実はわが家は、
子どもの教育(学校卒業)のため
夫の本帰国後も
妻子だけ現地に残ることができるという
会社の特別な配慮により、
駐在先に私と子どもたちだけ残るという
選択をしていました
あまり表には出てきませんが、
私がいた当時そういう企業は
わりとあったようです。
ですが、コロナ禍になってしまい、
現地に住まいを借り
ビザを取得したまま一時帰国の状態で、
結局、一年後にリモート引越しをして
夫に遅れて本帰国となった、
という流れがありました
帯同ビザではなく
帰国して新たにビザを取得するため、
2020年3月に出国した時の
閑散とした現地の空港の様子↓
日本人がコロナ感染源と思われていた時期で
日本人だけまとめて隔離されて
出国手続きを済ませました。
結局、この後、
在日本大使館でビザはおりたものの、
コロナで世界的なロックダウンとなり
現地に戻ることはできないまま
今に至ることになります。
あの頃、コロナ罹患の恐怖に加え、
日本にいながらにして
バーチャルに現地にいるような状態で、
いつフィジカルで戻れるのかわからない
不安や戸惑いの中、
たくさんの駐在員家族の人たちが
日本で暮らしておられたんだろうな
と思います。
一番下の子は
「早く戻りたい。
いつになったら戻れるの?」
と毎日、つぶやいていました。
当時、すべてが前例のない中で
国をまたいでの
子どもたちの受験や進学の手続きなど、
考えることや決めることや
問い合わせることがあまりにも多すぎて、
実は細かいことの記憶が
あまりありません。
駐在先からの引越しも、
夫の本帰国に伴う引越しと、
1年遅れての
私と子どもたちの本帰国に伴う
リモート引越しとの2回に渡り、
2年間毎年ずっと引越しの荷物を
片付け続けていたような
落ち着かない状態で、
それもめちゃくちゃ疲れました。
結局、子どもたちは
国からの二重学籍の特別措置により
日本の学校に通いながら
現地の学校を卒業したり、
リモートで海外の大学に
入学したりしました。
今となっては遠い記憶に
なりつつありますが、
ご家庭によっては
長く家族が離れ離れになったり、
本当にいろんなことがあって
コロナ禍は大変でしたよね…。
当時はそんな状況をシェアしあえるのは
同じような立場にあった駐在家族の友人や
ごく限られた人たちとだけで、
なんとも言えない孤独感というか、
何を見ても色がない、
かすんでいるような、
薄いモノクロに見えるような…
そんな感じだったような気がします。
インバウンドで賑わう今では
考えられない、
ほぼすべての飛行機が飛ばないという、
2020年4月当時の関西国際空港の様子↓
実はこの写真は、
パスポートに帰国スタンプを
係の人に押してもらわないまま、
いつものように
スルーっと機械を通って
3月に帰国してしまったため、
4月になって地元の役所で
「スタンプがないとダメです」と、
あの、1人10万円をいただけるという
国の政策の申請が通らず
パスポートにスタンプを押してもらいに
わざわざ関西国際空港の入国管理局まで
行くことになって、
その時に撮った関西国際空港の様子です。
恐ろしいほど誰もいない…
ウォーキングデッドが出てきそう
行き帰りは
はるかに乗って行ったのですが、
駅にも駅員さん以外は
私たち以外に乗客はほぼおらず…
せっかくの
キティちゃんラッピング車両なのに、
私と子どもたち以外は
誰も乗っていない
燃料がもったいないと思いましたが、
私たちのような状況の人間や、
仕事などでどうしても
空港まで行き来しなければならない
人たちのために、
走っていたのでしょうね…
キティちゃんの表情が無に見える…



