あの頃の想い
書棚を整理していると、
どこか懐かしい雰囲気を纏う1冊の黒いクリアファイルが目に入った。
片付けの手を止めてしまいそうだなと思った反面
興味を抑えることができず、小休止という名目でふと開いた。
当時大学生の私がバンド活動を始めて少し経った頃、
歌が上手くなりたいと強く願っていた
当時の心情が記してあった。
文章は稚拙ながら自身を取り巻く環境に対し、歌うことを織り交ぜて書かれていた。
その字は多少乱雑ながらも、筆圧は濃く、強い思いを感じるものであった。
本来このような文章は黒歴史になってしまうのだろうが
恥を忍びあえて公開する。
2017年6月24日
そうだ。練習して何が嬉しいのか。
歌うのが苦手だった曲を歌いこなせるようになった時、
そして「歌う」が「唄う」となった時だ。
先に説明しておくと「歌った」ところで他人はソレを「聞く」にすぎない。
-相手の目を心を引きつける歌-
歌で心を動かし、考えさせたり、あるいは何かを思い出させたり...。
そしてまたその曲を「聴き」たいと思ってくれる人がいる時
ソレは「唄う」ということになるのではないだろうか。
唄えたときの喜びは凄まじい。何かに例えるなら
バックホームでセンターから1バウンドでストライク返球した時のような感覚。
苦手な曲ならなおさら。
バラードを歌い終わった後でも飛び跳ねるくらい喜んでいるのだ。そしていつも気付かされる。
私はその歌が苦手ではなく、
歌い方を知らなかったんだと。 何かに似ている。
苦しい方が楽な時もある、例えばブレスの位置だ。
一度ブレスの間隔を、息が続くのかと感じるほどあけて歌ってみる。
すると面白い事に、間隔をあけていた方が楽なのだ。
つまり歌い方が少しズレていたんだ。
長距離走で後の為に少し手を抜いていると、かえって辛くなるのと同じ。
だから楽譜を見ると、息継ぎが足りないもしくはココでブレスするのかと感じる。
ブレスの箇所、これは実に巧妙に組まれていたのだ。
それに気付いたきっかけが「ラック」であった。
苦しいことからは逃げて当然である、でもたまに挑んでみると案外イケたりするのだ
「逃げるが勝ち」「知らぬが得」苦しいときに思い出すと実に心が楽になる。
なるようになるさと余裕が持てるような気になる。魔法のような言葉と感じる事も。
そうだ。逃げてしまっていいんだ。だが、
ほんの少しだけ挑んでみたらどうか、風を受けて進むヨットのように。
ただ何もせず漂う流木よりは速く、力強く前進できるのではないだろうか
そうなった時「逃げ」が転じる。
私は悲劇を味わったことは無い。味わいたくもないのだが
小さな不便を外出先で感じたりすると、家に帰ったとき
有り難みを痛感するものだ。そういった意味では
今が辛くとも、人生という長い目で見ればアクセントになるのではないか。
また、別の苦しみに対して多少の耐性がついたり寛容になったりするのか。
その点については私はわからないが、
きっと起承転結の「転」にあたるのではないだろうか
きっと年をとれば転の部分:アクセントを懐かしんだりするのではなかろうか。
ならば今、その苦しみに対して立ち向かう、あるいは全力で逃げるのではなく、
当たり前の権利として苦しみから逃げ、
その中でほんの少しそれに挑戦することで転を待つ。
それが好転か否かは置いておいて、
転がらずに人生を振り返るのは
年を取り、本当の最期の時に取っておいてはいかがか。
人生において「転」機とは新たな始まりなのかもしれない。
仕事、人間関係、生活状況、心情でもいい。転を乗り越えると何かにとっての「始」があるのだ。
乗り越える限り「結」にはならない。
「起承転始承結」コレがいい。
これから訪れる痛み、苦しみは必ず己を強くさせる。
身近な人、物に感謝の意が芽生えたり、相手の意を汲み取れたり。
そして、これからの苦しみの度合いがワンランク下がる事だろう。
きっと踏み台になってくれる。
乗り越えて何かを始め続けることができたなら
人生はもっと楽なのかもしれない。
終わり
「何かに似ている」の含み、それに
この文章自体が、だれかに宛てたメッセージのようにも見える。
思い出せない。
私はポジティブな人間であるため、普段から抱いていたとは考えにくい
なにか自分の身に良くないことが起きようとしているのを突発的に察知したのか。
はたまた自分以外の...。
壁掛時計の秒針の音がコツコツと、何かの足音に聞こえてきた午前1時30分
一抹の不安を抱き寝床につく。