『会話』とは何なのか?

『会話』の中の大きな要素は

2つと伝えています。

まず

自分が言いたい事 伝えたい事が

きちんと相手に伝わるかどうか。

2つ目に

相手が言いたい事 伝えたい事を

正しく理解できるかどうか。


この2点の中には

文法とか語彙とか情緒とか

いろいろ複雑にまじりあってきて

最近では

SNSでの『会話』なども

介入してきて

段落や句読点、漢字なども

もちろん必要不可欠になりつつあります。







では

『会話』とは どこで習うのか?

それも大きく2つの場所になります。

1つ目は

学校の国語の授業

会話を教えてもらうとすれば

教科は国語になります。

授業では、ひらがな~漢字

文法や文章読解から

相手が何を伝えたいかを

理解する事を教えてくれます。

2つ目に

社会生活の場

まずは、家族

子どもにとって初めて出来た

小さな社会で

『会話』を十分に体験します。

そこで培われた体験が

家庭よりも少し大きくなった

小学校と言う子供の社会で活かされ

体験し学び取ってゆくのです。

相手が伝えたい事

自分が伝えたい事








なぜ『会話』が必要なのか?

それは、皆様が痛烈に感じていらっしゃる

と、想像します。

社会に適応して人として過ごしてゆく為に

必要なんです。

助けてほしい時に『助けて』と言えるか

それを聞いてどこまでを理解することができるか。








では、誰のために必要な学びなのか?

まずは、幸せに生きたい。

そう思っている。

そして、

幸せとは自分だけで得られるものでない

全てのつながりから得られるものである

それに気づいている人

誰もが生きやすい町でありたい

そう望む人の為に必要な学びです。

ただ、

とても難しくて

失敗も沢山するのだけれど

その失敗を何回も何回も

経験として越えてこなければ

いけなくて

それが、めんどくさかったり

しんどかったりすれば

たった一人の場所へ

引きこもったり

2次元の世界へと身をおいたり

逃げられる場所はいくらでもあるし・・・









さて、最後に

どうすれば

『会話』ができるようになるのか?

子ども達の発達を伸ばす為の

手段として学習を使う私には

『国語の成績を上げたい』

『文章が全然読めない』という

相談が来ます。

例え国語の成績がとてもよかったとしても

子どもにとっての初めての社会

家族のなかで

相手の事が理解できる事や

自分の事を伝える事が

出来なければ

やがて待ち構える社会で

国語の評価など

なんの価値もない。

家族と言う社会での『会話』

これが1番の学びで

体験学習になる

私が介入できない家族での社会。

そこから

ようやく

小学校・中学校と社会を広げるなかで

国語と言う教科の

読解での文章から

伝えたい事は何かを

理解してゆくという事になる。

物事には

順番がある。

社会性 体験 会話 コミニケーションが

先で 評価は後。

何かの偶然に

国語の評価や算数の評価が高くても

『会話』とは何か?がわかっていなければ

それは、一番

悲しい事だと私は思う。


『何がわからないかがわからない』

わからない事の根っこを探す。

そこから、少しずつ

積み重ねてゆく。

その結果

発達が伸びる

どんな小さな発達も

見逃さない。

心に決めている事を

再確認する今日です。


国語の成績が上がらない

算数の文章問題が読めない

その問題の

根っこはどこにあるのでしょうか?

いまいちど

共に考え育ちましょう。

根っこの力を付ける

土台を作る

それは見えない学力ですが

見えないものほど

大事な事があります。




またも

長くなって・・・

共依存はまた、あしたにしよ~


追伸

って、手紙じゃないけど

その人に会うと

やる気が湧いてくる

思考をおこし整理するために

活字で視覚化する

そして実行に移す

そんなパワーが出てくる。


人を

やる気にさせる人

考えさせる人

そういう人が

ボスだと思う。