続きです。










中学生になって。バスケ部に入った。

憧れのみで入ったものの、先生がとても厳しくて練習もとてもきつかった。
元々なんのスポーツもしてなくて体力もなかったから、ぜんぜん練習についていけない。

ある日、たまたま体調がわるくて練習を休んだことがあった。部活仲間も心配してくれて、その上罪悪感なく練習も休める。

そのとき、「あっ、体調が悪かったら練習休めるんだ。」って思った。
そこから癖になった。

「練習行きたくない!吐きたい!」って思ったらほんとうに気持ち悪くなって、吐けた。でも吐けない日もあった。それでも「体調わるい。」って言って練習を休んでた。

最初はみんな心配してくれたけど、徐々にばれてたんだとおもう。あんまりにも続くから。だんだん冷たくなった。
それでも嘘なんでしょ。って言ってくる子はいなかった。みんな優しかった。大人だった。

練習きつくてやめたい、って母に言ったこともあった。でも中学生で部活やめるなんて、みんなやってるのに辞めるなんて、とかそんなことを言われて、「辞めることはできないんだ」って思ったから辞められなかった。

そんなことが1年続いた。

その後先生がかわって、練習がつらくなくなって
わたしは練習に参加できるようになった。3年で引退するまで結局部活は辞めなかった。








高校生になって。今度は吹奏楽部に入った。

何の楽器もやったことはない、楽譜も読めない、全くの初心者だった。
同じパートの先輩に嫌われて、冷たくされたことを覚えてる。
でも練習はがんばってた。毎日始発できて朝練もしてたし、夜も学校が閉まるギリギリまでやった。部活が休みの日も家に楽器を持ち帰って練習した。それでもうまくならなかった。




そこで、また
わたしは何もできないやつ
の前提ができたんだと思う。


また、わたしには他にもコンプレックスがあった。
ひとつは、友達が奇数グループのことばかりだったのだけれど、奇数グループのあまりの人になること。「この子には、この子!」というような、友達がいなかったこと。

もうひとつは、太っていてかわいくないこと。かわいい子に対する男子の対応の違いに毎回ちゃんと傷ついていた。











3月21日。春分の日。
25歳の誕生日です。



なんとなく、振り返りたくなったので自分のことを振り返ってつらつら書いてみます。










子どものころ。

2歳上の兄がいて、ふたりめの子どもとして生まれました。

両親は共働きだったので、面倒をみてくれたのは同居していた父方の祖父母。

成長してから母に、兄について
・ひとりめの子どもだったから専業主婦で面倒を見ていた。おかしも全部手づくりしてあげていた
・体が弱くて目が離せなかった
・私の父の妹の子ども(祖父母にしたら、娘の子ども)もその頃は一緒に暮らしていたが、兄のほうが明らかにかわいがられていなかったのでかわいそうだったこと
などの話を聞いた。

対して、わたしは
・体も丈夫で、手がかからなかった
・祖父母によくかわいがってもらっていた、働きに出ている手前あまり口出しできなかった
だったらしい。


ここで、わたしの前提
兄のほうが両親に大切にしてもらっている
ができたんだと思う。




それは、成長してから思ったことだったから
子どものころは気にしてなかった。

両親に見てもらいたくて、都合おかまいなしにわたしを見て!わたしを見て!ってアピールしてた。




小学生になってからだったと思う。

兄は、スポーツができた。頭もよかった。ついでに、細くて顔も可愛くて女の子みたいだった。なんでも要領よくこなせた。

わたしと母と、何人かのお母さんたちで話してたとき、兄を褒める流れになった。
お兄ちゃんはほんとうになんでもできるわね〜!って言われたあと、わたしをちらっと見て言い淀んでた。そして、そのまま話をそらされた。


未だにその場面を思い出すと、胸がきゅって苦しくなる。














ときめき片づけの大原則は、

「ときめくものは堂々と残す」です。





なので、使わなくてもときめくものは堂々と残し、ときめきをプラスするために収納の中にしのばせてみたりします。




わたしにはこれがしっくりこなかった。




ときめくものだから、収納の中にこそっと見えたりすればときめくはずです。
でも、収納という観点からいえば不必要なモノがそこにあることで、見た目の麗しさは減ります。

そこにわたしはときめかなかったショボーン






モノそのものに対するときめきと、インテリアや収納や全体としてみたときのときめき。


そのふたつが両立しないとわたしはときめけないし、納得できない




ということに、整理術の講座を受けて気づけました。








また、わたしの部屋に対する理想と、現実にできることのギャップにも苦しんでいたなあと思います。

当時は片づけブームもあり、「ていねいな暮らし」にスポットライトが当たっていたなあと感じます。
わたしもそれに憧れたひとりです。


でも、ていねいな暮らしができることは素敵ですが、その通りにするのが正義、と躍起になっていて実際の生活はとても苦しかった。



今は理想と現実に自分ができることの乖離を認めて、妥協点を探ることができるようになったので、だいぶ楽になりました照れ

前は、理想通りのやり方しか認めない、理想通りにできないわたしなんてダメだ、って100-0思考だったので…。




例えば、


理想)毎日ちゃんと栄養バランスのとれた料理をつくって、ちゃんと食器も拭いて片づけなきゃ。手づくり至上主義。添加物が入ったものなんて食べちゃダメ。

→仕事で疲れ果てて帰ったきて毎日ちゃんと料理なんてできない。ああ、またコンビニ行っちゃった…わたしはなんてダメなやつなんだろう…


現実の妥協点)週に1回まとめてつくりおき。足りない分は出来合いのものを買ったり、レンジ調理のとても簡単なものにしたり。疲れててできない日があるのは当たり前。









理想通りにできない自分を認める


これができるようになってから停滞していた片づけもまた進むようになったなあと思います照れ







でも、これができるようになったのも
1度片づけの型を習い、徹底的にその通りにやってみたからできるようになったことだと思うのです。

型にはめてみたからこそ、自分にはあてはまらないところがわかる。


紆余曲折ありましたが、やっぱり片づけを(2回も。笑)プロから学ぶことができたのはよかったなあと思いますウインク