裏車掌です。

 

昨年から本(ほぼ新書)を紹介する

ブログになっております。

 

本の紹介記事は、

日曜日と木曜日の朝7時

更新となります。

 

よろしくお願いします。

 

はじめに——私たちの中に息づく「カミ」の感覚

「正直の頭に神宿る」「苦しいときの神だのみ」「触らぬ神に祟りなし」「お客様は神さまです」——。

 

私たちは日常会話の中で、何気なく「神」という言葉を口にしています。

 

しかし、ふと立ち止まって考えてみると、この「神」とは一体何を指しているのでしょうか。

 

キリスト教やイスラム教のような一神教における絶対的な存在とは明らかに異なる、日本人独特の「カミ」の感覚。

 

その根っこは、いつ、どこから生まれてきたのでしょうか。

 

 

本書『神さまたちの由来 日本「多神信心」のみなもと』は、言語文化論・意味論を専門とする木村紀子氏(奈良大学名誉教授)が、

 

古代日本の文献に残された「神」をめぐる言葉の世界を丹念に読み解き、日本人の神意識の原景を探る一冊です。

 

 

 

 

本書の特徴——「言葉」から神々の姿を浮かび上がらせる

木村氏の研究の特徴は、何よりも「言葉」へのこだわりにあります。

 

古事記、日本書紀、風土記といった初期文献はもちろんのこと、王朝時代の日記や物語、神楽歌や催馬楽などの歌謡、

 

さらには延喜式や古辞書といった漢文資料まで、幅広い文献を渉猟しながら、そこに記された神々にまつわる語彙や表現を丁寧に分析していきます。

 

 

「ナル」「ウム」「ウケヒ」「ウツシオミ」「ヤシロ」「ミヤ」——こうした古語の一つひとつに込められた意味を解きほぐすことで、

 

教科書的な神話解説とは一線を画した、生き生きとした古代人の神観念が浮かび上がってきます。

 

著者のこれまでの研究成果である『原始日本語のおもかげ』『日本語の深層』などの蓄積が、本書でも遺憾なく発揮されています。

 

 

 

第Ⅰ部「ナル神とウム神」——神々の誕生をめぐって

本書の第Ⅰ部では、古事記と日本書紀における神代神話の語り方の違いに着目しながら、日本の神々がどのように「生まれた」と考えられていたのかを検討しています。

 

 

古事記の冒頭では、天地が初めて開けたとき、高天原に神々が「成りませる」と記されています。

 

この「ナル(成る)」という表現は、誰かが意図的に創造したのではなく、自然に生じてきたというニュアンスを持っています。

 

一方、イザナキ・イザナミの神話では、神々は「ウム(生む)」という行為によって誕生します。

 

 

木村氏は、この「ナル神」と「ウム神」という二つの系譜を整理しながら、「ヤホヨロヅ(八百万)の神」という表現が何を意味していたのかを考察します。

 

また、アマテラスとスサノヲの「ウケヒ」という神事の意味や、神楽歌に見られる神まつりの様相なども詳しく論じられており、古代の神観念の多層性が明らかにされていきます。

 

 

 

第Ⅱ部「カミ、ヒトになり、ヒト、カミとなる」——神と人の境界

第Ⅱ部では、神と人との関係性がテーマとなります。

 

日本の神話や伝承においては、神が人の姿をとって現れたり、逆に人が神として祀られたりすることが珍しくありません。

 

この神と人との境界の曖昧さは、日本の宗教文化を考える上で非常に重要なポイントです。

 

 

 

 

木村氏は、大国主神をめぐる複雑な神話群を取り上げながら、神々の「ウツシオミ(現身)」という概念を検討します。

 

また、稲の神であるウカノミタマや、天女伝説との関連、さらには「カミ、ヒトを求婚(よば)う」という神婚譚の系譜なども論じられます。

 

 

特に興味深いのは、「ヤシロ」「ミヤ」「ホコラ」といった神の坐所をめぐる考察です。

 

これらの語彙がどのような空間を指していたのか、また古墳時代の家形埴輪との関連はあるのか——考古学的な知見も交えながら、神々が「住まう」場所のイメージが探られていきます。

 

 

 

第Ⅲ部「古代社会の多神信心」——仏教伝来と神々の変容

第Ⅲ部は、仏教をはじめとする外来思想が日本に流入した後、古来の神観念がどのように変容していったのかを論じる部分です。

 

 

6世紀に仏教が公式に伝来して以降、日本の宗教世界は大きく変化しました。

 

木村氏は、外来思想の導入によって「古道」と呼ばれた在来の巫術がどのように排除・周縁化されていったのかを検討します。

 

また、「神社」という漢語がいつ頃から使われるようになったのか、延喜式の「神名帳」に見られる神々の整理・体系化の意図なども分析されます。

 

 

さらに、平安時代の『和名抄』に記された「神霊類」の項目を手がかりに、「タマ」と「オニ」という概念の違いや、

 

観音・地蔵といった仏教の尊格が「生身のカミ」として受容されていく過程が論じられます。

 

「成仏」を願う人々の信仰や、熊野詣・伊勢参りなどの「もの詣で」の盛行、巫覡(ふげき)と呼ばれる宗教者たちの活動など、

 

古代から中世へと移行する時期の宗教文化が多角的に描かれています。

 

 

 

付論——「信ず」という言葉の成立

本書の末尾には、「信」という概念がどのように日本語に翻訳されていったのかを論じる付論が収められています。

 

「ウク」「タノム」「マカス」といった和語が、仏教用語としての「信」とどのように結びつき、やがて「信ず」という動詞が成立していったのか——。

 

この考察は、日本人の宗教意識の形成を言語の側面から照らし出す、著者ならではのアプローチといえるでしょう。

 

 

 

おわりに——「多神信心」という視座

本書のタイトルにある「多神信心」という言葉は、著者独自の造語です。

 

一般的には「多神教」という表現が使われますが、木村氏はあえて「信心」という語を選んでいます。

 

これは、体系化された「教え」としてではなく、人々の生活の中に根づいた素朴な「心」のありようとして、日本の神々への信仰を捉えようとする姿勢の表れでしょう。

 

 

古代日本人にとって、神々は遠く超越的な存在ではなく、山や川、木や石、そして人の営みのすぐそばに「いる」ものでした。

 

本書は、そうした古代の感覚を、言葉という最も確かな手がかりをたどりながら、現代の私たちに伝えてくれます。

 

日本文化の深層に関心を持つすべての方におすすめしたい一冊です。