回想③
キッスで洋楽に目覚めた、時は70年代末期。ハードロックはもはや
過去のものとされ、ディスコ熱もピークに達し、テクノとかの「ニュー・
ウェーブ」が勃発する直前?そんな頃の話です。
当時小6だった僕の数少ない洋楽情報源だったテレビ番組「ぎんざNOW」
の木曜日。お目当てのキッスの映像が流れなくても食い入るようにして
観ていましたよ、毎週のように流れる「サタデーナイトフィーバー」のPVを
苦々しい想いで眺めながら、アンチ・ディスコ魂を幼心に深く刻みつけ
ていたものです。
そんな頃、なんとなく心が惹かれる音楽がありました。わざわざレコードを
買うほどではないのだけれど、いい曲だなあ、なんかこのメロディいいなあ、
と思ったのが今日の映像。スティービー・ワンダーの「愛するデューク」
です。思い返せば、今のソウル&ファンク好きはこの頃から密かに始まって
いたんだなあ。
当時は「デュークって誰?」とかそんなことは一切に疑問に思うことも
なく、あのキメキメの間奏(全員ユニゾン!)のフレーズのかっこよさ
(まあベタなペンタ・トニックですけど)にしびれていました。のちに高校
の吹奏楽部で実際に演奏するとは思わなかったけど。
ちなみに「デューク」がジャズの大御所、デューク・エリントンのことだと
知ったのも随分後になってのことでした。成長が遅い。
この時の映像は当時ヤマハが主催していた東京音楽祭?の時のもの
ですかね。共演者たちがステージに一緒に上がってノリノリ。着物姿なの
は岩崎宏美!ファンキーとしか言いようのない演奏です。ちとホーンが
少なくて、キメも粗い雑な感じの演奏ですが、メドレーで I wish につづく
ところが最高!しかしネイザン・ワッツのベースがどす黒いなあ。
http://jp.youtube.com/watch?v=_ibXXA6zqDc
しかし、小6じゃ、この渋さというかブラックのかっこよい黒さは分からない
ですね。少なくとも僕はそうだっだてす。だって血を吐いたり火を噴いたり、
ギターから煙がもうもう出るギターソロが最高!って思ってたガキですから。
この頃からブラック・ミュージックオンリーで聴いていたら...遠回りの音楽
人生です。
で、スティービーと言えば、その存在が巨大すぎて黒人コメディアンたちの
モノモネ、というかもっときわどいネタの格好の餌食になっていますね。
代表的なのがエディー・マーフィーのこの映像。
自分の英語力の限界をさらしながらも、こんな感じかなあと超意訳。
エディ「スティービー・ワンダーのことになると、ブラックの連中は
冷静な判断ができなくなるんだ。こないだも、ある野郎が俺に
”お前またスティービーをネタにしただろう!このドアホ!
スティービーは天才的音楽家なんだ!”
ってマジ切れしてやんの。」
エディ「スティービーが話し始めたら要注意!奴の話は長すぎる!
例えばグラミー賞の授賞式のスピーチ。
”まず世界中のみなさんに感謝を...” とか言い始めたら奴を
黙らせろ!ほっとけば、番組のエンド・ロールが流れ始めてもまだ
”神様がお与えになった子供たちに...”とかほざいているはず。
間違いない!」
エディ「俺がスティービーの運転手だったら、こう言うぜ。
”なあ、スティービー、あんたいい奴だし。ピアノも歌もうまいよな。
でも俺はその程度じゃあビビらないぜ。
俺をビビらせたかったらこのハンドル握って運転してみな。」
かなりギリギリです。
http://jp.youtube.com/watch?v=Avh2QdAxQjw
ネット上にも色々なスティービー・ネタが溢れています。
Q「スティービー・ワンダーの最初のヒット(大当たり)は?」
A「電柱」
Q「子供の頃、悪さをしたスティービーに、彼の母親はどんな罰を与えた?」
A「部屋の模様替え」
ギリギリです。
ネイティブってこういうジョーク好きだよね。スティービーに映画の
サントラの仕事を発注するとか...
「映像から感じ取ったものを曲にして下さい」って...
なんかデーブ・スペクター的空間が広がってきましたね。
次回は、いよいよギター小僧全開!な感じで。誰のニーズもないだろうけど。