
地下駐車場は使えなかった。それでも丁度いい時刻に劇場に入れた。思ったより多くの熱心な聴衆が集まっていた。入り口で貰ったプログラムには、残念ながら指揮者エンゲルの名はなかった。その代わり三人のカウンターテノールとテノール、バリトンがピアノで歌った。ピアノを弾いたのはカペルマイスターや合唱指揮をやっているスパソフという人で、練習のピアノも受け持っているのだろう。主役はレフナーという女性の演出家で、今回がオペラデビューらしい。元々語学の先生らしいが、芝居の畠で経験を積んできている人の様だ。それでもライマンの最後のオペラをデビュ―制作と出来ることを喜んでいた。そこには、昨年亡くした彼女の父親のことなどこの作品が扱う死に対峙した個人的な感情があるようだった。
作曲家ライマンは、このメーテルリンクの三部のドラマの最初の二つに1985年にベルリンの劇場で出合い、最後の「ティンタジルの死」を見つけたことで2011年から作曲に取り掛かり2016年に終えた。その三つのドラマがどのように関わっているのか、それがこのオペラの本筋の様だ。
三つのドラマがどのように関わっているのか、その音楽が低弦主体の一部、管楽器主体の二部、そして合わさる三部と色付けされていてと、当日二部での盲目の祖父と叔父さんのディアローグが紹介された。そして三部の完結の三人のカウンターテノールの歌として紹介された。
音楽に関しては、3月4月号のマガジンに指揮者エンゲルの言葉として紹介されている。やはり予想していた様にライマンの作品を指揮するのは今回が初めてで、その作曲家を「現代の古典」とまるで活きた天然記念物のように呼んでいる ― これに関しては全く同意見だが、それに続くことも全く同じ視線で話している。
勿論その作品はドレスデンでのお勉強時代に沢山習ったがとなって、音楽的にそのオペラが人声から導かれていて、歌曲の伴奏者としてのライフワークにおける活躍、生涯の芸術的真髄だとしている。
その声楽的な「見えざるもの」の作りは、演者にとっては終始大変難しいのだが、可能な限界を超えることはないと述べる。
今回はベルリンにいるようで来ていなかったのだが、会場のホワイエには前回登場の時のクラッツァー演出ニールセン作「マスカラーデ」の写真などが所狭しと壁に吊られていた。そしてカウンターテノールの三重唱からはとても重要なのは指揮者で、それが合わせることの全てだと語っていた。名を挙げることはなかったのだが、正しく指揮者エンゲルが「見えざる人」ともなっていて興味深かった。
兎も角、公演前にあるレクチューアと同じ数の100人分ほどの椅子があって、結構に埋まっていて、その最後列の人の多くはノートを持って熱心にメモ取りをしていた半世紀に近い前の学生さんたちだった。
中には若い人もいたのだが、関係者とかそのようにしか思えなかった。(続く)
参照:
草臥れる巡行運転免許取得 2025-03-17 | 雑感
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