51回目の充電である。7カ月、8270kmであるから、年間100回ぐらいになる。目標は年間走行距離12000kmである。10年間はまず問題がない。前夜に車庫の枠に装着した床屋さん風の角当てはやはり一部浮いたままであるが、其の儘にしておく。剥がれたら考えればよい。衝突しない限り大丈夫であろう。ボンドを塗り過ぎたので上手く乾いていないが、剥がれてくることはないだろう。見た目だけが真っ直ぐでないので不満だ。

先日のドイツェヴェレの記事で興味を引いたことがあった。インタヴューしたドイツ人がロシア生まれでロシア語にも通じていて、ペトレンコにロシア語でインタヴュしたとかあった。2019年の記事だが、そこで初めて聞くことが書いてあった。キリル・ペトレンコの父方の祖父がウクライナのレムベルクの人だとは知っていたが、ソヴィエト時代に規制していたという所だ。

そこでは、ミュンヘン就任の最初のアシスタントにオクサーナリニヴを選んだ背景があったとして書かれていた。抑々リニヴはその音楽性からしてもティーレマン信奉者でペトレンコとは正反対の音楽である。

然し最も興味深いのは、シベリアのキリルがウクライナ西部の嘗てハプスブルクの街でモーツァルトの息子が活躍したところで何を感じて学んだかである。帰省ということでは毎年でなくてもそれが子供に与える影響は少なくないことは多くの人が実感として持っている。反対に本人はそのことをインタヴューで語っているのはあまり知らない。なぜかは分からない。

そしてその当該の記録映画で本番前に指揮についてロシア語で議論しているのが誰かと思ったから調べていたのだった。1996年に父親は健在だったのかどうか?別のインタヴューでは1990年にコンサートマスターの職を見つけて移住して、とても苦労して亡くなったということを語っている。YouTubeに残っている父親の映像はホーヘネムスの城の庭で野外演奏を指揮しているものだけである。その映像と似ている。その後ろ姿からの知的な感じはまさしくコンセルトヘボーで議論しているその姿と重なる。ロシア語がもう少し分かればその関係性も分かると思う。

リニヴがオーストリアではハプスブルク帝国の流れを汲む音楽家と思われているが、そうなるとペトレンコもまさしくそうなる。なぜ後任のユロウスキーのようにベルリンではなしにフォア―ベルクへと移住したかにも関わっているだろう。

それはなにもモラヴィアなどの音楽に関わらずブラームスにも言えて、いかにそのアルペンホルンの一節を上手に振るかなど、そうした文化に対する親近感をどこかで持ち合わせていたことになるだろう。才能だけでない、環境もある。これがあるからこそ、指揮者エンゲルをとても高く評価する人間がティーレマンを推して、ペトレンコをユダヤ人としてボロクソにヘイトしていた人間のその評価基準を信じられなくなるところだ。ヘイターでしかない。



参照:
映像が示す発展の証明 2025-07-23 | 雑感
失敗を演出する制作意図 2022-09-22 | 文化一般