裏車掌です。

 

昨年から本(ほぼ新書)を紹介する

ブログになっております。

 

今は、本の紹介記事は、

日曜日と木曜日の朝7時

更新となります。

 

他の曜日に

別の内容の記事も出す予定です。

よろしくお願いします。

 

はじめに:現代社会に浸透した「推し」という言葉の多義性

今日、「推し」という言葉を耳にしない日はありません。

 

かつては一部の熱狂的なアイドルファンやアニメオタクの間でのみ使われていた隠語のようなものでしたが、今や流行語の枠を超え、日常会話やビジネス、さらには自治体の振興策にまで浸透しています。

 

「推しがいるから毎日が楽しい」「推しのために仕事を頑張れる」といった言葉は、多くの人にとってポジティブなエネルギーの源泉として受け入れられています。

 

 

しかし、加山竜司氏の著書『「推し」という病』が描き出すのは、そうした明るく健やかなイメージの裏側に潜む、あまりにも深く、そして時に残酷な深淵です。

 

本書は、単なる趣味の範疇を超え、人生そのものを「推し」に捧げ、時には破綻へと突き進んでいく人々の実態を、丹念な取材によって浮き彫りにした衝撃の一冊です。

 

 

 

 

軽やかな「応援」と、身を滅ぼす「執着」の境界線

本書の冒頭で提示される重要な視点は、学生が小遣いの範囲で楽しむささやかな「推し」と、マンションを売り払ったり、借金を重ねたりしてまで貢ぎ続ける過激な「推し」が、言葉の上では「地続き」であるという事実です。

 

 

私たちは、自分たちにとって理解可能な範囲の活動を「健全な推し活」と呼び、理解を越えたものを「依存」や「異常」と切り捨てがちです。

 

しかし、著者はその境界線が極めて曖昧であることを指摘します。

 

アニメグッズを一つ買う行為と、ホストクラブで数百万円のシャンパンタワーを建てる行為。

 

その精神的な根底にあるものは果たして別物なのか。

 

本書は、誰もが陥る可能性のある「推し」という感情の暴走を、冷静な筆致で分析していきます。

 

 

 

「推し」に全財産を投じる人々:人生を賭けた情熱の正体

第一章で紹介される、アイドルのためにマンションを売却した「トップオタ」のエピソードは、読者に強い衝撃を与えます。

 

客観的に見れば、それは明らかな経済的破綻であり、無謀な選択に他なりません。

 

しかし、当事者の言葉に耳を傾けると、そこには彼らにしか見えない「真実」が存在することが分かります。

 

 

彼らにとって、推しへの出費は単なる「消費」ではありません。

 

自分の存在を推しに認識させ、その活動を支えること自体が、自身のアイデンティティを形成する重要な要素となっているのです。

 

「結婚するなら、もちろんアイドル」と語るその精神構造は、現実の人間関係や社会的な成功よりも、推しとの繋がりの中にこそ「真実の人生」を見出していることを示唆しています。

 

 

 

ホスト、地下アイドル、VTuber:多様化する「推し」の形とコスト意識

本書が興味深いのは、アイドルのファンだけでなく、ホストクラブに通い詰める女性たちや、二次元キャラクター、VTuberにのめり込む人々など、多種多様な「推し」の形態を横断的に取り上げている点です。

 

 

例えば、第二章で描かれる「ホス狂い」と呼ばれる風俗嬢たちの言葉からは、意外なほど冷徹な「コスト意識」が見えてきます。

 

彼女たちは、自分たちが支払う対価に対して、ホストがどのような反応を返し、自分にどのような時間を提供してくれるかをシビアに計算しています。

 

それは一見、ビジネスライクな関係にも見えますが、その根底には「自分だけを特別扱いしてほしい」という切実な承認欲求が渦巻いています。

 

現代社会において希薄になった濃密な人間関係を、彼女たちは金銭を介して買い求めているのかもしれません。

 

 

 

 

運営とオタクの共存関係:搾取か、それとも救いか

第六章では、「運営側」の視点にもスポットが当てられます。

 

地下アイドルの運営やイベントの主催者は、オタクたちを搾取している悪徳業者なのでしょうか。

 

あるいは、彼らに「生きる意味」を提供するプロデューサーなのでしょうか。

 

 

著者は、元ジャニーズJr.という経歴を持つ地下アイドル運営者の言葉を通じて、その複雑な構造を解き明かします。

 

運営側もまた、不安定なエンターテインメント業界の中で夢を追い、時にファンと同じ熱量で「推し」を支えようと苦闘しています。

 

そこにあるのは、単純な加害者・被害者の関係ではなく、互いの欠落を埋め合うような、奇妙で歪な共依存関係です。

 

 

 

生きる意味を「他者」に預ける危うさ:事件や心中が示唆するもの

本書の後半では、さらに重いテーマが扱われます。

 

第七章で語られる「推し」の後追いで自殺未遂をした納棺師の女性の物語は、読者の胸を締め付けます。

 

彼女にとって、推しはこの世を照らす唯一の光であり、その光が消えることは、自らの命を絶つことに直結するほどの影響力を持っていました。

 

 

「推しがいないこの世界に、生きる意味はない」という言葉は、現代人が抱える虚無感を象徴しているようです。

 

家族、仕事、地域社会といった従来の共同体が形骸化する中で、多くの人が「推し」という対象に、自分の存在価値のすべてを預けてしまっています。

 

その結果、推しのスキャンダルや引退、あるいは一方的な思い込みの崩壊が、凄惨な刑事事件(高田馬場ライバー刺殺事件など)へと繋がってしまうのです。

 

 

 

おわりに:私たちが「推し」という病と向き合うために

加山竜司氏の『「推し」という病』は、決して「推し活」を否定したり、ファンを断罪したりするための本ではありません。

 

むしろ、当事者たちの切実な叫びを丁寧に拾い上げることで、私たちの社会が抱える「孤独」や「承認欲求の飢え」を浮き彫りにしています。

 

 

「推し」は、人生を豊かにする最高のスパイスになり得ますが、一歩間違えれば自分自身を焼き尽くす猛毒にもなり得ます。

 

本書を読み終えた時、私たちは自らに問い直すことになるでしょう。

 

自分が「推し」に向けている情熱は、果たして自分を幸福にしているのか、それとも、自分を「病」へと追い込んでいるのかを。

 

 

「推し」という言葉の裏にある光と影を直視することは、私たちがどのようにして「自分自身の人生」を取り戻すかを考えることでもあります。

 

本書は、現代を生きるすべての人にとって、他人事ではない切実な警告と救済の書と言えるでしょう。