25,6の頃かなあ。精神的にさまよっていた時があって。もうその頃は「二ール・ヤング孤独の旅路」時代に突入して7,8年経っていたのだけれど一番ダウナーな時期でした。

その頃愛聴していた作品群がこれ。

"On the beach""Tonight's the night""Live lust"(Neil Young)
"Suzanne Vega""Solitude standing"(Suzanne Vega)
"Disintegration"(The Cure)                などなど。(はあ~だめだこりゃ)

で、そんな内省的な洋楽アルバムに救いを求めていたのだけれど、やっぱ言葉がねえ、原風景がねえ違うんだなあ、って痛感するようになったのです。

抱えこんだものの大きさは奴らと同じ(と勝手に思い込み)でも、最終的なニュアンスのところが英語じゃないんだと悟り、憧れの70年代初期に、日本のバンドしかも東京のバンドを求めて色々探してみました。

時は90年代初頭、ちょうどCDによる復刻版ブームの頃でした。

「はっぴえんど」はずーっと凄い気になっていた存在だけれど、スタジオ盤でなくライブ盤CD、それもデビュー直後のまだまだ演奏・機材・録音状態などが原始的で荒削りなものばかりを集めたものに出会いました。

衝撃。日本語の歌詞がどうのこうのというよりも、なんだ!この鬱屈した歌声にズルズルなファズ・ギターは。ドコスコなドラムは止まっちまいそう。まずは音色の古さに、情念・観念先走りの音世界に感動。まさに元祖グランジ・ロック!

 「 12月の雨の日 / はっぴいえんど 」




大滝詠一・鈴木茂大先生といえば、なんかこうポップス職人でオシャレなイメージを持っていたのですが、いやあ物凄い暗いです。なんだろう、時代のせいなのかな。確かにバッファロー・スプリングフィールド(あ、二ール・ヤングがプロ・デビューしたバンドね)系の流れをくんだ世界なんだけれど、もっと暗い。「春よ来い」「12月の雨の日」「氷雨月のスケッチ」などギターのフレージングは言ってしまえばスティーブン・スティルスなんですが、渦巻く情念はより二ール寄り。なんか学生運動・あさま山荘事件・三億円事件そういった世相を彩るキーワードが浮かんで来るというか。

そんな勝手な解釈なもとに「はっぴいえんど」を聴きまくり、「はちみつぱい」やら「シュガーベイブ」を通過し...

で、三多摩人(日野市出身です)としてはこのお方は避けて通るわけには行きませんでした。

RCが物凄く流行ったのは僕が中学3年から高校入学の頃だったかな?当時は洋楽絶対主義者だったので「なんかストーンズのまねじゃん」とか「ギター下手!」とか、まあパープリンな価値観でほぼ無視していましたけどね。だから僕にとっては「雨上がりの夜空に」も「トランジスタ・ラジオ」も「青春の思い出」にはまったくリンクしていないのです。

このアルバム「シングルマン」を手に取ったのは、彼の半自伝の本(タイトル忘れた)を読み、その中で自殺した彼の友人を歌った「ヒッピーに捧ぐ」という曲があるというのを知ったからです。

青年後期の憂鬱って奴ですかねえ。破滅願望というか、うん、なんというんだろうジミヘンとかじゃない
けど27歳以上生きちゃいけない、とかそんなおバカな「美学=勘違い」に酔いしれたかったのでしょうね。そこに何かの「答え」があると思い込みそうになっていたというか。アホですねえ。まあ、とにかく「ヒッピーに捧ぐ」の圧倒的な悲しさ・美しさ・力強さは今まで聞いた日本のバンドの中でピカイチでした。やられた。

さらに言うと、彼らの歌の世界が国立とか福生だとか、自分の慣れ親しんだ(だからこそ鬱陶しい)この三多摩を背景にしているということにヘンな親近感を覚えたりもしたものです。同じ「孤独」でも、ロスでもNYでもなく三多摩での「孤独」かあ、って。

ちなみに「シングルマン」は70年代中盤の発売で全然売れず、廃盤になっていたのですね。バンドとしても一番ダウナーな時期の作品なはずです。だからこそ一番美しい。

僕にとっての清志郎師匠のベスト・トラックは「ヒッピーに捧ぐ」とこの曲に尽きます。


 「 甲州街道はもう秋なのさ / RCサクセション 」



熱心なファンではなかった僕ですがお悔やみ申し上げます。
あなたは日本で数少ない本物のソウル・マンでした! 

最後にあなたの「遺影」に向かって、あなたがステージで良く言っていたネタを捧げます! 

「Yeah!って言え!」