こんばんは

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そののんです。
テロから一夜明けたジャカルタは
雨が降ったり止んだりの
1日でした。
ほとんどの一般企業は
平常どおりで、
学校が休みの子どもたちだけが
アパートメントの中で、
有り余った力を
発散するかのように
走り回っていました。
大使館からの
「在留邦人の皆様におかれましては、
引き続き、多くの人が集まる場所や
公共交通機関を利用される際には、
周囲の状況に十分注意を払い、
不審な状況を察知した場合には、
速やかにその場を離れるなどして、
ご自身の安全確保に
十分ご注意ください。」
平成28年1月14日
(大16第05号)
との通達どおり、
声をかけあって、
今日は
できるだけ
人がたくさん集まる
ショッピングモールや
ジャカルタ中心部には
行かないようにしていました。
それでも
食料品が尽きてくるので、
日本食料品店パパイヤに行くと、
みんな同じように
ここに買い物に来られたのか、
かなり
品薄になっていました。
そんな中、
今日は
お手伝いさんが
来てくれていたのですが、
「昨日、爆発事件当時、
どこにいたの?」
と聞くと、
なんと、彼女、
昨日は、事件現場近くを見下ろせる
高層アパートメントで
他のお宅の仕事を
していたらしく、
アパートメントの窓から
爆発現場を見た、
と言っていました。
階下に降りることもできず、
通りは封鎖され、
銃撃戦が終わるまで
アパートメントの一室で、
妹さんと連絡をとりあって
待機していたのだそうです。
彼女はいつも
バスで移動しているのですが、
大変怖かったと
言っていました。
そんな中、
私がときどき
事件現場の
ジャカルタプサット
(中央ジャカルタ) に
インドネシア語の勉強に行くので、
心配になって
SMSをしてくれたのだそうです。
よくぞ無事で…と
ふたりで抱き合って
涙を流しました。
実はわが家では、
数日前から夫は出張で
インドネシア国外にいて、
長女も
事件のあった深夜に
一人、スカルノハッタ空港から
国外に飛ぶ予定になっていたのです。
そのことを話していたので、
母子だけで
大丈夫だろうかと
心配してくれたのだと思います。
長女のフライト予定があるのに
なぜこの時にこんなことが…
という気持ちでしたが、
予定どおり
運転手に長女を託し、
空港に連れて行ってもらい、
今朝、早朝
無事に出国しました。
長女によると、
さぞや
厳戒態勢かと思いきや、
スカルノハッタ空港は
普段と変わりなく、
早朝のため
いつもより静かで、
人も少なかったようです。
そのような状況だったので、
昨日は私も
運転手とのやりとりや、
万が一のことを考えて
全部を一手に受けて、
かなり
神経をすり減らしました。
夫もさぞや
心配であったようですが、
どうしようもありません。
ジャカルタにいると
一人でなんでも
頑張らなくてはならないときが
必ずあります。
こうやって
強くなっていくのでしょう、
また
強くならざるをえません。
お手伝いさんが言うには、
ジャカルタはムスリムが
すごく多いけれども、
ジャカルタでは
これまで
アメリカ系ホテルや
オーストラリア大使館で
テロがあって、
また昨日、
こんなふうにテロがあって、
みんな、
なぜ、こんなことをするのか、
許せない、と言っている、
こんなことは
「tidak suka」、
好きではない、いやだと
その複雑な心境を
語っていました。
テロがあっても、
今日のジャカルタの街は
何事もなかったように、
動いていました。
バリ島でのテロを含め、
ジャカルタでの
昨日のテロ事件を合わせると、
インドネシアでは
合計4回のテロが
あったことになります。
なんとか
平和なジャカルタ、
インドネシアであってほしいと
願わずにはいられません。
ありがとうございます

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