素晴らしい演奏を見つけた。「マリアの夕べの祈り」の演奏映像である。映像は観ていないのだが、その音楽のアーティキュレーションもそしてディクテーションも明白で、それが正しいのかどうかは判断できないのだが、少なくとも楽曲の姿やその狙いはその演奏で明白になった。

ジョゼッペ・マロッテという指揮者が手兵のカンティカシムフォニアを振った生映像である。場所はトリノからアオスタ渓谷への入り口にあるクミアーナという街の教会で、ナチスSSによる虐殺80周年を記念する昨年4月1日の演奏会かららしい。55人のパルティザンが処刑されている。

そこで何故この曲が演奏されたか。それとは別に、この演奏の特徴は、その声部の力強さと同時にとても明晰な音楽表現によって揺るぎない確信が感じられる。まさしく抵抗の力であろう。
Claudio Monteverdi Vespro della Beata Vergine


そうすることで、この曲の対位法的な面白さが手に取るように解る。同時に不協和の当たりが明確になる。このことに関して内容は忘れていたのだが、2022年7月にエンゲル指揮マドリガーレ「ニンフの嘆き」で同様のことを記録していた。やはり書いておかないと積み重ねにならない。

ある意味モンテヴェルディ演奏実践における核心であり、先に参考にした二種類の演奏でそれが明白になっているのかどうか、大変疑わしくなってきた。勿論火曜日にアルテオパーで演奏するヘルヴェッへ指揮でそうした点が疎かにされないとは信じている。それでもなるほどゲントのアンサムブルの歌の技術的な秀逸性に関しては疑問の余地がないのだが、そうした音楽芸術的な表現が如何に為されるかではある程度の予測しか及ばない。まさしくそこは聴きどころであり、少なくとも出かける迄の残された時間でそのあり得るべき表現を精査しておかないといけないだろう。
MONTEVERDI // Vespro della Beata Vergine by Philippe Herreweg he & Collegium Vocale Gent

前述の演奏を最後まで流した。まだよく分からないところが多いのだが最後のマグニフィカ―トも素晴らしかった。そして、ガーディナーがやったような秘教的なものもなく、寧ろそこでのエクスタシーは修道士たちが俯せに床に伏せて男同士で呼応する様なより肉感的な官能とユーモアがあった。そして最後に華やかに終わり、ピションの様な儀式的な匂いを払拭して音楽芸術的な精華としていた。どちらが本物かの審査は、なにも五線譜化された楽曲の構成云々を検討するまでもなく、それを越えた正統的な演奏実践を確信させてくれた。

若干小雨勝ちのところを走って、燃料を入れに行った。予定ではE5 の5%オイルをリットル167セントぐらいを充てにしていた。それを20リットルで、往路は充電維持、復路は慣らし運転終了でハイブリッドで走るつもりだった。それで戻って来れる。然し予想以上安価で160セントだったので、ハイオクを見ると178セント、これならば週末分も給油しておこうと思って、ハイオクを25リットル入れた。44ユーロだった。

これで往路を充電維持モードでゆっくり走れば、6リットル消費程で走れて、アルテオパーの駐車場で9%消費ぐらいで復路となるかもしれない。すると復路をハイブリッドで冬タイヤで普通に飛ばすと、如何ほどの燃費になるのか?充電だけでも半分の50km以上走れるので、ハイブリッドモードの帰宅でどれほど燃料を消費して、残充電量がどれほど残っているかで、今後とも重要な実質エネルギー消費量を測れると思う。



参照:
込み上げてくる苦み 2022-07-06 | 音
Fontina Val d'Aosta 2005-03-11 | 料理