九番三楽章はやはり難物だ。演奏者だけでなくて、聴者も楽譜を描けないといけないような、読み込めてないと追いつけないようなところがある。当然のことながら今回はベルリナーフィルハーモニカーを指揮するので、技術的にも遥かに整理整頓され明確化されるのは確実だ。それでもフーガとなるとそれはそれはそれなりに耳が追えないと厳しい。

それだけに今回の演奏がいつもの様に歴史上初めての真面な演奏となりそうである。それを2021年10月2日の中継録音や記録記憶から再確認した。あのテムピで正確に表情をつけるのは普通の管弦楽団では不可能で、音色だけでは済まない。

そうした難曲をベルリンの本拠地での二回の予行演習だけで、アムステルダムでの本番で問う。ある意味、9月での演奏に残されるところもあるのだろうが、今回は歴史的に残るものである。交響曲七番ではその曲をして博物館へと押やったと書かれたように、今後それ以上の演奏はなされない。今回の九番も演奏史上最終的なものになる筈だ。

指揮者ペトレンコが語る様にこの曲でモダーンへと進んだように、その演奏や受容ということでパラダイムが変わるということに過ぎない。マーラーの交響曲の演奏様式とかそういった狭義のものではない。それはコロナ期間中に指揮したスークの作品演奏でも同じであるが、大管弦楽のあり方が変わって来ている。

予定ではこの録音の次にブルーノ・ヴァルター指揮録音を聴く心算でもいたが、幾つかの点が把握できないので、その前にもう少し時間が必要だ。思っていたよりも終楽章は音符も少なくそれ程時間は必要がない。二楽章のレントラーとヴァルツァーのそれはやはり注意深く見ておかないと繋がらない。

車の洗浄液は水で満タンにした。これで往復は問題ないと思う。フロントガラスがどれほど汚れるかは分からないが、蓄電器と一緒で戻ってくるまでに使い切ればよい。

ミニノートブックの問題は録音とかも試してみた。使っていなかったので結構調整に時間が掛かった。またオランダ国内ではPVにするものがストリーミングとして流れているようだが、これはオンデマンドにならないと難しい。オンデマンドでもスクリーンショット以外で落とすのは結構難しいと思う。これも研究準備しておかないと現地では時間が無い。

結局最終的には到着の金曜日の公演を観ながら試してみることになるのか。レストランなどに出かけている暇がなくなる。やはり早めにアパートメントについて近所でよさげなニシンを買い込むしかない。

そうした細々することがあるのでいつもお出かけは遊びには全くならずに旅行気分などは殆ど味わえない。因果なものである。そして経済的な利益を得る訳でもない。ただ好きで趣味で出かけるならばそれはそれで楽なのだが、アウトドア―スポーツでお出かけするような開放感はこうした旅行では殆ど得ることがないのである。仕事で飛び回っても疲れるだけでというようなことがここでも生じている。決してつまらないわけでもなく、得ることは大きいのだが、骨折れることもなくはない。



参照:
マーラー九番の真髄 2025-05-11 | 音
全てのものからのお別れ 2021-10-14 | 音