2010年が明けた頃から妊娠後期に入った。
毎年ご来光を見ているわけじゃないけれど、1月1日の元旦は近所の公園にぷに男と日の出を見に行った。
そして会社が始まって、通常私がやっていた業務は引き継ぎの担当の子にやってもらい、確認しつつ、私は引き継ぎのためのファイル作りを始めた。
私がいなくてもそのファイルを見れば誰でもその仕事できるように完璧な辞書みたい便利帳なものを。
ただこの時点では産休だけで復帰する気満々で、近所の認可保育園のことを調べたりしていた。
そして見つけた色々な制度。
これがあったおかげで、育休をとろうかなって思った。
それがこれ。
中小企業って一人の負担が大きいから仕事を抜けるのも難しいし、まわりに負担を強いちゃうから申し訳ない。でも会社は辞めたくない。
大企業なら結構育休もとりやすいだろうけれど。
この制度、リンクにとんでもらえばわかるけれど、初めて育休取得が出た場合、最高100万円会社に支給されるのだ!
うちは上記の制度に当てはまる会社なので、私が復帰したらこの制度を使うつもり。
小さい会社には本当助かる!
(21世紀職業財団は両立支援の色々な制度を紹介しているので、興味のある方はどうぞ。こちら。 )
会社では子供いる人がいない(どころか既婚者もゼロな)ので、産休や育休の申請方法もたくさん調べた。
年が明けて会社では店舗のオープニングパーティなども大きなお腹で参加したり、いつもと何のかわりもなく働いていた。
うちの会社はパーティ等は禁煙が多いのでありがたかった。
引き継ぎも順調に進み、あっという間に34週目も迎え、普通なら産休に入れる時期になった。
たしかこのあたりで、ぷに男と一緒に病院の妊婦教室みたいなものに参加。
12,3組いた夫婦たちの中になんと外国人パパがうちを含めて3組も!と驚いたなぁ。
今は立会い出産が当たり前のようで、それがとてもうれしかった。
区の妊婦教室にも会社の休みを水曜日にして通った。
(臨月近かったのは私だけで、沐浴の練習とかお腹が出すぎてなかなか大変だったな)
その辺りから週に2,3回の出勤にして、いよいよ36週を超えたころ、「会社で破水したらどうしよう」とふと思い、担当の先生ンにも「もう臨月だからいつ生まれてもおかしくないからねー、ほどほどに」と言われたこともあって、37週を最後に出勤はしなくなった。
その代わり、家で事業計画書の英語版を訳してみたり、家から会社に電話してみんなに指示をだしたりしていた。
ただ内勤?みたいなものをしたら、プライベートと仕事がごっちゃになって嫌だと思った。
会社のメールも家のPCで見れるようにしたから、土日でも仕事しちゃうし、うまく家で休めない。
100%以上一生懸命になってしまう傾向があるので、徹夜で英訳した・・・。
それでぷに男に怒られ、仕事は基本的に家ではメールチェックとサポートだけにした。
そしたらいつもよりぐっと時間があって、家の掃除を熱心にしてみたり、赤ちゃんの靴下編んでみたり、友達と夜な夜な遊んでいた。(みんな働いているから夜しか会えない)
母には臨月妊婦が何してるの・・・と呆れられていたけれど、友人と会うときはうちか病院まで車で10分以内でいけるところで遊んでいた。
ただもう赤ちゃんが下に降りてきていて、歩くのも下半身が全部痛かったな。
ご飯もお腹が圧迫されているからあまりおいしくなかったし、息苦しいし、夜はおしっこに2回は起きていた。
身体的には結構辛い。
家にいるときはベッドにごろごろしていて、フジテレビの韓国ドラマ「華麗なる遺産」にはまっていた。
韓国ドラマって日本のドラマよりずっとおもしろい。
昼ドラのさわやかバージョンというか、あり得ない展開が多いんだけれどドロドロしすぎなくて。
38週の健診では先生に「子宮口が2,3センチ開いてきているから連休中に生まれるかもな」といわれかなりドキドキして連休を過ごしていた。
陣痛~出産までの流れをネットで探して読みあさったり、ブログなどもたくさん読んだ。
こわいし緊張するし、出産経験した子に色々聞いてみたり。
ところが何もなく過ぎた・・・。
それで3月まれになるか4月生まれになるかでドキドキしていた。
3月の最後の健診、妊娠40週の時に
「来週まで陣痛なければ促進剤でうみましょう」と言われた。
もうそのころには、体も限界に来ていてもう産みたい。と思っていた。
このころ外を歩いて赤ちゃん連れのママに会うと、『この人は私の未経験ゾーンを通過しているんだ』『うらやましい、もう終わって』と尊敬と疎ましい気持ちの両方で見ていたな。笑