暖かくなった。散髪の価値がとても出て来た。幸いなことに上手なおばさんが朝から待ち受けてくれていた。恐らく夕方は家事があって早く帰宅するのだろう。直後から髪が落ちつき、素晴らしい。19ユーロ幾らに22ユーロ支払う価値は十分だ。なにもウェットカットでなくてもいいのだが、コロナ期間に強制になり、その後も断る理由もなかった。そして今の手捌きを見ているとやはりウェットの価値はあると思う。一度参考のために聞いてみようか。完全に乾かして毛をサラサラにさせるので本当のウェットではない。然し毛先などは上手に扱えそうなのである。

谷も摂氏16度以上にあがっていたので裸で走るべきだった。だから少し汗を掻いた。それはそれで気持ちが良いのも散髪のお陰で頭が冷えやすいからだ。急いでいたので車のカメラ設置などは試す余裕がなかった。但し初めてサンルーフ全開で走ってみた。試乗の車とは違って風音が小さかった。その差は分からないが、開き方が違ったのか。

なんとか時間を作って、「ドン・キホーテ」のヴィデオを流した。楽譜も見なければ全然わからないので、映像は殆ど観ていない。先ずはカラヤン指揮ロストロポーヴィッチ演奏で、LPとしては愛聴盤であるが、映像のついたものは始めて流す。直ぐに録音とそれはライヴ修正物としても大分違うのは直ぐに分かった。

なによりも下手である。最近はカラヤンの生前には発売されていなかったライヴ物が人気のようであるが、これは修正が為されていても大分程度が低い。大阪のフェスティヴァルで、ロストロポーヴィッチも聴いているのだが、これはその演奏も全然よくない。理由はやはりカラヤン指揮の大きな渦に巻き込まれていて、聞かせどころが滑っている。生で管弦楽がああいう風に演奏されると乗らざるを得ないのだろう。ソロ楽器と入ってもオペラ歌手以上にそこに巻き込まれている。大きな流れの中で印象的に響かして終わるだけで、音楽の筆運びが全く分からない。この程度の楽団なら当時のヴィーナフィルハーモニカーの方が巧かったのではないかと思わせる。現在の世界の頂点とは全く異なる。

兎に角、響きを印象的に造ることしか興味がないようなので、真面な音が出ていないところが殆どとなる。なるほどこういう劣化したカラヤン指揮なら今でも存在する。兎に角何をやっているか分からずに流れてしまうのは生で聴いた「英雄の生涯」と同じである。逆にこのような演奏をルーティンでやれたカラヤンサウンド楽団ということだったとなる。聴いているとサウンドトラックのような音響で眠くなって聴き続けられない。

そこでメータ指揮の最近の演奏を聴くと先ずその歌い口からして明白で、どこかの声部が強調されることなく、音楽の流れが和声的にも対位法的にも自然に流れる。これを聴くと明らかにカラヤンの亜流であるムーティ指揮などよりも遥かに進んだ譜読みをしているのが分かる。全体のバランスは見事なのだが、それ以上に音楽の意味が、そのアーティキュレーションが当然のことながらソリスティックな見事さが音化されている。フィルハーモニカーのクヴァントも健闘していて、大ソリストの大きな音も軽々しさもないのだが、主役のドン・キホーテが何も軽々しく通っていく必要もないのではないか。難しいところは難しくでこそその意味が感じられないか。



参照:
幾つか喜ばしいこと 2025-02-21 | 生活
ドライには戻れない 2024-12-04 | 生活