
幾らかは調べた。然しまだ全然足りない。これだけ凝縮している素材でありながら、何故か情報がエントロピーの法則で広がっている。楽器編成も実際そのようになっている。それでも音楽的な書法がそれへの必然性があることを分析しないと語れない。
一つ気が付いたことは楽譜を拡大して見ることで、フランス語のテキストを確り読めた。そのイントネーションのつけ方が、三部になって3‐5連符のリズムのイデー化など興味深いところに進んでいる。指揮者エンゲルが窺っていたのはそうした理論化のイデーだったのだが、どうもそれが指示動機の扱い方だけでなく、そこに何かあると気が付いた。
既に亡くなって仕舞っているのでエンゲルも本人に確認できないが、創作家からすれば、私にでも気が付くようなことは能力のある指揮者ならば必ず留意するようになることを想定して最終稿としている筈だ。少なくともショット社の資料にはヒントは見つかっらない。
今回の公演の歌手がそこに言及していたことから私でもそこにルーぺを当てることになって、最一人者もそこだと強調していた。こうした時は、細部を数えても仕方ないだろうから、最初の前提である創作の動機付けへと俯瞰をもう一度試みるべきなのだろう。
最も理想的なのは最終日に指揮者がそれを公演として音楽的に示して呉れることでしかない。二部がそうしたヴェクトル付けの温床になっているのかどうかを確かめる必要があるかもしれない。若しくは三つのアントリュードの発展にヒントが隠されているのかもしれない。
作曲家ライマンにとっては、2011年から異例に長い創作期間の健康的な不安とフィッシャーディースカウの死とその二年後の読響でも活躍した初演指揮者ゲルト・アルブレヒトの死も大きな意味合いとして2014年までのことに記されている。
音楽劇場作品も最終的には如何に効果をあげれるかに尽きる。その時にそれなり合理的な構造と必然性がなければ歴史化されないというのに尽きる。その意味でも今回の制作が千秋楽で如何なる効果をあげられるか。
気温が上がったので今年初めての半パンになった。週末からまた冷えるが、それでも摂氏5度を下回ることはなさそうだ。兎に角、冬物を片付ける好機で、薄着に寒さを凌ぐ格好にすればよいだろう。
気温が上がって仕舞わないと感覚的には今まで着ていたシャツも5月の旅行に使えるかと思っていたのだが、不要なことが分かった。最後にもう一度汗を掻いても袖を通して、20日過ぎの洗濯屋再開迄日陰においておく。いざとなれば上着代わりに使うぐらいである。
愈々車輛も乗り込んだ時の冷房効果が期待されることになる。この辺りも細かく見ていかないと分からない。少なくとも鍵を開けた瞬間に冷すようにしている。野外に停める時は数風前に冷房を利かしておけば汗を掻かない筈だ。冬季は要らぬハンドルヒーターも温まり、エンジンの温まりを利用できないので主義に反するのだが、夏場は充電が充分ならばどんどん使いたい。数分の冷却電力ならば走っていても回生可能である。衣服との絡みでとても重要視している。
参照:
気温摂氏30度までの拡張 2025-05-01 | 音
歴史に定着する創造活動 2025-04-27 | 音