承前)千秋楽の雰囲気は前回とはまた少し異なった。入場者数は少なかったが、相変わらずレクチャーには少なくない人が詰めかけていた。但し三回目に聴いてメモするような新たな話しはなかった。

客層は隣に座った親子連れの様にインサイダーの比率も少なくなかった。最初はあまりにも小さな子供で、年齢制限がどうかなと思ったがその声などを聴くと予備の子役だと直ぐに分かった。やはり歯切れが違う。更に結構強めな咳をしたり、隣の父親風と話しをしたリフランス語の台詞が始まると復唱していたりした。公演後にお父さんらしきが良かったろうと声をかけて来る前から、舞台の子役にヨハーンと呼び掛けているので、父親で隣に兄弟だと分かった。そして子役の声が声変わり風になっていたので、今回はお兄さんだったということを確かめた。前回は初日と同じ弟のヴィクトールと確かめた。家庭でフランス語を話しているのではなくて学校に行っているのだということだった。

声の通りから弟の方が初演に選ばれて、サブとしてお兄さんが入っていたのは、その声の大きさから分かったので父親にも話したが、実際にはお兄さんの方が芝居の細やかさはあった。兎に角褒めるには躊躇は全くなかった。

復活祭でも「影のない女」の女の子も歩いていたが、「蝶々さん」の子役もその辺りにいた。三回も通うとこちらが直ぐに気が付く。それが違うのだが、親父も「音楽家ですか?」と尋ねるので、「指揮者エンゲルのお友達で」と答えておいた。

全体で弟が四回、兄が三回出演したようで、それなりに印象が変わっただろうことが分って良かった。父親にも「また6月に振りにくるから来てね」と話しておいた。フランス語のお勉強にはなるだろう。

そうした小さなことでも上演の印象は変わる。一部の弦の合奏ではよりシステム間のバランスに留意して指揮をしていた。前二回が下手席からで三回目が上手からだったので勿論音響は変わる。反対側になる高弦群も視角が効くことでより耳に入り、その精査がよく聴こえる。同時に初日に比較して積極的に音が出せているので、つまり表現が揃ってきているので、前回のものよりも繊細さが増していた。

それは手前側の低弦における人工フラジレットでも倍音が決まっていて、修正する以上に認識が為されてきていたのではないかと思われる。中々座付き楽団でそうした格好の良い音は出せないので、流石に七回も本番を得ると、同時に修正への要求が高まると意識されてくることが分かる。そうして決まると勿論奏者が作曲家が出そうとした音の真価を会得することで余計に洗練されてくる。洗練されて見事な響きが劇場に広がると空気も変わって来るので、今度は客席の雰囲気が変わって来る。それが舞台に伝わると歌手の歌も演技も変わって来る。それが劇場効果と呼ばれるものだ。

その意味からすると、このライマン作曲「ランヴィジブル」は将来より大物歌手に歌われる可能性のある作品であることが分った。復活祭「蝶々さん」で感じたような、一期一会の公演とはならなかったのだが、それが将来に期待されたということだけでも第三演が成功した証となっていた。(続く)



参照:
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