おはようございます
残り物だけど

ジャカルタの今朝ソラ
2017年10月21日(土)
午前5:20頃(日本時間午前7:20頃)
です

暑い雲に覆われた朝でした

午前8時現在の気温は、29℃
予想最高気温は、33℃

現在の体感気温は、34℃

今日のお天気は
ところにより曇りだそうです

(The Weather Channelによる)
今日、10月の第3土曜日は
アメリカ発祥の
「スウィーテストデー」だそうで、
家族や恋人や友人など大切な人に
感謝の思いを込めて
キャンディーなど甘いものを
プレゼントする日なんですって

感謝の気持ち、誰に伝える?
▼本日限定!ブログスタンプ
今うちにキャンディーあるかな?
と思って冷蔵庫をのぞいてみたら…

配られたキャンディーと、
誰かにもらった
ジンジャーキャンディー(写真下)
が…

気圧の関係で
耳がキーンとならないように、
でしょうか…
ガルーダで着陸前に配られる
このキャンディーは
それぞれインドネシア各地の
シンボリックな絵が描かれていて、
こちらはコモドオオドラゴン

もらったけど
そんなに食べたくない味…

だったのでしょうか…

最近、薬問屋の藤岡屋を舞台とする
「わろてんか」を見ていて
ひいおじいちゃんを思い出し…

なぜかというと、
私の母方の実家は昔、
お薬屋さんだったのです

そういえば田舎に行くと、
奥の方に薬がたくさんあったような…
なかったような…
もう遠い昔すぎて
その光景は思い出せず…

ひいおじいちゃんは
戦時中は衛生部の薬剤師として
私の今いる東南アジアあたりに
赴いていたとのことで、
母方はその流れを汲んでか、
男子はほぼ全員、
つくばの方で教授とか強烈に理系、
家も今は医療機器関係のようです。
ひいおじいちゃんが
バナナの育つような国に、
医療を扱う部署で
戦中を過ごしたことは
話には聞いていたものの、
家が薬屋だったとか
薬を扱う人だったとは
この夏、一時帰国した時に
母から初めて聞いたことで、
「わろてんか」を見ていて
昔の薬を扱う人たちの現場って
こんな感じだったのかなぁと
思いを馳せながら見ていました

ただ、「わろてんか」のお話は
かなりフィクションのようですが

ひいおじいちゃんは
戦後生きて日本に帰ってこれたものの
私が生まれた時には
すでに亡くなっていたようで、
遺影でしか見たことがありません

まさかひいおじいちゃん、
ひ孫の私が
この暑い東南アジアに来るとは
戦時中は思いもよらなかったと
思います

戦中の話は
孫である母もあんまり聞いたことは
なかったようで、
薬を扱うのが専門とはいえ、
戦地の現実は
孫に話すこともはばかられるような
残酷なことも多かったのだろうと
思ったりもします。
そして、私がひいおじいちゃんから
受け継いだことといえば、
その理系の頭脳ではなく

喘息

ひいおじいちゃんは
ひどい喘息だったのです

まさかまさか
こんなふうにひ孫が東南アジアで
しばしば喘息と戦うことになろうとは
そんなことも
思っても見なかったことでしょう

時々、病気になったとき、
日本から持ってきた薬を
ああでもない、こうでもない、
と私が勝手に服用している姿も、
薬剤担当だったひいおじいちゃんは
どこかでヒヤヒヤしながら
見ているのかも…

…とそんなことを
思ったりもするのです

日本を遠く離れているせいか、
普段、親族や先祖のことなどは
あまり思い出さなくなったなぁと
感じるのですが、
今日はなんとなく
見守ってくれているような
ひいおじいちゃんのことを
思い出したので、
元気でやっているよ、という気持ちで

このガルーダインドネシアの飴を
心の中でお供えしたいと思います

それだけでは
ちょっと…
だから、

インドネシアの甘いバナナでも
買ってこようかな…

それではみなさま
すてきな土曜日を
お過ごしくださいね

ありがとうございます

「美女と野獣」のルミエールみたいな
ネオマリカロンギフォリアの蕾
