今日のネタも80'sものです。
とは言っても、僕がこのバンドを真剣に聞いたのは90年代の最初のころ。
ニール・ヤング、スザンヌ・ヴェガを聞きまくっていたころにロッキン・オン経由で出会ったというか。
ヴィジュアル的には当初は拒否反応があったのですが、"kiss me Kiss me"というアルバムを
じっくり聴いてみたらしっかり曲も練られているし、ギターの使い方も音色・フレージング共に上手いし。
あと歌詞もいいんだよね。曲のタイトルにもシンプルながら深いものもあるし。
彼らには "Why can't I be you?"(なぜ僕は君になれないの?)というヒット曲もありますが、
これなんか究極の恋愛感情の形ではないでしょうか?
相手を自分のものにしたい、っていうよりも自分が相手と同じ人間になっちゃいたい、でもなれない、
そのもどかしさ、みたいな。
どんな展開だ...
もともと80's ミュージックには何の共感もなかったのです。世の中がスリラーだのMTVだの
騒いでいる頃にも、一人60年代後半~70年代前半のロックに浸っていたし。
だいたい80'sのバンドの音処理がどうも苦手でして。なんかきらびやか過ぎるというか、
シンセの音色といい、ゲートリバーブ?かけまくりのあの残響のかかり方がだめで。
90年代に入ってレニー・クラヴィッツが登場して、あのモコモコな感じのもっさい音色が流行り
出すまではホント辛かったです。
で、今日書きたいのは音色というよりも曲の構成ですね。コード進行的にはイントロのベース
の4小節でこの曲の骨格の提示はおしまいです。後はこの土台に、唄を含めて色んな音のトッピング
をのっけていくだけなのですが、この手法ってほとんどファンクとかソウルに近い曲の作り方
と言えないでしょうかね?
ちなみに先述の "Why can't I be you?" とか"Hot Hot Hot"などのヒット曲もベースラインを
基調に、ギターのカッティングで曲をひっぱり、ホーン(またはシンセで代用)でアクセントとなる
装飾を施すという作られ方になっています。
大雑把に言い切っちゃいますと、これって彼らなりのダンス・ミュージックなんでしょうね。
でも残念ながらイマひとつ踊れない感じになっています。原因はまあ端的に言ってドラムでしょう。
こういうホワイティーに特有なぶっ叩き系のドラムじゃ、いくら16ビートを刻んでいてもウラの
感じが全然出てないし、レイドバックしてないからかなあ?不思議なくらいにグルーブが感じられない。
まあ、そのぎこちなさがなんとも言えない「味」だとも言えるわけでして...
"Fascination Street" / The Cure
悪口書いちゃいましたが、個人的にはリーダーでボーカルのロバート・スミスさんのこういう
ミニマルなパターンを繰り返すだけの曲作り(ループというかシーケンスというか)、結構好きです。
で、J-POPではその手のミニマルなパターンを繰り返すだけのものってあんまりないんだよねえ~
とかつて近田春夫大先生がその著書「考えるヒット」で言及されていたのを思い出しました。
確かに日本人のファンク系と言われている人でもワン・コードで1曲を押し切っちゃう人って、あんまり
いないなあと。どうしても A メロ、 B メロ、 サビ みたいな、変にご丁寧な曲構成から
抜け切れていない場合が多くありませんか?
スガシカオ大先生の楽曲群、個人的に大好きなんですが、
ファンク色の強い曲では A メロ、B メロ がむしろ無い方がいいのに、って思うことがよくあります。
強烈なグルーブが出ているからこそ、もったいなし! な曲、結構あるんだよねえ。
その近田春夫大先生がミニマル・パターンのループのみで成立している珍しい J-POP の曲として
当時絶賛していたのがこの曲。
「春が来たら」/ 松たか子
良い曲だけれどパフォーマンスが弱いなあ...しょうがないか...
とは言っても、僕がこのバンドを真剣に聞いたのは90年代の最初のころ。
ニール・ヤング、スザンヌ・ヴェガを聞きまくっていたころにロッキン・オン経由で出会ったというか。
ヴィジュアル的には当初は拒否反応があったのですが、"kiss me Kiss me"というアルバムを
じっくり聴いてみたらしっかり曲も練られているし、ギターの使い方も音色・フレージング共に上手いし。
あと歌詞もいいんだよね。曲のタイトルにもシンプルながら深いものもあるし。
彼らには "Why can't I be you?"(なぜ僕は君になれないの?)というヒット曲もありますが、
これなんか究極の恋愛感情の形ではないでしょうか?
相手を自分のものにしたい、っていうよりも自分が相手と同じ人間になっちゃいたい、でもなれない、
そのもどかしさ、みたいな。
どんな展開だ...
もともと80's ミュージックには何の共感もなかったのです。世の中がスリラーだのMTVだの
騒いでいる頃にも、一人60年代後半~70年代前半のロックに浸っていたし。
だいたい80'sのバンドの音処理がどうも苦手でして。なんかきらびやか過ぎるというか、
シンセの音色といい、ゲートリバーブ?かけまくりのあの残響のかかり方がだめで。
90年代に入ってレニー・クラヴィッツが登場して、あのモコモコな感じのもっさい音色が流行り
出すまではホント辛かったです。
で、今日書きたいのは音色というよりも曲の構成ですね。コード進行的にはイントロのベース
の4小節でこの曲の骨格の提示はおしまいです。後はこの土台に、唄を含めて色んな音のトッピング
をのっけていくだけなのですが、この手法ってほとんどファンクとかソウルに近い曲の作り方
と言えないでしょうかね?
ちなみに先述の "Why can't I be you?" とか"Hot Hot Hot"などのヒット曲もベースラインを
基調に、ギターのカッティングで曲をひっぱり、ホーン(またはシンセで代用)でアクセントとなる
装飾を施すという作られ方になっています。
大雑把に言い切っちゃいますと、これって彼らなりのダンス・ミュージックなんでしょうね。
でも残念ながらイマひとつ踊れない感じになっています。原因はまあ端的に言ってドラムでしょう。
こういうホワイティーに特有なぶっ叩き系のドラムじゃ、いくら16ビートを刻んでいてもウラの
感じが全然出てないし、レイドバックしてないからかなあ?不思議なくらいにグルーブが感じられない。
まあ、そのぎこちなさがなんとも言えない「味」だとも言えるわけでして...
"Fascination Street" / The Cure
悪口書いちゃいましたが、個人的にはリーダーでボーカルのロバート・スミスさんのこういう
ミニマルなパターンを繰り返すだけの曲作り(ループというかシーケンスというか)、結構好きです。
で、J-POPではその手のミニマルなパターンを繰り返すだけのものってあんまりないんだよねえ~
とかつて近田春夫大先生がその著書「考えるヒット」で言及されていたのを思い出しました。
確かに日本人のファンク系と言われている人でもワン・コードで1曲を押し切っちゃう人って、あんまり
いないなあと。どうしても A メロ、 B メロ、 サビ みたいな、変にご丁寧な曲構成から
抜け切れていない場合が多くありませんか?
スガシカオ大先生の楽曲群、個人的に大好きなんですが、
ファンク色の強い曲では A メロ、B メロ がむしろ無い方がいいのに、って思うことがよくあります。
強烈なグルーブが出ているからこそ、もったいなし! な曲、結構あるんだよねえ。
その近田春夫大先生がミニマル・パターンのループのみで成立している珍しい J-POP の曲として
当時絶賛していたのがこの曲。
「春が来たら」/ 松たか子
良い曲だけれどパフォーマンスが弱いなあ...しょうがないか...