35回ニッサン童話と絵本のグランプリ 佳作

 

商店街の漫才娘

 

 

「美咲、父さんと漫才をやらないか?」

 八月に入った、ある日の夜。居間のソファでテレビを見ていた美咲は、お父さんからの突然の申し出に目を丸くした。からだを起こして、お父さんの顔を見つめる。どうやら、冗談を言っているわけではなさそうだ。

「漫才?なに言ってるの、お父さん」

「今度うちの商店街で、夏祭りの催しがあるだろ。吉田商店の出しものは、父さんと美咲のコンビで、親子漫才をやってみたいんだ」

 お父さんの目は本気だ。美咲は心底あきれてしまった。いったいどこの親が、小学五年生の娘に、そんなリクエストをするだろう。

「バカバカしい…なんで漫才なんかしなきゃいけないのよ」

「バカバカしくなんかないぞ。お前も知っての通り、うちの商店街は危機的状況だ。笑いは人の心を明るくするだろ?美咲との漫才で、商店街の雰囲気を明るく変えたいんだよ」

 美咲の実家「吉田商店」は、駅前通りの商店街で、小さな乾物屋を営んでいる。祖父の代から続く店ながら、最近、売り上げの方がかんばしくない。吉田商店だけじゃない。駅前にできた大型スーパーに押され、商店街全体が、苦しい経営を強いられている。時代の流れで、店を閉める店主も少なくなかった。

「だからって、なんで私なのよ。お母さんを誘えばいいじゃない」

「母さんには、笑いのセンスがまるでない。お前じゃなきゃだめなんだ。なんとか、引き受けてくれないか」

 お父さんは、おがむように手を合わせている。美咲は台所に行って、洗いものをしていたお母さんに泣きついた。

「聞いてよ、お母さん。お父さんったら、私と漫才がしたいんだって」  

「あらぁ、素敵じゃない。夏休みのいい思い出になるわね」

 この口ぶりだと、味方になってくれそうにない。すごすごと引き返した美咲を待っていたのは、お父さんのとっておきの切り札だった。

「お願いだ、美咲。こづかいが上がるように、母さんに頼んでやるから」

 心がグラリと揺れた。美咲の一瞬の迷いを、お父さんが見逃すはずがなかった。

「どうだ、やってくれるか?」

「…一回きりだからね」

「もちろんだとも。それでじゅうぶんだ」

 お父さんは「してやったり」といった笑みを浮かべている。わずかなお金に目がくらんだことを、美咲は早くも後悔した。

「でも、漫才の台本はどうするの?」

「心配無用。父さんが、ちゃんと考えてある」

 そう言ってお父さんは、一冊のノートをとり出した。中を開くと、漫才のネタがびっしり書きこまれている。内容を読んでみて、美咲は軽いめまいをおぼえた。

「なによ、このネタ。ちっとも面白くないじゃない。悪いけど、全部書きなおすわよ」

「だめか?面白いと思ったんだが…」

 不服そうなお父さんを無視して、美咲は台本を書きかえていった。もちろん美咲にだって、漫才のことはよくわからない。それでも、お父さんが書いたものよりはマシだ。

 数日かけて書きあげた台本をもとに、お父さんと美咲は、漫才の稽古をはじめた。ふたりの役割は、お父さんが「ボケ」で、美咲が「ツッコミ」だ。

「お父さん、なに言ってるの!」

「そんなわけないでしょ!」

 自宅の和室に、ツッコミの練習をする美咲の声が響く。その様子を見て、お父さんは満足げにうなずくのだった。

「父さんの目に狂いはなかった。やはり美咲には、笑いの才能がある」

 お父さんにほめられても、美咲はまるでうれしくなかった。むしろ、情けなかった。夏休みの思い出が親子漫才だなんて、学校の友だちに言ったら笑われてしまう。

 そのうえ美咲には、ひとつ気がかりなことがあった。

(どうか、春日君が見に来ませんように…)

 同級生の春日祐一君は、美咲が思いをよせている男の子だった。舞台で漫才をする姿を、春日君にだけは見られたくなかったのだ。

 

 そしてやって来た、夏祭り当日。たくさんの夜店が商店街に軒をならべ、中央の広場には、この日のために舞台がもうけられていた。

 午後六時になり、本日の目玉である、かくし芸のイベントがはじまった。

 バンド演奏に、マジックに、のど自慢。商店街の店主たちが、舞台の上で、次々と出しものを披露していく。客席には多くの笑顔があふれ、商店街は、かつての姿をとり戻したようなにぎわいを見せていた。

 お父さんと美咲は、舞台のそでで出番を待っていた。美咲たちの漫才は、このイベントをしめくくる最後のトリだ。

「漫才なんかやるの、私たちだけだね」

 進行表を目にして、美咲がポツリと言った。するとお父さんは舞台を見つめながら、照れくさそうな顔で口を開いた。

「実はな、父さん若いころに、芸人を目指したことがあったんだ」 

 美咲は驚いて、お父さんを見た。

「そんな話、はじめて聞いたよ」

「美咲が生まれる、ずっと前の話だからな。結局、親父の乾物屋を継ぐため、芸の道はあきらめるしかなかった。でもな、今夜の舞台で、その夢がかなうような気がするんだ。出しものに漫才を選んだのは、そういう理由もあったんだよ」

 美咲は黙って前を向いた。お父さんのために漫才をがんばろうと、はじめて素直に思った。同時に、お父さんが芸人になっていても、きっと売れなかったろうな、と思った。  

「最後に登場するのは、吉田商店のおふたり。お父さんと娘さんの、漫才コンビです」

 司会者に紹介され、美咲は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。いよいよ本番の時だ。

「よし。行こう、美咲」

「う、うん」

 緊張のせいか震える足で、美咲は舞台へと上がっていった。ふたりに注がれる、数多くの視線。その中に春日君のものは見受けられず、美咲は胸をなでおろした。

「吉田商店の吉田です。娘と漫才をやりますので、よろしければ見ていってください」

 お父さんが、客席のお客さんにあいさつをした。美咲は深呼吸をしてから、マイクに向かって話しはじめた。

「みなさん、こんばんは。もうすぐ夏も終わりですね。今年の夏休みは、漫才の練習ばかりでつまらなかったわ」

「まったく、ひどい話だよな。小学生の娘が、父親を相手に漫才だなんて」

「お父さんが無理やり誘ったんでしょ」

 客席から、ドッと笑いが起きた。そのことが美咲の緊張をほぐし、勢いをつけた。

「夏が終われば、楽しみなのは年末のクリスマス。ねぇ、お父さん。サンタクロースっていると思う?」

「もちろんいるとも。父さんが子どものころ、家にやって来たことがあるぞ」

「ほんと?どんなサンタだった?」

「ほっかむりかぶって、からくさ模様の風呂敷かついでな、窓から入ってきた」

「お父さん、それサンタじゃなくて泥棒だよ」

 またドッと受けた。美咲は夢中でしゃべり続けた。お父さんのボケに、すかさずツッコミを返していく。漫才は順調に進んでいき、やがて、最後のオチに近づいていった。

「これからも、商店街でいっぱい買いものをしてほしいわね。そうじゃないと、うちのお店だって干あがっちゃうもの」

「心配するな、美咲。うち乾物屋だから、とっくに干あがってる」

「いいかげんにしなさい。どうもありがとうございました」

 頭を下げた瞬間、客席は大きな拍手につつまれた。舞台を降りた美咲に「よく頑張ったね、美咲ちゃん」と、多くの人が声をかけてくれた。お父さんが興奮した様子で、美咲の手をにぎりしめた。

「ありがとう、美咲。みんなお前のおかげだ」

「夢がかなったみたいで、よかったね」

「ああ。たくさん笑ってもらえたし、最高だ。言うことなしだよ」

 タオルで汗をぬぐうお父さんの顔は、達成感にあふれている。そんなお父さんを見ていると、美咲まで幸せな気持ちになれた。今夜の漫才、美咲も結構楽しめたことは、しゃくだから内緒にしておこうと思った。

 

 九月になり、今日から新学期がはじまる。美咲はあくびをかみ殺しながら、朝の通学路を歩いていた。「吉田」と、ふいに名前を呼ばれた。ふり返って、ドキリとする。声の主が、まっ黒に日焼けした春日君だったからだ。

「お、おはよう、春日君…」

「俺さぁ、夏祭りで、吉田の漫才を見たんだ」

 美咲は、顔から火が出そうだった。耳まで赤くなっていくのが、自分でもわかった。

「…春日君、あそこにいたの?」

「夜店でかき氷食べながら見てた。それでさ、俺、感動したんだ。吉田って度胸あるんだな。俺、人前で漫才なんかできないもん」

「……」

「それだけ伝えたくて。じゃあな」

 少しはにかんで、春日君は走り去って行く。その後ろ姿を、美咲は不思議な思いで見送った。

「災い転じて、福となす…?」

 ひとり言のあと、笑みがこぼれた。美咲は心でガッツポーズを決めると、通学路を足早に歩いて行った。