再発が判明した当時 一通りの病院探しを済ませた頃 幼馴染に病気のことを話しました。

学生の頃からの仲間 あるいは仕事仲間 や飲み仲間は多いですが 「自分のことを知らせておこう」と思う「友達」は ほんの数人です。

いわゆる親友とも呼ぶのでしょうか・・・。そのうちの一人は中学・高校の同級生。

高校時代は 同じ部活でした。

友達では 唯一 その男にだけ病気のことを話しました。

ところが その友達は どうしたら良いか分からなくなって 同じ部活だった親しい同級生に話してしまいました。


話を聞いた同級生から 体調を心配する連絡があって分かったのです。


すぐ電話して 「は・な・す・な」と言いましたが そういう性格分かっているので 別に怒った訳ではありません。


ただ心配されるのが嫌なだけです。


心配されて 感謝の意を伝えて・・・というやり取りが重荷に感じてしまうのです。


別に誰のせいでもないのですから。

私の生き死にに 通常生活が影響されない人たちは 気にしないで欲しかったし 今も 多くの飲み友達が 病状を知らないか 敢えて知ろうとしない仲間ばかりです。


これが本当にありがたい。




親友は優しい男なのですが、その男から話を聞いた同級生2人は私の性格を知っていて 他の知人には話さなかった様で 面倒な応対が必要になることもなく済みました。


その友達に話をした時は 再発間もない頃。


自分で 自分の現状を消化できずにいた頃。


捻くれていましたね・・・💧。



それから数年が経ち 成すべきことが自覚出来ると 周りの人のことが心配になります。


心配もいろいろあると思うのですが・・・。


再発初期 気持ちが荒れていた時に 親友に連れて行ってもらったbar があります。


荒れてるから マスターにCTやPET の読影を見せて 嫌な会話をしたりして。


ところがそのマスターも難病を抱えていて。通じるものがあって。


随分間を開けて 再訪した時 そのマスターが泣くのです。


生きてて良かった。って


上手く言えませんが その時「生きてるだけでありがたい」と自覚出来たんですよね・・・。


それ以来 お陰様で 自分の思う限り 出来る限り さほど遠回りをしていないと思える信条で動けている気がします。


さあ今晩3件目 マスターに会いに行こう(笑)。