で、校内暴力や暴走族など、管理教育への反抗という形での若者の姿も描かれています。

 

消費を楽しむ若者と、社会に反発する若者という、二つの異なる若者像が並存していた時代でもありました。

 

 

 

 

「自分探し」の時代から世紀末へ

第四章では、バブル崩壊後の1990年代が取り上げられます。

 

80年代の華やかさへの反動として、若者たちは「本当の自分」を探し始めます。

 

オウム真理教事件に象徴される宗教ブームや、「自分探し」という言葉の流行は、この時代の若者が抱えていた実存的な不安を反映していました。

 

 

社会学者・宮台真司の登場も、この時代を語る上で欠かせません。

 

「終わりなき日常」「まったり革命」といった言葉で、郊外に暮らす若者たちのリアルな姿が描き出されました。

 

 

90年代後半には、少年犯罪をめぐる報道が過熱し、「心の闘」を持つ若者という不安なイメージが広がります。

 

しかしパンス氏は、こうした報道が若者の実態を正確に伝えていたのか、冷静な検証を試みています。

 

そしてインターネットの普及により、若者を取り巻くメディア環境が大きく変化していったことも指摘されています。

 

 

 

令和のZ世代へ:全員が若者であり、全員が大人である

最終章となる第五章では、2000年代から現在までの若者像が論じられます。

 

長引く就職氷河期の中で「ロスジェネ」が生まれ、「生きづらさ」という言葉が若者を語るキーワードになりました。

 

続いて登場した「ゆとり世代」「さとり世代」は、「欲しがらない若者」として特徴づけられます。

 

 

そして現在のZ世代。「チル」(まったりすること)を求め、SNSで「ミー」(自分)を発信する彼らの姿は、上の世代からは理解しがたいものに映ることもあります。

 

しかし本書は、「日本のZ世代は政治的ではない」という見方にも疑問を投げかけています。

 

 

本書の結論部分で、パンス氏は興味深い指摘をしています。

 

 

 

現代社会では、かつてのように「若者」と「大人」を明確に分けることが難しくなっている。

 

むしろ「全員が若者であり、同時に全員が大人である」という状況が生まれているのではないか、と。

 

「老害」という言葉の誕生も、この変化を象徴しているのかもしれません。

 

 

 

おわりに:若者論から見える日本社会

150年にわたる「若者語り」の歴史を一気に俯瞰できる本書は、単なる世代論の解説にとどまりません。

 

各時代の若者がどのように語られてきたかを知ることで、私たちは日本社会がその時々で何を不安に感じ、何に期待を寄せてきたかを理解することができます。

 

 

巻末に収録された「日本の若者年表」も、資料として大変価値があります。

 

著者のパンス氏は、テキストユニット「TVOD」としての活動や、『年表・サブカルチャーと社会の50年』の制作で知られる、年表制作の専門家でもあります。

 

膨大な資料を整理し、時代の流れの中に位置づける手腕は、本書でも遺憾なく発揮されています。

 

 

「いまどきの若者は…」と言いたくなったとき、あるいは「最近の年長者は若者を理解していない」と感じたとき、本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

150年の歴史を知ることで、「若者」と「大人」の関係を、より広い視野で捉え直すことができるはずです。