日本の参議院選挙でAfDのような政党が躍進した。予想通りで、「ニッポンファースト」以上に経済紙などではその財政出動政策が推進されるとすれば国債の長期金利の急上昇が予測されていた。市場の影響は少なくない。恐らく同様な政策を出していた政党はその経済政策で今回は伸長に陰りがさした。インフレ率が昨年の五月比で3.5%の時節にそうしたポピュリズム的な経済政策が受け入れられる筈もない。

勿論より細やかに説明するとなると、その社会の弱者層への説得は儘ならないので、単純化した政策を繰り返すしかないのである。ポピュリズムの限界はそこにあって、本来は主張しなければいけないグリーンディール政策を広く説明するにはより苦労しなければいけないからだ。経済政策を語るならそこにしか経済成長の可能性がないわけである。外国人労働力を必要とする少子化の社会にも適合するだろう。

そこでは公共放送のNHKの聴視料の不払い運動で支持を得られていた反社会的カルト集団もその政治的影響に終止符を打った。その聴視料への扱いは本来は広く議論の対象となるものであったが、そうした公共的な意識とは全く無関係な反社会的活動からカウンターが強化されてぶっ壊された。

それも一種のポピュリズムで、ドイツではコロナ期間中のクヴェーアーデンカーと呼ばれた反ワクチン運動そしてその前身となる反モスリムや難民制度への市民運動PEGIDAにも通じて、ある一部を取り上げれば月並みな意見を声高に叫んでいるだけなので、優柔不断な政治主張となる。

そうしたごく一般的な通俗意見への支持は、所謂C層やD層からのもので、少し複雑な政策をそれらに理解させるのは難しく、ポピュリズム的な運動とはならないということでもある。

ドイツェヴェレなどの独マスメディアにおいても、投票終了前から出口調査などから大まかな予想が出ていたのだが、それよりはカウンターなどの影響が及んでいることも垣間見られて、なによりもファクトチェックなどが為された様子もあった。

PEGIDA運動の時も話しを聞いてみると確かに共感できるものであって、カウンター活動が盛んになった時に初めて、PEGIDAよりもそのカウンターに参加しなければいけないと思うようになったぐらいなのである。

独公共放送におけるK音楽、即ちクラシック音楽の比率が減ったことが文化欄にチューリッヒ大学の学者の記事として書かれている。様々な考え方があるのだが、やはり教養番組である得るかどうかが問題だと思う。政治的なカウンターと同じように絶えず新しい認識への示唆を与えるような内容でなければ意味がない。知的好奇心を刺激するような文化や音楽でなければ意味がないということである。

公共放送の任務は管理された情報を社会の隅々にまで届くように尽力するだけでなくて、時代の風というか、その新しく明日への希望へと誘うような空気を山の向こう側にまで送リ込まなければらなければいけないのである。



参照:
Japans Problem mit Rechtspopulismus, Julian Ryall, DW vom 19.7.2025
Leicht, locker, komplett gaga, Laurenz Lütteken, FAZ vom 2.7.2025
音楽経済を超える文化 2025-07-13 | マスメディア批評
極東ツアーの裏事情 2025-07-11 | マスメディア批評

来年の日程をみている。なぜならば近々に定期会員とそのバラ売りがあるからで、一年先の日程までがあるからだ。それはホームでの定期公演であるが、ツアーにプログラムを持って来るとなると、演奏は練れていて、それどころか同じような距離の公演地でも安いものが少なくない。同じ交通費をかけるならば、音響が悪くなくて、安い方が得になる。するとホームでの定期のばら売りを買わないでよく、来年までの高価なティケットを購入する必要もない。そういうのを調べている。

一枚は丁度いいのがあって、5月に出かけたケルンのフィルハーモニーで公演がある。そのバラ売りは来年のことになるので、それを狙う方が大分お得なことが分かった。更にケルンのフィルハーモニーへの近道も分かったので渋滞などの問題の多いケルンのリングに乗らずに辿り着ける。それも日曜日となると帰宅も22時30分頃なのでこんなに楽なことはない。敢えて言えばあの地下駐車場が入れ難いことぐらいである。価格からしても5月よりももっといい席に座れるだろう。こういう計画は殆ど困難を感じないので楽しみでしかない。

先日入庫時に助手席側の後部ドアの取っ手が木枠との間で挟まった。運転席ドアを開けるとと取っ手が自然に出たからで、想定外だった。そこでにっちもさっちもいかないようになった。なぜそうなったかは内輪差の出方が後輪操舵で測り難いのと、なによりも木枠の緑色が暗闇で識別し難いからだ。これで、カメラのレンズもサイドミラーを畳んでいて働らかなくいつか側面を傷つける以前に、何時まで経っても入庫に慣れないことが分った。

そこで木枠に蛍光色を着けるか何かの処置をすることにした。ドアの隙間などが無く殆ど可能性がない為に、木枠にウレタンを内側のエッジを囲むように貼ることにする。適当な価格の1メートル長が見つかったので、発注しようと思う。

先日は走りに行く森の駐車場に恐らく現行のSクラスが停まっていた。最初は車格は分からなかったが、やはり大きかった。家族連れで使っているのだろうが、一軒家でも大き目の車庫がないと使いにくいだろうなとは思う。少なくとも当方の駐車場では自動入庫も何も出来ないので幅が2メートルを超える車は実用的ではない。以前購入希望していた車はその大きさだった。今後の住居のことは別にして、今回の車を使うとドイツでは先ずはもうこれで限界だと思う。公共の駐車場で長さもぴっちり停めないと食み出すところが少なくない。あり得るのは、二台以上の車をTPOに応じて乗り換えするしかないということだ。それにしても森への道は現在左右の枝が張ってきていて、あたらない様に走るにも限界がある。

今迄履いていたジーンズはまだ洗濯できていない。晩夏にどうしても長ズボンが必要になる時に洗濯して自宅用に下す。それ迄の何週間かは急がないでもいいかもしれない。それでもすっきり乾く時に洗ってしまいたい。ルツェルンへの旅行などは今更古いものを履くことはないが、近所に出かける時ぐらいには使えるからだ。まだ購入後2年しか経っていないので、出来るだけ使いたいという思いもある。その前に膝が破れたものと同じように部屋着としてあと4年も使えるのだろうか。

白衣は調べるとジーンズと同じように純綿の良いものは少なくなった。長いガウンタイプだと重くなるからだろう。機能的ではないのだが、部屋着として長く使おうと思えばポリエステルが入っていると風合いが良くなくて、あまり使えない。厨房用にも安全上化繊は使えない。



参照:
夏休みのグリル周り 2025-07-19 | 雑感
堪える痛みの悦びに 2025-07-16 | 女

午前中から動き出した。涼しい内に走って、洗車である。走るには不利だが、長引きそうなので朝食を摂った。少しでも走り出すと汗が噴き出すだけでなく、腸が膨らんできて不愉快だった。そして摂氏20度少しでも陽射しがあって暑かった。不思議にもそれでも夕方走るよりもタイムが良かったのは何故か。何かが違うのだがパラメーターが多過ぎてよく分からない。

それでも11時30分過ぎから洗車に入れた。金曜日の午前中でも夏休み中で、平素の洗車よりも時間が余ったので洗っておこうという感じで、自動のところよりも手動での洗車に二輪車なども来ていた。

いつもの様に高圧洗浄の後で手で拭きとるのだが、正面の虫汚れは水だけでは取れない。三回噴射でも取れないので、洗浄手袋で濡らして拭く。更に乾いた手袋で水分を拭きとる。それでもこびりついたものは取れないので、戻って来てから車庫の前でスポンジを濡らして拭く。それでもなかなか取れないのは、暫く洗車せず日向で駐車されたりして乾燥してこびりついたからだろう。

それでも繰り返してほぼ虫の汚れは取れた。数カ所ぐらいはまだ繰り返す必要があるだろうか。塗装親方の教えで、カウルなどの樹脂の塗装は少々傷がついても必要ならばいつでも直せる。飛び石はどちらかというとグリルのメッキのところで、空力特性から当たるところはほぼ分かった。

ざらざらした砂埃も落とせたと思うので先ずは満足。先日の傷に続くものは確認できなかったが、ドアのステップのクロームが色変わりしているのは要注意だ。どうしても砂で擦るところなので考えないといけない。保護シートを外すべきではなかったか。上のフロントグリル上辺のクロームも撥ね石がある。塗装マイスターは仕方がないねと答えたが、あまり色落ちしない様に手当策を調べたい。

車庫入れは未だに辛い。何よりも反対側の戸口の柱が緑塗りなので、暗くて空と柱との差が見え難い。方法としてはその角を反射シールを貼るか、可能ならば薄い明るい素材の角保護をを貼るかである。それだけで暗くても感覚がつかめないことは減るだろう。

冬物の部屋着セーターを調べた。安くはなっておらず、6年前から同じものが2ユーロ上がっている。一番安い同じ色を買うかどうかも疑問だが、少なくともLサイズも同じなのでその点はお得である。中に着るフランネルのシャツは破れていなかった。冬場は洗濯せずに着ていて、匂いが気になっていたので、二着目も考えていた。洗濯するようになると直ぐに破れる — 洗濯ネットを発注しなければいけない。夏場の安売りを期待したのだが、価格最低域ではあまり変わらないようだ。

スマートフォーンのハードクリアケースを買おうかと思っている。リュックサックなどで持って歩く時は使えるだろう生活防水機能ぐらいがついていて軽いものがあればいいのだが。

音声コマンドはまだ試していない。口述筆記だけではつまらないので面倒なスマートフォーン操作を声でしたい。そうなるとスマートフォーンもケースに入れてしまってもモニターさえ使えればなんとかなる筈だ。



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出血も無しの糸通し 2025-07-18 | 料理
清々しい夏の生活 2025-07-10 | 生活

四川風にしては彩がよくなった。しし唐と茄子と煮豚である。気温も下がり、ガウンを羽織ってのバルコンでの食事である。夕方走った時には雷の後で陽射しもあって涼しくはなかったが、どんどん涼しくなってきた。食欲増進と同時に疲れも出る。週末にかけて温度が上がる。上手く時間が作れて洗車が出来ると嬉しい。残り燃料が3リットルを切っているので、もう一度5リットルほど給油しておけば、9月にルツェルンに出かける迄は必要無いかもしれない。

改めて、アロイスツィムマーマンのオーボエ協奏曲、マンフレード序曲、ブラームス交響曲の三曲の楽譜を落としておいた。じっくりお勉強をしたい。

食後に歯ブラシを掛けて、就寝前に歯間糸を試してみた。通常のだけではなく隙間用のものを左側のブリッジの隙間にも前日は通していなかったので、そこから態々糸を替えて右側に初めて入れた、通して、口を濯ぐ。前回は小柄の歯科衛生士さんが土台を確り作ってくれて、押し込んでくれていたのでその上に置くように乗せていた。今回は大柄のおばさんなので力が入っている様子も感じず、その差はどのように出るのかとも思う。前の方であるから形状も異なり、それ程力は入れられないだろうが、そういうことはなかった。結果として出血もなく綺麗になった。

久しくなかった口内衛生状態だと思う。問題になっていたブリッジの奥との隙間もすっきりして、基本的に不具合はなくなった。この状態をいつまで維持できるかである。口臭云々も両ブリッジの桁下の清掃さえ抜かりなければ全く問題がない筈だ。これで夏休み明けの検査迄で何かあればで、なければ来年三月ぐらいに清掃して貰えば暫くは完璧だろうか。

日に日に左右の歯を上手に使えるようになってきているので、これで全身症状も消化器系を含めて改善する筈である。最初の抜歯が2013年の親知らずで、その後の2020年に二本失い、そして今回となった。これで12年ぶりですっきりすることになるか。丁度散歩から走りに変えたのは2012年なので、体調作りを始めた時期に重なっている。若しかすると改めて強い身体作りが出来るようになるかもしれない。期待できる。

体調がよくなると自然に挑戦意欲も湧いて来る筈で、それを待ってもいい筈だ。何も無理して行動に移さないでも大丈夫だろう。二回就寝しただけでやはり違う。胃腸も気が付いていなくても咀嚼能力が半分になっていた筈なので、意識して食事量を考えないでも自然に摂取できていくのではないかと思う。その分運動量が上がるということだ。

体調の先行きは予めどうなのかはよく分からないので、後の祭りとしての結果しか評価できない。だから、あとで気が付く、それだけ体力が落ちていたとか、どこそこに不調が出ていたのはそういう影響だったのかと。

胃は最近は悪くはないのだが、やはり整腸状況は気になるので、この夏休みの間にでも何か変化が生じて来るのではないか。そのように考えるだけでも筋肉に力が漲ってくるような気もするのはただただ心理的な影響なのか?



参照:
全身症状が悪化する抜歯 2013-04-10 | 生活
左脳が覚めてきた感じ 2025-07-17 | 生活

税務処理を終えた。例年ならば晩秋まで引きづるのだが、所得税申告を迫られて、全てを一挙に終えた。会計士に書類で渡すのでインクを消費した。早急に買う必要はないかもしれないが、遠くないうちに購入しなければいけないのでウィッシュリスト行きだ。

偶然にも翌日に健康保険の還付通知があって、三年間の未使用で1160ユーロ戻って来る。これは丁度歯科ブリッジの治療で自己負担額の多くを占める額となるので、財政上とても助かる。同時に保険会社にはブリッジの保険料支払いを求める。眼鏡なども若干は取れたのかもしれないが、足しにもならないので、税金処理しかしなかった。なによりも健康第一である。

Lineを使う関係で口述筆記を試している。日本語で使ってみると、一度目だけ「口述」が「後述」となったが、二度目から正しくなった。用事をしながら応答が出来て電話よりも使いやすい。今迄の経験で、言語に関係なくここまで上手に筆記されるのは初めてだ。車中では独逸語で使うようにしているが、可也注意しないと上手くいかない。明らかにその質が違うと思う。車中のも車載向きのそれとしては世界最新に近いのだが、新しいタブレットのアンドロイド15のは思いがけないほど優れていて、今書いている文章を口述で作成できる。

サムスンのそれも15になっているので試してみたいと思うが、これ程の実力があるのかどうか。グーグルのシステムに違いないが、大メーカーが何かを挟むよりもこうした小さなメーカーのものの方が素直に出るのかもしれない。

スマートフォンで抑々指で入力している人の比率はどれぐらいいるのかどうか。やはりサムスン独自では抑々日本語がリストアップされていない。韓国語だけだ。この辺りが韓国企業が日本以上に将来性がないことを示している。グーグルに切り替えると上手くいった。

車載のそれはどうもここまで達していないので、口述筆記となるとスマートフォンを使うことになるか。

何も新しもの好きではないのだが、時の経過で明らかに技術が進んでいると喜ばしい。特に暮れからスマートフォーンを使い始めて、文字入力が殆ど不可能と感じていたので、これは使える。アップルウォッチがどの程度の水準に達しているのか知らないが、次世代では1960年代のアメリカTVの様に少なくともナポレオンソロのペンぐらいの機能は通常の価格で現実化するということになる。現時点ではある程度の額を出さないとそこ迄至らないが、時間の問題だ。

気温が下がって、摂氏13度まで下がる。洗車の予定をしていたが、暖かくなるとされる金曜日に延期した。寒くなると朝寝するのも気持ちよくなる。月末までの中期予報では、週末に30度辺りを掠めるが、朝晩は20度を越えることが殆どなさそうで過ごしやすくなる。次の散髪までに二週間も我慢すればなんとか耐えられるか。

ブリッジ二日目にしてなんとなく右側が使えるように慣れて来た。顔の右側に力が入ると脳の働きも違って来る。右側咀嚼で急に左能つまり眠っていた論理性が呼び起こされ、言語能力も戻ってきたような気がする。一二の三で、おはよう。



参照:
堪える痛みの悦びに 2025-07-16 | 女
マンダリン入りザーネ 2023-07-24 | 文化一般

ジーンズ卸を無事終えた。想定以上に靴のタンに掛った。短いことはない。足が伸びる筈もない。腰回りは、勝負パンツではないがブリーフを着用した。然しスポーツビキニではない。そこまでは必要なくてすっきりした。その代わりシャツは上に出しておいた。涼しくなったといっても、前回の6月25日よりも明らかに暑く、鼻に汗を掻いた。足回りは、1%のウレタンのねっとり感がない分、その圧はあるのだが気持ちよい。肌触りは子供のころから気になるので、久しぶりの純綿には満足だ。流石にエジプト綿か?

腹回りも、シャツを出して、Tシャツなので、寝椅子で若干呻いたが、緩める必要などは一切感じなかった。

美人先生には入り口で挨拶したのだが、今回の助手は頭巾のトルコ系人で、ご機嫌よくやって貰えた。助手も仮のブリッジを外したり、清掃に結構痛いハーケン使いで、麻酔を打とうかと言い出した。大した程度ではないのでその儘やって貰った。先生が来てからはその辺りの痛み耐えは分っているので、なんだかんだ誤魔化して、セメントなどを落とした。やはりよく分かっている人の方が有利で、麻酔で感覚がなくなるとブリッジの噛み合わせを合わせるのも不安になる。

薬品など結構ハードな投与も無事終えて、気になる点を質問しておいた。ブリッジ掃除の先日購入した糸の使い方である。ブリッジの底を掃除する方が気にならないのだが歯茎を削ぐ方は傷つかないか気になるので、訊いてみた。

モデルが手元にあったのでそれを使って教えて貰った。最初は出血するかもしれないというので、それは流石に僕も経験があるから、それはないと話した。こちらの疑問はあまり擦り過ぎるとその隙間が大きくならないかということだった。そして新しいブリッジはいつやればいいのかとなった。

彼女の答えは二三日待ってから毎日やるものだということで、前回のブリッジの時は聞いてなかったと話しておいた。それはやはり出血するかもしれない。

そして、想定外に彼女の休暇が終わってから叉の逢瀬があると、点検するからと言われた。前回もそうだったのかもしれないがすっかり忘れていた。コロナの時だったからなにもかもが窮屈だった。

「最初は新しい靴と一緒」だから、調子悪かったら電話してねと、自身は休暇に入るというので、さもなければ8月第二週となる。なるほど出血するわなと彼女の顔を見ながらにやにやして仕舞う。午前の寝椅子でのポルノである。歯医者の寝椅子で明かなサドマゾ行為で、こんなに喜んでいていいものか?老人に優しいとか書いてある診療所の方針とは違う裏の売りではないか。通常は歯科衛生士の接近が嬉しいという男性客は多いのだが、僕にはそんな子供だましではない完全にもっと高額コースである。

次回は、床屋の再開日、ラインラントプファルツ州の夏休みに準拠している。本当は来年の予約をいれておこうと思っていた。問題はその日に散髪を出来ないことで、その時までに大分伸びてしまうだろうと思うことだ。



参照:
シスコの黄金橋との色合い 2025-07-03 | 雑感
疲れた無しの始まり 2025-07-15 | 生活

涼しくなった。汗を掻きながらら走って下りてきて、シャワーを浴びればこれで週末までは涼しい。月末までまずまずの暑気なので散髪無しに我慢できるだろうか。あまり暑いようなら近所の高みで涼めば足りるだろう。先ずはジーンズを下ろすには絶好の日和でシャツも使いやすい。

日曜日の夜は前夜と同じオデオン広場からミュンヘンの名門交響楽団フィルハーモニカーの演奏生中継だった。シェフのシャニ指揮とヴァイオリンのバティアシュヴィリの演奏で、ベートーヴェンだった。とんでもなく遅いテムピで終始していて、目が覚めたら同じ楽章をまだやっていた。どこからそういうアイデアになったのか。ソリストのアイデアに共鳴した指揮者の仕業だったろう。

なにも物理的な速度ではなくて、演奏からそれなりの必然性が感じられれば違和感とはならない。結果としては意図は全く分からなかった。間延びして真面に聴いていられなかった。なるほどヴァイオリンを鳴らし切るということなのか。そんなことはどちらでもいいだけではなくて、そのテムピではこの指揮者は振り切れていなかった。遅くても早くても深く拍を取れるような指揮者なら心配はいらない。するとこの二人の田舎者の感覚に我々が付き添う必然性などは皆無である。

先日言及したTefalの湯沸かし器、剥がれだしていた窓を瞬間接着剤で固定した。抑々有毒性はない筈だから、これでまた不自由なく使える。熱効率もよくなった。たとえ30ユーロでも要らぬ消費をしないで他のものに使えるのは嬉しい。

同様に厚塗りの接着剤を使うところがあった。ガラスが入っているドアの開け閉めでガラスが動いて喧しいところを、ガラスを木枠に接着した。今迄も隙間になんとかとかは考えていたのだが、接着剤を使うことは何故か考えなかった。

これで開閉時の音だけでなくて、風が強い時や叉は室内の音響静粛性が総合的に高まった筈だ。更に冬場の断熱性も外との窓との間に温室を作ることになって上がる。窓拭きほどの効果はないにしても、一寸したことで室内の快適性は上昇する。

眼への負担が減少してとてもQOLが高まっていることを実感している。何よりも寝起きに眼が「疲れた」で一日が始まる不幸が無くなって来た。まだ使えるにも拘らずちょくちょく代わり番こで使うような可能性は失せた。するとその古いアンドロイドのタブレットをどのように利用できるのか考えてみたい。

壁に釣るモニターとかリモート操作端末としても使えるだろうが、逆にこれをリモート操作して使うことも可能であろう。

新しいタブレットの為に発注したUSB‐Cのケーブルが発送になった。想定外だったのは業者が英国だったようで、ロイヤルメール送りとなっていた。封書で来るのだから通常は問題ないだろうが、遅滞は想定していない。先ずは充電に使えるケーブルならば逸早く利用することで、数日の間に梃が掛かって壊れやすくなるのを避けて、早く気兼ねなく使いたいのである。



参照:
泣かせるヨーデル 2025-07-14 | 音
優勝の本格的なヴァイオリン 2023-04-25 | 雑感

新しいタブレットへの移行は殆ど終わった。返却締切日は過ぎた。これで壊れないように使うしかない。その為にも充電に使うUSB-Cケーブルを発注した。プラグの頭が90度に曲げられていて、充電接続中にも梃の力が加わらないようにするケーブルである。ハウウェーの時にはそこの故障で保証期間修理させた。そして今回なによりも満足なのは眼に優しいディスプレーで、明らかに寝起きの眼のしょぼしょぼ感が軽減されている。

土曜日はミュンヘンのオデオン広場から恒例のオープンエアー生中継があった。BR交響楽団を闘病中のメストが指揮して、ピアノのトリフォノフの弾くプロコフィエフを伴奏するというものだ。協奏曲三番はルツェルンでユジャワンが弾いてペトレンコが付けたのを聴いているので、どうしてもそれとの比較になる。若しくはベルリンでプロコフィエフの一番を弾いているので、それも判断基準の参考となる。

一番の時にも気が付いたのだが、やはりどんな演奏よりも豊かな表情が迸り、ピアノだけで音楽の骨子を形作って仕舞う。如何にそれに合わせて伴奏されるかだけの興味で、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーはユジャにもビンビンに反応していたのだが、メスト指揮のミュンヘンの楽団は軟に付き添っていた。リズム的にそのピアノが支配することで、それなりに様になっていて、これはこれで座付き楽団のような上手な合わせ方をしていた。

千変万化の表情をアンコールで仕上げるフルコースで、改めて自由自在のピアニズムを展開していた。そこまで徹底することは他の誰にも出来ず、特にこうしたロシアのリズムを披露されると最早誰も口を挟む間隙もない。

後半は「バラの騎士」組曲を指揮者自身の構成で聴かせるというものであったが、これはオペラ指揮者のヴェテランによるそのものの構成で、ただただ情景を想起させる歌の無いハイライトのようなものだった。

そうなるとどうしても昨秋のスカラ座でのペトレンコデビューの公演を思い出してしまう。なるほど同じ演出をザルツブルクで指揮していたメスト指揮の放送交響楽団のユーデルの謡いまわしは堂に入ったもので、泣かせてくれるものだった。まさしくリヒャルトシュトラウスの真髄はこうした浮ついたヨーデルが最も心痛な音楽表現と裏腹になっているというメロドラマ性にあるために、とても大きな効果を上げていた。

それゆえに座付き楽団でもない交響楽団の演奏はどうしてもぎこちなく、取り分け冒頭のホルンの雄たけびにおいてもペトレンコ指揮のスカラ座の楽団が奏でたような絶妙の運動性とは甚だしく異なっていた。そこで思い起こすのはペトレンコが参考にしたというクレメンスクラウス指揮とエーリッヒクライバー指揮の録音で、スカラ座公演においてのその前者の流動性をミュンヘンでの比較対象によってより明白に認識した。

クライバーの息子のカルロスは、カラヤン指揮のザルツブルクのリハーサルで学び、父親に反抗するかのようにクラウス指揮風の流動的な指揮で一世を風靡したが、メストはその後の晩年のカラヤン指揮のリハーサルで学んだ。

BR交響楽団が後任のラトルではなくて未だにヤンソンスの薫陶を受けたアンサムブルであることは他の誰が指揮した時よりも今に如実に示されていた。



参照:
時とは不思議なもの 2024-11-03 | 音
再演「ばらの騎士」初日へ 2024-10-11 | 文化一般

木曜日の文化欄のトップ記事を読んだ。コロナ後に話題になったルートヴィッヒスハーフェンの州立管弦楽団に関することなので目を引いた。先日そこで新シーズンから主席を務めるという朗報を聴いたばかりであり、上の様な事情はSWRの放送を車内で聴いていたからである。

州立楽団でフィルハーモニーを名乗っているのだが、十年前にはマインツの州立劇場の楽団との合併が発表されていた。個人的にはワイン街道ノイシュタットの演奏会で、恐らく主席指揮者のクレーが振るので出かけたと思う。プログラムを探してみないといけない。

何故この楽団が最もドイツの中で注目を集めている交響楽団であるのか、それはリーヒテンシュタインの音楽学校の校長となる2018年からの支配人ベアト・フェールマンの手腕による。放送では、コロナ期間中の休演にも関わらずお便りを出したり、植物のタネを届けたり演奏会以外の心使いが話されていた。そのお陰で殆どアフターコロナの影響がなかったと評判であった。多くの楽団では回復に時間が掛かった。

そして今回の記事は、今シーズンで任から離れた支配人が、デンマークで成功した「楽団の為の道具箱」やニューヨークでの研究など所謂文化マネージメント分野でのバイブル自体のその内容よりも、その実践の成功に言及している。ネットではなく演奏会に行くことでの満足度等。

新シーズンからはハイデルベルクの春の音楽祭の芸術監督のゴスマンが後任となるようであるが、そこに書いてあるプロジェクトでも継続されるよう期待したい。

プロジェクト自体も楽員の三分の二以上による決定で中止可能となっていて、実質的に楽員の総意としてのプロジェクトとなっていることに留意したい。そこでは例えば勤務契約の中での勤務時間の20%までを創造的な活動時間として認定しているということである。

大管弦楽団のお勤めの中で、劇場でも同様であるが、如何にお勤め時間を熟す一方でその準備の練習時間を手短にという労働環境があるに違いない。そこにおいて創造的活動というのはそれとはまた異なる事象であろう。

楽団が如何に音楽的文化的な団体であり得るかは、嘗てバーデンバーデンでベルリナーフィルハーモニカーへのカラヤン賞授与の祝辞において作曲家リームが演説した内容であった。一世紀前とは異なり、楽師さんも高度な教育を受けていて、それ相応の給与を稼いでる状況において、音楽的に若しくは社会的に貢献しないということはありえないのである。

楽団自体の活動としては、移民の居住地域に行っての演奏会とか、地域の学校での試みとかの活動が為されている。それは潜在的な聴衆への誘いとなることは間違いがない。チョコレート会社とのタイアップなどのそれ以上に、最終的には音楽との関わり方の変化と作新、多くの指揮者は従来の演奏会場からの「遠足」を語るが、最終的には何を演奏するかではなかろうか。

一昨日書いたように、ポピュラーコンサートなどにはこうした文化団体の生き残りの道はない。フェールマンはそこまでは手を出さなかった様であるが、もし今後ルートヴィッヒスハーフェンでの活動が世界を先導するならばそうした音楽的な先駆性しかない筈である。



参照:
Es gibt Instrumente der Hörerfindung, Clemens Haustein, FAZ vom 10.07.2025
極東ツアーの裏事情 2025-07-11 | マスメディア批評
腰が張る今日この頃 2018-02-07 | 文化一般

夏休みの宿題予定。州の学校はこの月曜日から8月15日迄である。個人的にも来週の歯医者の後がそうなる。実質的一週間遅れで、21日頃には次の旅行とかの準備となる。その間車はあまり動かさない。あまり暑ければ涼みに出かけるぐらいだ。因みに隣の州のBWは三週間ほど遅い。

秋の試飲会のこともぼちぼち考えるようにしている。既に二回の試飲をして、9月には少なくとも二回はいかなければいけない。多くて三回かと思う。前後の日程との都合でまだ日程は定まっていない。

お出かけは全部で四日入っている。曲目は、シューマンの「マンフレード」序曲、アロイスツィムマーマンのオーボエ協奏曲、ブラームス交響曲一番、マーラーの九番、ステンアンデルセンの新作のみである。どこまでお勉強で深められるかはあるが、素材としては限られる。

平行して、先日配送されたエルフリーデ・イェリネックの「ピアノを弾く女」は1983年の作品なので、手に取ったパーパーバックの昨年の52版を読む。映画などを観る前に先ずはその文章を味わいたい。同時にその描き方と構成で来年のハムブルクでの新作「モンスターパラダイス」初演へのテキストに備えたい。抑々女性の書いた小説の文章は吉本ばななとか簡単なものぐらいしか読んでいない。その点でもとても興味深いと思う。

シャツも回収した。お出かけ靴も手入れして片付けた。夏の間はそれでなんとかなりそうである。普段の履物が流石に傷みだした。購入は6年前になるので、そろそろ冬物一掃の頃のブーツでも欲しい。その他、夏の間の買い物も少々ある。厨房のTefalの湯沸かし器も2012年に購入しているが、水が窓から漏るようになった — 再接着可能か。13年耐久でそれ程汚れていないので33ユーロの価値はあったかと思う。PCに入っているSSDも四年になるので、一年内ぐらいにはコピーをして取り換える必要がありそうだ。

夏休み中にUSBドングルG5WlanをLinuxにインストールしたい。カセットデッキのVベルト取り換えは暇つぶしであろうか。室温次第である。Blog移転の最終日程も確定したい。

新しいタブレットの使いで、返送期限までに特別機能を使ってみた。アウトドア―向けのスマートフォンを作っているメーカー深圳なのでそのような機能をタブレットにも付けている。それはネット環境から外されてもラディオが聴けるというもので、イヤフォンをつけるとそれがアンテナとなってと古典的なラディオが内蔵していて、スピーカーからも聴けるというものだ。

その為に以前使っていたSONYのイヤフォーンを探したが見つからなかった。どこに片付けているのか思い出せない。決して悪い音ではないので、耳当てパッドが剥がれているが使ってみたいのだ。機能することは分かった。

Lineも新しいタブレットに移転した後に今度はスマートフォンをサブの端末として登録してみた。これも電話番号無しに無事に使えるようになった。これで、移動中も使えるようになった。若干充電池の減り方が気になるが、その他はまずまずの使い勝手で満足すべきではないか。既に200ユーロ以上に上昇して来ている。



参照:
清々しい夏の生活 2025-07-10 | 生活
モンスターのパラダイス 2025-03-07 | 文化一般