太平洋戦争で、双方2万人以上の死傷者を出した凄惨な戦場である硫黄島の戦いを、日本側の視点から描いたハリウッドによる戦争映画です。硫黄島でアメリカ軍を悩ませた伝説の人物である栗林中将と彼の部下たちによる死闘が描かれています。
監督はクリント・イーストウッド。主演の栗林中将役の渡辺謙がとても良い演技をしていたと思います。
≪ワンコインで晴耕雨読≫
第43回
「散るぞ悲しき」
梯 久美子(著)
太平洋戦争末期、硫黄島で日本軍の指揮を執った栗林忠道中将が、硫黄島から家族へ送った41通の手紙を筆者が手に入れたことをきっかけに綴った本です。彼は大本営から見捨てられた状況下、兵の自決を厳禁し、苦しくとも生きることを強いるゲリラ戦を選択、本土への攻撃が少しでも遅くなることに望みを託します。結果、5日で落ちるという米軍の予想を覆し、36日間持ちこたえます。
栗林中将は孤立無援の中で死んだ兵の無念を込め、大本営宛に表題となる「散るぞ悲しき」を含む辞世とともに日本の敗因を指摘する訣別電報を打ちます。
この作品は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。
NHK八重の桜(38)「西南戦争」は、熊本での攻防です。明治10年(1877年)、西南戦争が始まると、会津出身で、薩軍から「鬼官兵衛」の名で恐れられた官軍の佐川官兵衛は、一番小隊長として従軍します。官兵衛は、白水村(現南阿蘇村)で南郷有志隊と薩摩軍に対する作戦会議を行い、この地で薩軍に遭遇し、薩将と切りあううちに胸に被弾して倒れます。享年48歳でした。また、新選組三番隊組長であった斎藤一も警部補として参加し活躍します。
最大の激戦地である田原坂(たばるざか)では、十七昼夜の激戦が繰り広げられました。官軍が田原坂の戦闘で消耗した小銃の弾薬は、一日平均32万発とも言われています。弾と弾が空中でぶつかりあったと伝わるほどの激しい戦いとなりました。この戦争で西郷隆盛は賊軍となりますが、のちに大赦によって赦されています。
21日(土)は、映画「エリジウム」を鑑賞しました。予想通りの面白さでした。
「第9地区」の監督最新作!2154年-永遠の命が手に入る理想郷“エリジウム”に住む富裕層と、荒廃した地球に住む貧困層とに二極化していた。全人類の平和な未来を求め、悲しくも壮絶な戦いが始まる・・。(公式サイトより)
ニール・ブロムカンプ監督は、SF映画を通して、現代社会の格差、貧困、差別、迫害等を表現していると思います。
個人的には「第9地区」もそうでしたが、この監督のメカニックデザインがとても好きです。しかし、今回の「エリジウム」での最大の敵になる地球駐在の秘密工作員が、ニンジャ仕様の武器である日本刀と手裏剣を使う必要性はなんだったのでしょうか。決して嫌いではありませんが・・・。
NHK八重の桜(37)「過激な転校生」は同志社英学校に熊本の青年が乗り込む話です。熊本県人として興味深い内容でした。
1871年熊本洋学校が設立されました。招かれたアメリカ人教師L.L.ジェーンズの信仰と情熱が青年達を動かし、多数の入信者を産みます。洋学校は1876年に閉鎖されましたが、宮川経輝、小崎弘道、海老名弾正、徳富蘇峰ら青年達の多くは、新設間もない同志社英学校に転校し、同志社で大きな位置を占めるようになっていきます。
「熊本バンド」の名称は、メンバーらが名乗ったものではなく、同志社において「特異な存在」である彼らを指して在職中の宣教師ら周囲が呼んだ呼称です。「特異」とは、この一団が熊本県人気質を強く持っていた点、精神のみならず行動の逐一までがキリスト教信者色を強く押し出していた点、そして熊本洋学校時代に一般教育課程を既に修めていたために成績が良く、それを鼻にかけて時に教師さえ軽んじる態度を取る者がいた点があります。したがって、この名称は熊本時代ではなく、彼らが京都にいた時に出来た言葉です。(ウィキペディアより)
熊本では、このような反骨的頑固者を「肥後もっこす」といいます。
L.L.ジェーンズ