9月8日(日)、2020年東京オリンピックが決定しました。決定の瞬間は、久しぶりに歓喜の声をあげてしまいました。これはいろんな意味で本当にすごいことです。
さて、明治時代、熊本出身で天才マラソンランナーと呼ばれた人物がいました。金栗四三氏です。明治43年、東京高等師範学校(現筑波大学)に入学した金栗氏は、校長の嘉納治五郎(講道館柔道の創始者)に才能を見出されます。日本のオリンピック初参加に向けた国内予選会で、2時間32分45秒を記録、それは当時の世界記録を27分も縮める大記録でした。
日本人初の選手として出場した明治45年の第5回ストックホルムオリンピックでは、猛暑のため意識をなくし、途中棄権。しかし、棄権の意思が大会本部に伝われず、「競技中に失踪し行方不明」とされてしまいます。第7回アントワープオリンピックでは期待されながら16位。33歳で迎えた第8回パリオリンピックでは、ランナーとしての円熟期を過ぎ、32.3キロ地点で意識不明となり落伍しています。悲運のオリンピック選手と呼ばれました。
晩年になっても金栗氏の心残りは初めてのオリンピック、ストックホルムオリンピックで途中棄権したことでした。そんな思いの彼に昭和42年、75才のときに一通の招待状が届きます。
それには、スウェーデンオリンピック委員会からの記念行事としての提案が書かれていました。その提案とはストックホルムの会場に彼を招待し、心残りであろうゴールをしてもらおうというものでした。金栗氏はその提案を感謝の気持ちで引き受けます。
ゴールの瞬間、 場内に次のようなアナウンスが流れたそうです。「日本の金栗、只今ゴールイン。タイムは54年8ヶ月と6日、5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」


