※2月2日のブログでは、つい怒りに任せて書きなぐってしまったため、脚色と言う崇高な仕事を卑下したような言い回しになってしまったこと、心よりお詫びします。

 

 

 

さて。

改めて、「脚本」「脚色」の違いを確認しよう。

 

「脚本」とは、

ゼロから創作して撮影のための台本の原稿を書く事。

音楽で言ったら

ゼロから曲を作る「作詞作曲」にあたる。

 

「脚色」とは、

別ジャンルの他人の創作物から撮影のための台本の原稿を書く事。

音楽で言ったら

他人の楽曲を全く別ジャンルのスコアに変換する「編曲」であろう。

 

つまり、「脚本」「脚色」は、

全く似て非なるもの、なのである。

 

 

だからと言って「脚色」

「元になるものがあるから大した作業ではない」

と思うのは大間違いである。

「脚色」「脚色」で、実はとても大変な作業なのだ。

 

なぜなら

・原作のテーマを理解し、

・登場人物の設定を理解し、

・原作の世界観を大切に、

・原作と原作者への敬意をもって、

「脚色」を行わなくてはならないのはもとより

 

それに加えて

放送の尺、予算や撮影スケジュール、スタジオかロケか、

役者の個性やスポンサーの都合などなど

考慮しなければならないことが山ほどあるからだ。

 

それら全てに折り合いをつけて

全員が妥協できる「脚色」をする作業はとても大変なことだと思う。

 

つまり、「脚色」は、「脚本」とは明らかに別の才能が必要なのだ。

 

イメージとしては、

三味線と尺八で演奏する「民謡」を

フルオーケストラの「交響曲」に書き換えるくらいの

専門的知識と技術を要するものなのだ。

 

 

 

恐らく相沢友子脚本家

何となくみんなが納得できそうな「脚色」を書く技術に長けていたのだろう。

だから「脚色」で重宝がられていたに違いない。

 

ただ、相沢友子脚本家

原作と原作者への敬意を1ミクロンも持っていなかった。

そこが大問題なのだ。

 

当然、世の「脚色」を生業にしている

誠実で原作と原作者をリスペクトしている脚本家の方々を揶揄する意図は全くない。

誤解なきよう。

 

 

 

 

では、もう一度確認するよ?

 

音楽に例えるなら

「脚本」は、ゼロから「作詞作曲」する作業

「脚色」は、他人が書いた楽曲を「編曲」する作業

 

OK?

 

 

さて。

この世の中に「他人の楽曲」を

そう、例えば「米津玄師さんの楽曲」を「編曲」したものを、

「自分の作品だ」と主張する編曲家がいるだろうか。

 

いるはずがない。

僕の知る限り、過去に一人もいない。


他人の楽曲をどう「編曲」しようが、

楽曲はそれを作ったアーチストのものだからである。

 

 

当たり前である。

常識である。

 

それは、漫画作品をテレビドラマに「脚色」する行為でも

全く同じはずである。

 

「他人の原作」をどう「脚色」しようが、

原作はそれを描いた原作者のものだからである。

 

 

 

じゃあ、なぜ、テレビ界隈だけは、

「他人の著作物」を「脚色」させてもらっただけなのに

その「脚色」した“脚本”を「自分の作品だ」と勘違する脚本家がいるのだろう。

しかも、その勘違いを誰も咎めようとしないのだろう。

 

もしかして、

テレビ界隈って、

バカの集まりなのか?

 

 

 

 

ところで、

原作をもとに映像作品を作っている業界がもうひとつある。

それは、映画業界だ。

 

では、映画業界は今回の件をどう考えているのだろう。

 

芦原先生の訃報が伝えられた1月29日、

日本4大メジャー映画会社の社長が

コメントを発表している。

 

 

【松竹・高橋敏弘社長】

「原作の素晴らしいところ生かしつつ、ということが大前提。プロデューサーがその作品をどう表現したいのか、脚本家とも話をして、原作者も一緒に制作者として取り組んでいくのが原則。今回のようなことがないように我々も気を付けながら、これからも向き合いながらお届けしていきたいと考えています」

【東宝・松岡宏泰社長】

「個別の状況についてのコメントはできないが、全般的には、我々だけでなくすべての映画会社が、原作者がいらっしゃる作品を製作する時には、原作者の方の意向をできるだけ尊重しようと思っている。原作者の方がつくり上げたものをいかに映像化するか、という前提で権利許諾をいただいて製作していく、その点は今後もブレることない。契約に関して、出来上がったものに対して、ご意見がある方もいらっしゃるかもしれないし、我々の方向性と原作サイドの方向性が違う可能性もあるかもしれない。ケースバイケースではりますが、コミュニケーションをとって、お互いに了解して前に進むというのが一番の解決策というか、それ以外のやり方で乗り越えられる方法が今のところ、日本の映像業界では思いつかないので、より良いアイデアあれば検討したい」

【東映・吉村文雄社長】

「原作があって、それを映像化する際には、シナリオを作る脚本家にも、監督にも原作に触発されてどこを映像化したいのか、どういう部分を自分なりに料理して作品にしたいのか、それぞれに思いがある。ただ、著作権上一番強い権利を持っているのは原作者。必ずプロデューサーからこういう意図でこういう形で映像化したいと提案して、ご了解いただいて、許諾をいただいて、映像化はスタートする。その延長線上に作品ができあがる。どういう形で映像化するのか、話し合いを重ねて、納得のいく形で映像化するというのが正しい形であると思いますし、望ましい形であると思います。コミュニケーションをとってお互いに理解深めながらということがより大切になるな、と感じました」

【KADOKAWA・夏野剛社長】

「KADOKAWAは自社の原作をアニメ化する、実写化することが多いので、原作者の方の意志をどう調整していくか、非常に気を遣っています。編集者が原作者の立場に立って、実写化するプロデューサーや監督と調整をしていく。そこで必ずしも満足いく形にならないこともあります。フォーマットが違うものに仕立てあげなくてはならないのだから、そこに調整が入ることもあるので、みんなが納得できる形に収めていくことが一番大事なことだと思っています」

 

 

 

これ、現場はやりにくいだろうなぁ。

映画だって散々原作レイプしてきた実績があるのに、

トップがいきなり正論言っちゃうんだから。

 

どうすんだ。

原作レイプのハードル上がっちゃったよw。

 

 

 

 

それにつけても、テレビ界隈は最悪だよな。

 

もはや全てのテレビ局がこの件を追うことはなく、

テレビ局と深いつながりのある新聞も

一切追加の取材も報道もしない。

 

まるでマスコミ全体で臭いものに蓋をして

ほとぼりが冷めるのを待っているかのようだ。

 

ものすごく気持ちが悪い…。

 

 

 

だからこそ、

この問題は絶対に風化させてはならないのだ。

 


幸いなことに、

多くの著名な漫画家や作家の方が今もなお

ご自身の原作レイプ体験談などを発信して下さっている。

 

僕たちのような一般人も

微力ながらもSNSなどで発信し続けて

風化させないようにしなくてはならないのだ。

 

みんな、頑張ろう!

 

 

つづく  

 

 

 

 

 

ちなみに「誹謗中傷」とは

「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」

 

このブログは、

事実に基づいて考察し批判したものです。

「誹謗中傷」ではありません。

 

むしろ、「誹謗中傷」していたのは

相沢友子脚本家とその取り巻きの方です。

 

日テレ相沢友子脚本家

「誹謗中傷」と言う便利な言葉で自分達を批判する者を「誹謗中傷」

説明責任から逃げるのはやめて下さい。

 

もしこのブログが「誹謗中傷」だと言うのであれば

第三者委員会を立ち上げ真相を究明し、

きちんと「誹謗中傷」であると証明してください。

 

特に日テレはマスコミのくせに一般人に対し

「誹謗中傷」とレッテルを張り、訴訟をちらつかせて、

批判を封じ込めようとするその姿勢は

悪質な言論弾圧に他なりません。

 

マスコミなら、

一般人から批判が起きないよう真実を調べ

何故この様なことになったのか

きちんと検証して説明する義務があるはずです。

 

それすら放棄するなら

今すぐ放送免許を返上すべきです。

 

 

 

 

 

やしの木 Peppermint Film Workers since 1984 やしの木

の自主映画を以下に記します。