うちの両親は、どっちもちょっと?(とてもかも・・・)おかしい。


そのせいで、いろんなコンプレックスを私は持ってしまった。

そのコンプレックスと戦いながら、生きるのはなかなか辛いもので、アンジェラにはそんな思いさせたくない。



父、私のコンプレックスの最大の原因。

でも父の母(私の祖母)がつけてしまった父のコンプレックスが私にきているという事実。

だからこの負の連鎖を私はアンジェラに引き継ぎたくないなって思う。


私の父は結構なお坊ちゃんとして生まれ、育てられた。

祖母は(おそらく)教育ママだったみたいで、習い事をさせられまくっていたらしい。

小学校から国立で、電車で通学。だから地元には全く友達なし。

だから地元の友達へのあこがれが強かったので、子供は絶対近所の公立しか考えなかった。

父の中で「普通の子供」が憧れだったようで、なるべく普通の教育をさせたがったようで。


そんな父は強烈に習い事が嫌いだったから、その反動でか私には習い事を全くさせてくれなかったガーン



小学校にもなれば、周りは何かしら習い事していた。

私はさせてもらえない。

友達と遊んでいても、仲良しの友達の中でそろばん塾がはやっていて、そろばん塾の時間になると私だけみんなとバイバイ。

何度父に泣いて訴えてもやらせてもらえなかった。

私にはそろばん塾でもらえるロケット鉛筆が何よりも羨ましかった。しょぼん




中学になって、英語がよく分からなくなって、数学も(精神病の先生で全然教えてくれない先生に当たってガーン)分からなくなって「塾に行きたい」と父に言った時。

「なんのために?」と父

「勉強するために」と私。


「学校が勉強するところ!学校以外では勉強しなくていい。やりたければ自分で勉強しなさい」

と言われた。

今考えればもっともだけど家で勉強する習慣もなかった私は、家で勉強することの意味さえ良く分からず放置。


中学入学時に学年トップだった成績が、3年生になった頃にはいつのまにか真ん中くらいに・・・。

社会とか理科などの記憶だけできればいい科目だけは成績は良かったが、積み重ねが重要な英語や数学は死んでいた。それでも父は特に気にせず。


でも縁あって入った高校で、鬼のように怖い英語の先生に出会って、英語は勉強するようになって、みるみるV字回復。なんとか大学に行けたけれど。


高校生の頃、留学したくてしたくて勝手に応募した何かの奨学金の留学制度。

ほぼ親の金額的負担はなかったはずなのに「留学は大学生になってからでいい」と言われ、却下。叫び



高3の頃、予備校に行かせてもらうのも本当に一苦労で、予備校に行きたい理由を論文みたいのを書けと言って、高2のころから1年かけて説得した。思い出すだけでもげっそり。



もうこの父親から離れたくて、大学は地方の大学に行きたかったのに

「生活費は払わないよ。学費も半額は自分で負担な。アメリカではみんな自分で払っているんだ」と言われガーン地方一人暮らしの夢は儚く散った。私はアメリカ人じゃないし・・・。

だって、バイトしても仕送りなしで生きていけるとは思えなかった。


子供手当いらないから、学費を無料にしてほしい。と私は思う。

なぜなら、うちみたいなアンポンタンな父を持つと学費のためだけに大学も行けない可能性がある。

そんなの可哀想すぎる。


受験もまわりは滑り止めやなにやらで5校以上は受けていたのに、私は3校だけ。

(私が勝ち取ってきたことが、ルールになる我が家では、妹弟もみんな3校だけ受験。塾も高校3年になったらOK)


大学入学時から苦学生を強いられるのが目に見えていた(が、母がここは助けてくれて学費は親が全部出してくれた。)

教科書代とか、携帯代、洋服代、定期代はもちろん全部自分のアルバイトでまかなった。

結構これがかかるから、いつもアルバイトで忙しかった。



続いて大学の頃、当時TOEFL500点さえ取れば、大学の交換留学制度で(あっちの学費負担はなしで)アメリカのUC系の大学に行けたのに、必死で英語を勉強し通ったのに

「自分で費用出すならもちろん問題ないよ」グッド!

と言われ、大学2年だった私が恐らく生活費で1年200万くらいかかるだろう費用をポンと出せるわけもなく留学断念。プンプン

私の努力はなんだったの・・・ガーン



これがね、本当に貧乏で出せないとかなら私だって納得できた。

だって親に迷惑はかけたくない。


けれど、うちは4人きょうだいと言えども共働きで2人とも稼ぎは悪くない。

少なくとも私が中学に上がる頃には両親結構いい金額を稼いでいた。


今見る限りでも、教育費への投資が恐ろしく低い家庭ドクロな上に両親どっちも浪費家ではない。



所得があるから奨学金も利用できない。いるのは親の許可だけ。

お金を貸してくださいも通らなかったしょぼん




このくそ親父に私の将来をことごとくつぶされている気がして、何度泣いたか。

私の10代はこの父親との戦いだった。


母も「あんたは元が良かったのにお父さんが必死に賢くなるのを邪魔していたよね」と最近言っていた。



だからはやく社会人になりたかった。

父の呪縛?から自由になりたくて、就職もフィリピンなんかに行ってしまった。

就職した頃はもう親の許可がいらない世界で心おきなく自由に羽ばたけた気がして、本当に幸せだった。『私は自由だ!』と思った。

(自己責任のことなら、あまり文句を言わない父)


今でも親と一緒だった頃が一番大変だったと思う。

やりたいことがお金がなくてできないジレンマ。

社会人になって、お金がなくてできなくても、自分の責任だからあきらめがついた。


でも小学校の頃とかは、友達みんなのおうちがそろばん行けているのに、私だけ行けないなんて不公平さを感じてとっても悲しかったし、大学の頃も留学している友人を見ては「なんで私は努力しても留学できないんだろう」と思った・・・。


フランスにいた頃自分と同い年くらいで、親のお金でお遊び語学留学している人とか見るとよく「くやしい」と思った。だって語学留学で親にお金だしてもらえるなんて、なんとラッキーなの。

自分は生活のためにフランスで働いていたから、同じくらいの年齢の遊んでいる子たちを見ると嫉妬心がメラメラ・・・。そんな醜い嫉妬心を自分の中に発見すると自己嫌悪になった。


正規留学はなかなか大変なのを知っていたので、フランスで正規留学している人見るとかなり尊敬していたけど。



あと、私は専業主婦に対して実は劣等感があるのだと思う。

それは自分の母がずっと働く母で、父も「これからは女が働く時代」と言って私たちを育ててきたのに、2人が離婚すると父が最近相手に選んだ新しい奥さんは「専業主婦以外の選択はありえない」女性だった。子なしで、専業主婦。 ガーンえ? 



結局4人も産んで働き続けた母より、専業主婦が勝つんだよと言われているようで、私には辛かった。

(あ、離婚自体は実際父母どちらも合意の上だったのだけれども)





それからというもの、自分の中では専業主婦になったら自分を否定されているような、自分の信じていた信念が壊される気がして、どうしてもその選択はできない。


もっと柔軟な考え方ができればいいのにと。だけど、それができない。たぶんしたくもない。

私にとっては働き続けることが自分でいることの1つなのだと思う。

(友人たちが専業主婦になる選択をしても嫉妬心も対抗心もないです。それは彼女たちの選択で、応援したい)


でも結局父と母は離婚になったけれど、母は経済的に自立していたので、離婚できたし。

好きでもない人と経済的な問題で離婚できない方が不幸なのかなと本気で思う。




私への教育方法とか、離婚する際のゴタゴタ。

それ以外にも色んな事があり過ぎて、あまり父には感謝してない叫び


迷惑をかけられすぎて本当に大変だったから、感謝できない。

感謝できる親でいてほしかった。

私も心情的には親に感謝したいもん。でもできないガーン





結婚式で両親への手紙の朗読を聞いていると私は毎回「感謝できる親がいていいな」と思う。

私も妹もこれを避けたのは、きっと言葉が見つからなかったから。

きょうだいに対してはもういくらでも感謝の気持ちはあるんだけど・・・。

迷惑かけられ仲間で一緒に苦労したから。






アンジェラには親に人並み程度に感謝させてあげたい。

親に感謝できないことに罪悪感を感じないように、感謝される親になってあげたい。

感謝してほしいわけでなくて、感謝される親を目指したい。



だから、アンジェラがやりたいことを応援する親でいたい。

自分が行けなかったそろばん塾と留学はぜひとも行ってほしい。

(↑これ、強制したらアンジェラにコンプレックスを与えてしまうことにもなりかねなにので気をつけねば・・・)



未来を潰そうとするんじゃなくて(こんなのうちの父だけでは・・)、可能性を大きくしてあげたい。


普通の親はこんな風に考えると思うのだけど。

自分が親になってもて、改めて自分の父親って変わっているな・・・。と。


だって私はアンジェラが望むことで、彼女のためになることならできる限り応援したい。

頑張るのはアンジェラだけど。


少なくても、私たち親がアンジェラに変なコンプレックスを与えないように努力したい。



コンプレックスの連鎖を私で断ち切りたい。



まぁこの父との戦いも、今となっては笑い話なんだけど。 

(でもコンプレックスは続くよ~)