私が気にするからか、世の中が求めているのか
最近子供の携帯電話マナーを取り扱うテレビ番組の
ひとコマをよく見かける。
『家族との食事中でも携帯でメールが来るか必ずチェックしてる。』
『メールがあれば、すぐに返信する、使命感のように。』
上記のような困りごとを専門家が聞いている。
そこで、ジャーナリストが
『メールの返信の速度で友達具合をはかるような風潮もあるようです。』と言った。
(へ~、子供もいろいろ大変だな。)私
ここで、専門家が
『家族でも何時は携帯を使ってもいい時なのかルールを決める必要があります。』
と締めくくったのだ。
この絵は、皆さん想像がつくだろう
幼い子供がやってしまう電車のつり革でのおふざけだ。
コレなら、ルールを教える必要がある。
小さい子供達は、電車でのルールを知っていない
何がどうなって誰に迷惑をかけるのか
公共の場の意味合いも教えないといけないだろう。
しかし、家庭での携帯のルール?
私は、?ハテナだ
もちろん、教えるというより、調子に乗るなよ!という
意味での、ルールの再確認ならまだわかるが
子供達に必要なのは携帯電話でのルールではないと私は思う。
彼らは、もう十分にわかっている。
自分達が、食事中に携帯をいじり、家族の雰囲気を壊している事を。
せっかくの料理も、携帯片手で家族との会話も出来ないのなら
空気を悪くしている原因は自分だとリアルに感じている。
完全に理解しているルールがなぜ守れないのか?
そこに問題を移すべきだ。
なぜ守れないのか?
『メールの返信の速度で友達具合をはかるような風潮もあるようです。』と言った。
ジャーナリストの言葉が本当であるなら
2次元でのやり取りに依存している中、3次元の付き合いで
例えば、『うちの家、食事中携帯禁止なんだ~だから返信すごく遅れる事あるけどゴメンね~』
って言えないのじゃないかと思う。
そこが、問題として、論じて欲しいところだ
大人でも同じように思う、携帯でいつでも連絡をとれるようになったため
あー今、しゃべれないという時でも、切る理由を言い出すまでに時間がかかる。
人間関係の中で、メールでも早く返したいと思う事もある。
面と向かって、断れない、たとえメールを使ってでも良い
それでも断れない、出来ない理由を伝えられない。
何か(家族との食事)が犠牲になっても、それくらいの事で済むなら
出来ない、と言うよりも、やってしまう。
問題は、大人も子供も同じところにあると思う
『事なかれ主義』
意見とか提案とか・・・めんどくさい。
どうだろう?
私も子供達と話してみよう。