けいちゃんのブログ さんより転載させていただきました。




         被災後のペットたちの現実です


長いですが、是非お読みください


     *☆*:;;;:*☆*:;;;:転載*☆*:;;;:*☆*:;;;:





震災より5か月。


福島の動物たちを救う事は難しくなってきている。


多くのボランティアの方達により救われた命。


そして福島の動物病院には


多くの傷ついた犬や猫が運びこまれていた。


その渾身の治療経過を聞いてはいたが


ブログに載せる気にはなれなかった。


・・・醜い傷口をさらしてしまう事はかわいそうな気持ちになっていたのだった。


しかし振り返ってみると、その治療の過程は生きる事。


この犬が自分をさらしても


良いから・・と言ったかは分からないけれど「伝えて!」と言っているように思えた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇以下、動物病院からの救出時の様子。


震災以来、何頭になるだろうか?


楢葉からレスキューが電話をかけてきた。


「犬おねがいできますか?」・・連休明けで手術と外来は、すでにいっぱいだ。


「血がぽたぽた落ちるほど出ているんですが」


う~ん、たいへんだなと思いつつ引き受けた。


昼には犬2匹と猫4匹を積んだ車が到着したが、


うちで引き受ける犬は、見てみると酷い。


首の周りは、血膿が毛にこびり付き、


ツララのようになった先端からも滴り落ちている。


臭いも蛆の湧いている独特のものだ。


抗生物質を打った程度ではおさまりそうにもない。

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麻酔をかける外科的処置が必要のようだが、


この臭いと、黒豆大のマダニが全身に数え
きれない程くっついてるようでは、


入院用の犬舎には、入れることができない。


とりあえず、診察台のわきに、


簡易のケージに入れたまま毛布をかけて順番を待ってもらうことにした。


しかし、彼の(オスだったので)順番は、


夜の7時になってしまった。


汚いから最後になったのではない。


臭いのだから、早く手当して臭いを取りたかったが、


彼は、衰弱しているにもかかわらず唸るし咬もうとするので、


麻酔をかけるのに人手が必要なためだ。


さて、始めたものの、膿は固く固まり、バリカンが入らない。


丁寧に鋏を入れて毛を始末していくと傷口が出てきた。


案の定、蛆がわき、溜まった膿がどろっと流れ出てくる。


大きな穴が4か所。やっぱり咬まれ傷だ。


レスキューの話では、彼を保護した家の周辺には、


愚連隊のように徒党を組んだ犬が4,5匹うろつき、


彼は、牛のいる牛舎の藁に隠れていたのを見つけだされたということだ。


尻尾も皮膚がぼこぼこになっているので毛刈りをしてみると散々咬まれていた。


まるで集団リンチを受けたかのようだ。



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さて、困った。

彼の唸りは、怯えからくるものなのか、性質が荒いのか、


場合によっては、せっかく傷の処置をしても治るまでの


傷洗浄が出来ないかもしれない。


ましてや里親のなり手もいなければ、安楽死をしなければならなくなる。


皆で悩む・・・しかし、歯を見ると、そう歳をとっているよう


でもないし、と悩んだあげく、まあなんとかなるか、と
最後までしっかりと手術を終えた。


朝、彼を診に行くと余程疲れ切っていたのか、まだぐったりとしていた。


簀子の下の受け皿を見ると、いかに彼が過酷な環境にいたのかを知ることになった。


便が大量にあったのだが、そのほとんどが種もみだった。


もみ殻をかぶったままなので当然未消化のまま排泄されていたが、

どんなに空腹だったか、どんなにお腹が痛かっただろうかと思うと不憫で涙がでてきた。


水を入れてやると、オズオズとしながらもおいしそうに飲んだ。

餌は、消化器障害用の処方食を開けてやると夢中になって食べた。


なんとなく、彼との距離が少し近くなったような感じがして、

「これなら、治療をさせるようになるかも知れない」と安心できた。


午後は、外に出してやろうと、つけっぱなしにしていた胴輪のリードを引くが、脚をふんばって出ようとしない。


まだ警戒心が強いようなので、


美味しいもので歓心を買おうと、一時間おきにチーズを一かけ、煮干しを一匹と、


だんだんに私を「美味しいものをくれるおばさん」と印象付けるようにした。


努力のかいあって、夜には、やっと外に連れ出すことが出来たが、今度は、またふんばって病院に入らない。


無理をして咬まれるのも嫌だし、だいたい、震災の翌日に猫に咬まれた傷がやっと治ったところなのに、


まったく、お節介なばかりに、どうして面倒なこと
引き受けたのだろうと後悔する。

夜になりレスキューより電話がある。


犬を保護した家のご主人から連絡があったとのこ
とだ。


こちらに連れてきたその日に、


楢葉に様子を見に行った近所の人が、レスキューの張り紙を見て飼い犬が保護されたことを知ったようだ。


飼い主の携帯番号を聞いて、今後の相談に電話をかけた。
名前を聞くと「ごん太」だそうだ。年齢は6~7歳。


生後一週間でもらってきたごん太を哺乳瓶で育てたそうだ。


ごん太の怪我の状態を報告すると、突然の号泣。


4月21日に楢葉への立ち入りを禁止されるまでは、4~5日に一度は自宅に戻り、


10数頭いる牛や鶏、ごん太の世話をしていたそうだ。


いつも後ろ髪を引かれながら避難所に戻るのだが、


おいて行かれるごん太は、車を追い、


その後しょんぼりとうなだれる姿をみて可哀想でならなかったこと。


最後の21日は、「もう来ることが出来ないから、かんべんしてくれな・・」と言い、


車に乗り込んでも一切ごん太は振り返らなかったと・・夫婦で泣きながら家を後にしてきたことを話してくれた。


怪我の様子を聞いた飼い主は、


「そんなにひどい怪我をしているなら、いっそ安楽死してくれたほうが・」と言った。


しかし、少し努力すれば治らない怪我ではないことを告げると、現在の避難の状況をはなしてくれた。


楢葉の自宅なら◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇犬など問題なくいくらでも飼うことができるが、どの程度で楢葉に帰ることが出来るのか、


はたして帰郷そのものが叶うのかどうかもわからず、楢葉には、

政府からも具体的な話が殆どされていないこと等を考えると、ごん太を引き取ることは、


到底出来ないことだと理解できた。


飼い主は、声の様子や口調から私とそう変わらない年齢だと思うが、臆面もなく涙声だ。


私まで悲しくなり涙声になっていた。


これ以上引きずると、話が前に進まなくなるので、


元気よく「ごん太くんの怪我は責任をもって治します。


せっかく一度は助けられた命なのだから寿命を全うさせてやりましょう。


可愛がってくれる里親を必ず探しますので、ご自分たちの生活を立て直すことに専念してください。


いつでも面会は、できるようにしておきますので」と電話をきった。


その日から3か月。



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大好きな仮のママと。



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散歩のあとの・・・。ごん太。



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