
復活祭の祝日二日目にローマ教皇が亡くなった。7時36分とされるが車中のラディオで知ることはなかった。入庫して下車したのは9時45分ほどだと思う。然し全く耳にしなかった。但し誰かが昨日Orbiとミサをしているのを中継で観たと話していた。10時45分頃だったので携帯で知ったのだろう。然しそこからのさざ波のようなものは一切感じなかった。
今回の第九演奏会には、「創世記のカオスから始まり」という解説もあり、19世紀に宗教の代わりの殿堂として20世紀前半にもそうした施設が各地で準備されていた話しがプログラムに載っている。バーデンバーデンの殿堂の為にはフルトヴェングラー指揮ベルリナーフィルハーモニカーが1928年から1930年に慈善演奏会を行っていたと記されている。
その年度をみれば第一次世界大戦後の独逸ではあるが、ナチズムが台頭していた時期ではない。ベートーヴェンの伝記がベティーナ・ブレンターノとの往復書簡などによりロマン・ローランによって纏められたものが戦後に出版された楽聖化がその前提となっていた様である。
第九というのは楽聖の作品でも特別な交響曲であり、七番交響曲に乱舞した楽匠ヴァークナーも1855年にリストに、「最終楽章の合唱付きがもっとも弱い部分であるという事実だ」と書いているのだが、実際には自らの音楽祭の定礎式で、それ以前に1846年の革命時にドレスデンで指揮をしていた。それが1989年のベルリンの壁崩壊時のバーンスタイン指揮にも繋がっている。
もう一つ、ベルリナーフィルハーモニカーの初代指揮者ハンス・フォンビュローは1888年に「無様に関与していた忌まわしいノイドイツェの流れを支えているその音楽の境界を破る終楽章にはもうなんら心打たれることはない。その音楽の背後にある思想を分るためには聴くと同時に自らが働きかける必要があるのだ。」と今回のプログラムに明記されていた。
ここで後悔じみて語られるノイドイツェはロマン主義音楽におけるその広がりであり、リストの交響詩やスメタナの「我が祖国」の作風へと流れるのであるが、それゆえにこそ我々は一体何を自ら為すべきであるのか?
境界を打ち破る合唱付き四楽章を理解するのは決して容易ではない。それゆえにライプチッヒなどで労働者向けに年末に演奏され、マルキストによっても賞賛されたその交響曲は、そうしたイデオロギーを切り離しては、1980年代にユネスコの世界の遺産となりEUの歌となった歴史もある。
さて今回の演奏は、広い意味でのカトリズムつまり普遍性とその表現として、恐らく千年後の歴史でこの日の出来事として代表的なパシフィズム則ち平和主義への人類の声明として記録されることとなるだろう。指揮者ペトレンコの意志としての復活祭のザルツブルク移転として、その置き土産としてのプログラミングであったのだが、奇しくもその意味合いを超えることになった。(続く)
参照:
聖金曜日の第九の意味 2025-04-19 | 暦
イン河沿いの小さな町 2023-01-03 | 暦
馭者のようにほくそ笑む 2007-10-22 | 文化一般