ガーベラご覧いただきありがとうございます。
神戸市の自宅で高級婦人服のオーダーと
プロの縫い方をお伝えする洋裁教室をしています
アトリエゆかりの縫製女子ゆかりですガーベラ


冬の帰省は、皆様より一足お先にクリスマス後に田辺に帰り、29日には神戸に戻ってきました。


白浜の京都大学水族館に行ったり
皆で「銀ちろ」で食事したり。



主人の休みの都合で毎年年に1回しか帰れないんですが
去年は5回も帰りました。


内2回は去年年明け早々に父が病気してしまい、見舞いと、訪問看護の手配でケアマネージャーさんと顔合わせ等。


母一人では大変なので去年は4月迄バタバタでした。



田辺市の人口は約7万人。
父はもともとくじ運がいい人でしたが、こんなときにくじ運がいいのか悪いのか
10万人に2人の難病にかかってしまいました。


進行はゆっくりですが治す薬や方法はなく、
発症後5年~10年で寝たきりになるそうです。


今は元気ですがたまにあれ?というときがあるので
日頃父の面倒は母が見ています。


今回の帰省で、毎日ずっと父と二人きり、家の中にいることが多い母の為に
ストレス解消と気分転換を兼ねて母を温泉に連れ出そうとしました。


母は私の事はいいからと言って拒否、遠慮してるのかと思いめげずに誘いましたが最後まで行くとは言って貰えませんでした。


温泉好きだった母。
「だんだんとそんな気分じゃなくなってくるのよ。」って・・・。


その一言で私、なんで神戸にお嫁に行ってしまったんやろう。って思ってしまいました。


若いときは都会に憧れ、夢があり一人前になる為に高卒で大阪に出てきて働きました。
いつになっても一人前になれなくてまだまだまだまだって気づいたら
あれ?20年越えてる・・・。


よく父や母はいつになったら田辺に帰ってくるの?って聞いてましたが
私は帰って仕事する気なんて全くありませんでした。


仕事が楽しかったから。私にはまだまだするべき事が沢山あったから。
なんて親不孝な娘。
でも、私の人生は一度きり。好きなこと、やりたいことを思う存分やりたかったのです。



帰省したら年に1~2回しか帰らない娘の話を
夜遅くまでずっと母は聞いてくれました。
私の事を応援してくれる家族がいたから頑張れたのかもしれません。



次は私の番。
神戸っ子になってしまったけど、時には田辺っ子に戻り母を支えたいです。





田辺市のシンボル弁慶。4年前かな。


その時の父は元気に息子とお散歩。ちょいと太りすぎだね。


また帰るね〰ニコニコ